3年の命日 | 心筋緻密化障害の兄弟の奇跡☆

心筋緻密化障害の兄弟の奇跡☆

3人の母です。

次男と三男は心筋緻密化障害(心筋症)をもって生まれてきました。

次男と三男の闘病記録と、亡くなった後の私の日々の気持ちを書いています。



12月15日

今日は、三男の3回目の命日でした。





前置胎盤と緊急帝王切開による早産
複雑な心筋症と極低出生体重児
国内でも例がないほどの最重症。

複雑すぎるほど複雑だったけど、
複雑だったからこそ生きて生まれることができた三男。

その三男の生命力と奇跡を信じて、家族みんなが頑張った3年前

まさか、まさか、
二度も絶望を知ることになるなんて、想像もしなかった…

最期を迎えた後、廊下で、

「何で2人も子どもを亡くさなあかんのよ!」

って、泣いて泣いて泣きまくったことが今でも鮮明に甦ります。





最期は私が先生に言って心臓マッサージを止めてもらった。

次男の敦希の時、心臓マッサージを止めてしまったことが本当に正しかったのか?

毎日考えて考えて、泣いて泣いて、頭がおかしくなりそうなくらい考えて後悔する日々を送ってきたけど、私はまた同じ道を選ぶことになった

そうするしかなかった

どうしようもなかった。

最期の「助けて!」って言っているような悲しい三男の表情を思い出す度に苦しくなる

でも、家に帰ってきてからの、本当に笑っているかのようなにこやかな表情は、三男は何を思っていたのかな?

今でもあのにこやかな表情の意味を考えます。





小さな小さな赤ちゃん

顔は敦希に瓜二つ

会いに行って声をかけると探すようにして一生懸命目を開けてくれた

頭を優しくなでるとスヤスヤ眠り、やめると顔をくしゃくしゃにして泣いて…

泣かれると心臓の負担になるからヒヤヒヤしたけれど、本当に可愛かった。

会いたいなあ…





絶対に守るという約束は、また守れなかった。

「絶対」って何やろ?

三男を亡くした後、何度も思った。

でも当時は三男が一人病院で頑張っているのに、親の私が落ち込んでいたらいけないって、とにかく良くなることしか考えなかった。

あの時は何だって頑張れたのにな。





あっという間の3年。

もう3年って考えるだけで涙が出る

一時はどん底まで沈み、生きていることが嫌で嫌で、最悪のことも何度も何度も考えた。

夫にも気持ちをぶつけて困らせた。

それでも何とか、私は生きています。





三男が亡くなった今日の日を、あと何回迎えるかは分からないけど、今はただただ穏やかに過ごしたい




ほんと、それだけ。














今日は久々に家でゆっくり過ごした



また明日から頑張ろう