7年の命日 | 心筋緻密化障害の兄弟の奇跡☆

心筋緻密化障害の兄弟の奇跡☆

3人の母です。

次男と三男は心筋緻密化障害(心筋症)をもって生まれてきました。

次男と三男の闘病記録と、亡くなった後の私の日々の気持ちを書いています。




2月6日


次男、敦希の7年の命日でした。







敦希に会えなくなって早7年。


敦希は心筋症があっても、怪獣のように泣く子でした。朝は比較的穏やかに過ごしていましたが、午後からはしんどかったのかな…抱っこしないと激しく泣いてしまうので、心臓の負担にならないようにずっと抱っこをして、大切に大切に育ててきました。


やんちゃ盛りの2歳の長男と敦希の兄弟育児は大変なこともあったけど、本当に幸せでした。


いつも2人一緒に手を繋いでいました。
過去の写真や画像、記憶の中にしか2人の姿はないけれど、この記憶は永遠に私の宝です。







心臓移植をしない限り治らない病気。
それでも内服薬のみで、家で普通の生活が送れることが本当に幸せでした。


生まれつき心臓に病気があって可哀想と言われようが、哀れみの目で見られようが、そんなこと全く気にならなかったのは敦希が生きていてくれたから。


あの頃に戻りたい
やり直せるのならやり直したい


何度思ったことか…


私にはとても後悔していることがあります。
その時のことを思い出すだけでも自分が嫌になるし、どんなに泣いてもあがいても時間は二度と戻らないこと、現実は決して変わらないこと思い知り、悔やみました。


大変な病気だと分かっていたつもりでも、普通に家で生活できていたことで「敦希は大丈夫!大人になれる!」と甘い考えでいた自分が本当に情けなかった…


私は本当に無力でした。何もできず、敦希の最期の闘病はただ泣くことしかできなかった。


今でもやり直せるのならやり直したいって思うけど、正直なところ、どこからやり直したら正解なのかも分からず…


あの時こうしていれば…


当時の私は長い目で見て…の考えが多かったのですが、今思うとどうでもよいことばかり。


あの時の自分に教えたい


やり直したい


あの頃に戻りたいなぁ


本当に幸せだったなぁ









一生懸命指しゃぶりをする姿。そんな時、急に長男に話しかけられ、驚いて指がはずれて泣く姿も可愛かったな。


仕草のひとつひとつが本当に一生懸命でした。










「たられば」言ったって仕方がないことは分かっているけど、後悔が大きいだけに「たられば」は尽きません。




もう7年なのか、
まだ7年なのか。




7年前の今日はどん底。
7年後の今は普通に生きているけど、まだまだ私の人生は試練が続きそうです。










あっくん、可愛いぞ。