4年前の今日
三男はもう難しいと言われた日…
そして、奇跡の回復をした日。
当時、三男の担当の先生たち(3人)だけでなく、その夜の当直だった先生からも「回復の見込みは難しいから、その時が来たら、はっきり言っても大丈夫?」と言われていました。
この当直の先生は三男の担当ではなかったけれど、未熟児医療の専門医で、三男のことを診てくれていたし、時々話すことがありました。サバサバしているけれど、優しい女医の先生。
血圧が上がって何とか持ち直したと私は思っていたけれど、夜になって女医の先生が「私が今夜の当直です」と挨拶に来てくれた時に、「三男はまだ危ない状態なんですか?」と聞いたら「回復の可能性は低い、難しいと思う」と話していました。
その後、先生は「三男くんは生まれてからずっと小さな体で管に繋がれていて、可哀想だな、もう楽にしてあげたいな、とか思ったことある?」と私に聞いてきました。
私は躊躇なく「今この瞬間も三男は生きよう生きようと頑張ってる。そんな三男を可哀想とは思わないし、先生たちに難しいと言われても私は簡単には諦めたくない」と答えました。
「数年前に次男が危篤になった時、私は次男にお別れをするかのような声をかけてしまった。次男は生きよう生きようと頑張っていたのに。もっと頑張りたかったかもしれない。そのことは今でもずっと後悔している。だから私は絶対に後悔だけはしたくない。次男が亡くなっているからこそ、三男が生きて頑張っていてくれることがどれほど幸せなことかは私が一番よく知ってる。だから諦めたくありません」
そんなようなことを先生に話した記憶があります。
そしたら先生は、
「お母さん、三男くん大丈夫やわ!大丈夫!」
そう話してくれました。
きっと、当時の私の強い気持ちが伝わったのかな?と思います。
それから、三男は本当に奇跡を起こして持ち直してくれました。
またシニアレジデントの主治医の先生は、私と三男のところに来て、
「あーー良かった…!本当に良かった!!!」
と、胸を撫で下ろした様子で三男と私に言いました。
医師らしからぬ発言というか、先生でもこんなこと言うんだ、と当時は思いましたが、逆にそんな本音が聞けて私は嬉しかったのを覚えています。
三男の命の危険で「もう時間がない」と私の携帯に連絡してきたのがこの先生でしたが、「そんな電話、本当にしたくなかった」とも話してくれました。
厳しい先生、気さくな先生、言葉足らずだけど三男を可愛がってくれた先生、女医の先生は三男が亡くなった時に涙を流しながら駆け付けてくれて一緒に泣いてくれました。
この先生たちとの会話を覚えておくことは、私にとっては三男が生きた証。
ずっと書けないでいたので、ここに書いておきます。
奇跡の回復。
本当に奇跡でした。
三男の頑張りを忘れることはないけど、たまにはこうやって振り返っていくことも私には大切なこと。
4年前の今頃。
もう一度戻れるのなら戻って、三男に会いたいです。