記憶と思い | 心筋緻密化障害の兄弟の奇跡☆

心筋緻密化障害の兄弟の奇跡☆

3人の母です。

次男と三男は心筋緻密化障害(心筋症)をもって生まれてきました。

次男と三男の闘病記録と、亡くなった後の私の日々の気持ちを書いています。



三男の出産、闘病、最期を思い出す。


三男も、家族みんなで
あんなに頑張ったのにな。


いつか必ず家族揃って過ごせることを信じて、ずっと前向きだった


三男をまた同じ病気にしてしまったこと、
小さく産んだことの罪悪感は大きかったけど、それでも前しか見なかった。


敦希から教えてもらったこと
生きていてくれることが、どれだけ幸せなことか
我が子の肌の温もりがどれだけ貴重なものか


弱音なんか吐いてる場合じゃない
小さな小さな三男が、遠く離れた病院で一人で頑張ってる
一生懸命生きようとしている三男から目を背けようなんて、これっぽっちも思わなかった。


三男は生まれた時から敦希よりもさらに心臓が悪かったけど、何度も命の危機を乗り越えてくれた


三男の頑張りで、私もさらに前向きになれた


病院に通う生活は、本当に幸せだった。


だけど、私は絶望を二度も知ることになった…





生きて生まれてきてくれた
出会えただけでも奇跡だったのかもしれない


でも、もっと、もっと一緒にいたかった
成長を見たかった
抱っこがしたかった
言えばキリがない。


小さな体で闘病していた敦希、三男
まだ幼いのに私と離れて我慢して頑張った長男も、みんないっぱい頑張ったのにな。


「神様は乗り越えられない試練は与えない」
そんな言葉があるけど、私からしたらそんなことはない
何を読んでも私には響かない
矛盾しか出てこない
絶望を知っているからこそ、きれいごととしか思えなくなった。


敦希が亡くなって、6年4ヶ月
三男が亡くなって、2年6ヶ月


どうやって生きてきたのか分からないくらい、あっという間に現在になった感


敦希の分まで、
三男の分まで…
ここには書いてるけど、夫婦でそう言い合ったことはない
前向きに頑張ろうとか、話したこともない
互いに余裕のないまま過ごしてきたんやろな。


それでも私は生きている
ごくごく普通に…


それが一番良いんだろうけど、そんな自分が図太く思えて嫌になる時もある。


子どもを亡くしても、
2人も亡くしても、普通に生きてる


何も考えなければ普通に過ごせるから


でも、何もなかったことにはできない


我が子がいないって本当に苦しい。






あの時に戻りたいな
そう思わない日はない。


もし生きていたら…
そんな想像をしない日はない。








敦希の画像はもう6年以上前だから、画質が時の流れを実感する…





初めて三男を抱っこした時


会いたいな