明日で、東日本大震災から10年が経ちます。

 

当時、10年後なんてずいぶん未来のことだと感じていましたが、

 

あっという間に訪れました。

 

私は、当時は新丸ビルの当社オフィスで取締役会をしている真っ最中でした。

 

大きく揺れ、CDの在庫がおいてある棚が倒れそうになって、

 

それを支えに走った社員(ひろしげ)に、そんなのほっておいていいから離れろ、と言ったのも鮮明に覚えています。

 

新丸ビルから、向かいの丸ビルを見ると、ちょうど窓掃除をしている人がいまして、

 

高層に止まっていた窓ふき用のゴンドラが大きく揺れていて、大丈夫か、と本当にドキドキしました。実際怖くて直視できませんでした。

 

役員、社員で、どうしようかと悩みました。

 

今考えるとそんなわけないのですが、その時、新丸ビルが倒れるかもしれない、と本気で思い、

 

早く外に出なくては、と思いました。

 

歩いて新丸の階段をおり、当時10階だったのでなんなく外に出て、

 

皇居にみんなで避難しました。

 

ちょうどパレスホテルが工事中で、上にクレーンが何本も立っていたのですが、

 

それがまた大きく揺れていて、、落ちるんじゃないかと心配でした。

 

そのまま、歩いて帰る人もいたり、

 

一旦オフィスに戻る人もいたりで、

 

ただごとではない状況を感じました。

 

そして、新丸ビルに戻りまして、オフィスのロビーに大勢の方々がいて、上にもいけず、たたずんていました。

 

大型ビジョンがそこにあるのですが、

 

そこで、津波が押し寄せる映像が流れ始めました。

 

現実のこととは思えない状況で、なにもできず、何も考えられませんでした。

 

少したってから、10階のオフィスに戻り、

 

当社の対応としては、当面自宅待機という指示をして、帰れる人は帰り、帰れない人はオフィスに残り、と言う形になりました。

 

僕は、家も近いのですが、オフィスに残ることにしました。

 

食べ物を買いに行きましたが、そろそろ売り切れになる頃で、何も買えなくなりました。

 

確か早めに買っておいたおにぎりか何かをみんなで食べた記憶もあります。

 

夜になって、1階のロビーに降りたら、大勢の方々が、帰れなくて、毛布に包まったり、床に座ったりで、このまま一晩を明かさなくてはいけないという状況で、避難所のような形になっていました。

 

全然食べ物ないので、当然飲食店もやってない状況でしたし、

 

でもお腹が空いたので、7階の丸の内ハウスへ階段で行ってみました。

 

そしたら、、いつもと同じようにmus musさん、営業してて、本当に気持ちがガラッと晴れました。

 

ちょうど、美味しいカニの撮影をしていて、撮影後のカニをいただいちゃって、、美味しく頂きました。

 

musmus など丸の内ハウスは、営業をしていましたが、1階の人たちは上に上がることができず、

 

僕たちや、新丸のテナントだけは温かい食べ物が食べられ、ちょっと申し訳ないと思いました。

 

そんな時に、musmus チームは、おにぎりと味噌汁持って、1階に降りていって差し入れされたそうです。

 

夜中まで食事をし、

 

オフィスに戻り、

 

次の日の朝になりました。

 

家に帰り、テレビでニュースをみていたところ、

 

家族を探しにいきたいけど、車のガソリンがなくて探しにもいけない、と言う男の方が、本当に困り果てて泣きながらインタビューを受けていました。東京にはたくさんのガソリンも物資もあるのに、同じ日本なのに、今からガソリン持ってそちらに行きたいとすら思いました。これはなんとか貢献しなくてはいけない、と強く思ったのが、始まりでした。

 

まずは、当社にたくさん登録していただいている投資家の皆さんから、寄付・応援金を集めようと、社内に通知しました。みんな自宅にいるので、そう言う作業に時間を割くことができて、震災から数日で新しい寄付集めページを作ることができました。

 

そして、私は、寄付だけではなく、ファンドで貢献しようと、本業を通じて長期的に取り組みたいと、強く思い、Twitterで思いを書かせていただいたところ、

 

宮城の山田さん達が、ミュージックセキュリティーズも何かするらしい、と言うツイートしているのを見まして、

 

ご連絡をさせて頂き、一緒にやろうと言うことになりました。

 

そこから、4月1日に、社員にすぐに仙台経由で東北に行くように指示をして、

 

山田さん達と合流し、被災地応援ファンドを4月25日に募集開始することにしました。

 

 

4月24日には、記者会見です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この時のことを、鮮明に覚えています。

こちらでも映像が残っていますので、ぜひ見てください。

 

 

 

多くの皆様の思いと、願いがこもった取り組みになりました。

 

人生をかけている仕事として、誠心誠意取り組みませて頂きました。

 

私としては、当社が本当にお役に立てたのか、しっかりと振り返らなくてはいけないと思っています。

 

目的と手段がごっちゃになっていないだろうか、

 

逆にご迷惑をかけてないだろうか、

 

振り返らないといけないと思っています。

 

それを踏まえ、これからの10年も、しっかりとお役に立ちたいと考えています。

 

事業者の皆様としっかりと向き合い、

 

投資家の皆様のご協力が何より大切ですので、

 

皆様と心を合わせ、取り組みたいと思います。

 

被災地の皆様のこの10年間のご苦労、本当に心が痛みます。

 

報われるよう、当社ができることを、しっかりと地に足つけて取り組みます。

 

金融を通じて社会の課題解決に取り組むことが、本業を通じて長期的に、から、本業になった10年だったと思っています。

 

目先の利益を顧みずに、やるべきことに取り組めてきたのも、ビジョンに共感して温かい気持ちで支えて来て下さった当社の多くの株主の皆様のおかげでもあります。社会を通じて株主の皆様にも貢献しながらも、しっかりと恩返しができるようにも取り組む10年にしたいと思います。

 

その軸をぶらさず、これからも取り組んで参ります。