※ボクの勝手な思いを書き殴っただけなので、なんかスイマセン
年に1回書いておかないと自分でも忘れてしまいそうなので^^

【あの日】

おじいちゃんやおじさんは戦争に行った
終戦を迎えたときに5歳だった父も記憶にあるらしい
語り継がれる戦争体験はしかし、
ボクはどれだけ現実味を帯びて感じられているのか・・・

3・11 14:46は経験した

あのとき、神奈川も大きく揺れた
店の商品が飛び、棚が傾き、両手で押さえた
こんな経験は初めてだった
あの時ボクはキャスを見ていて
「机の下に隠れて!」とコメントを打った
なにが起きているのかまだ把握できなかった

ひとりだったら不安だっただろうけど、
キャスで情報を配信してくれたおかげで、
余計なパニックを起こさずに済みました
ありがとうございます

情報が入ってきて事態を少しずつ理解できた
そのつもりでいたが、その後の情報に目を疑った
津波にのみ込まれる東北
液状化現象で砂と水を吹き上げる道路
宮城を中心に親戚に電話をしてもつながらずに混乱した

5日後に親戚の無事が少しずつ判明し、結果全員無事だった
安否確認ができるまで自分で向かおうと計画するも、
宮城まで行ったはいいが、帰る燃料がなく、自分まで被災してしまう
宮城行きは断念した
もどかしかった

その後も余震、停電、物資の不足、原発の水素爆発など
不安要素は減らず、心理的動揺から、
揺れてもいないのに揺れている感覚に襲われた

社会全体が混乱し厳しい状況で、
わずかな発言に敏感になり配信を休む番組が多い中、
勇気をもって毎日配信してくれた番組があった
みんな何かをしたくて、励ましたくて、励まされたくて、つながりたくて、
情報収集、情報発信の場を探していた
その番組も1000回を過ぎましたね
本当に感謝しています

あえて番組名は伏せましたが、判る方だけ解ってもらえればいいです

人生にはいろいろなことが起きて、
生きていることは奇跡で、
出逢えたことは運命で、
感謝の気持ちでいっぱいです

この震災を経験した者として語り継いで風化しないようにしなければと、思います
また、翌3・12に発生した長野・新潟中越地震も併せて、
記憶にとどめて社会的なご支援をして欲しいと願います

できることでいい
歌、笑い、アート、なんでもいい
ご支援と、風化しないように思い出してほしい