皆さんこんにちは、遠野なぎこです
皆さん、その後体調は如何ですか?
私はと言えば…相変わらずと言えば相変わらず。
過食嘔吐は一日二回に増えてしまっていて…強迫性障害も変わらず辛い~
それでも、精神的に少しだけ安定してきたり…一時期の私からしたら、最近はだいぶ生活リズムが取り戻せて来た感じです
そうだ。
今日の記事ね、一番最後に私の手料理の写真を載せています。
これは、この先の記事を読んで頂けると分かってくださると思うけれど…私自身の『一歩』の写真なんです。
これからは、時々最後に『一歩写真』を載せる事もあると思います。
ただ心配なのが、症状が安定せず食べ物の写真を見て“スイッチ”が入ってしまう可能性のある方。
なので、最初にお断りしておきますね。
最後の『なぎこ』という署名の後の、『☆………☆………☆………☆………☆』から下に写真が出てきます!
お気をつけ下さいっ((>д<))
さて、本日のお悩みメッセージに行ってみましょ~!
☆なぎちゃん、こんにちは。
私は彼との結婚を考えています。今の症状は主に毎日の過食嘔吐です。
なぎちゃんは結婚していた時や、また現在、お料理はどうしていましたか?
どうしても家庭と料理は切り離せないので…ちゃんと食べられない自分と他人との時間をどう、捉えていますか?
そして一番聞きたい事。
私達のような摂食障害持ちが辛い日常を乗り越え、幸せを得る為に必要なもの…なぎちゃんは何だと思いますか?
また、なぎちゃんの周りで摂食障害持ちで幸せを掴んだ女性はいますか?
こんな私達を受け入れてくれる男性は本当にいるのでしょうか?
なぎちゃん、教えて。
★メッセージありがとうございます!
似た内容のお悩みがとても多いので、皆さんの代表として今回は取り上げさせて頂きました。
皆さんにも同じようにお話しているつもりで書かせて頂きますので、想いを受け取って頂けると嬉しいです
ほんの少し生活リズムを取り戻して来た今日この頃…『お料理』に挑戦してみています。
昔から好きだったの、お料理するのが。
挑戦じゃないかぁ…再開ね!
皆さんもご存知の通り私は摂食障害。
だから不思議に思うかもしれない、自ら食べ物に近づこうとするのが。
でも、この病であっても中には主婦の方もいらっしゃるし…お料理をしなきゃいけない職業に就いていたり、お料理をしたいと望む患者も沢山居るんだよ
人それぞれだけど、私の場合は…自分の為に、っていうより誰かに食べてもらうのが何より嬉しくて
(※摂食障害特有の“自分以外の人間に食べて貰って安心する”“自分以外の人間に必要以上に食べさせようとする”という衝動とは、また違う感覚です。)
その相手が大好きなパートナーだったりすると、もう最高に幸せだぁね
でもね、やっぱり摂食障害の症状にも波があって。
作っている最中に味見をするでしょ?
なんとか“ゴクンッ”と胃に食べ物を送れる時もあれば…正直に話すと、結婚してた時は殆どの場合がチューイングして作ってたの。
(※胃に送り込む事に強い罪悪感を持ち、噛んで飲み込まずに吐き出す行為です。)
それでも手料理を食べて欲しいから、チューイングして作ったお料理を並べて旦那さんの帰宅を夜中まで待って…。
食べ終えた旦那さんを寝かせつけて、後片付けをしている最中に“過食スイッチ”が入ってしまい、音をたてないように気をつけながら嘔吐をして。
…ホント、あの時期は毎日虚しかったなぁ。
あの時期って、一番過食嘔吐の回数が多くて…“一日五回”とかが普通だったもん。
そんな日々から約4年…よっぽど親しい友達を自宅に招く以外は、一切キッチンに立つ事はありませんでした。
…それがね、最近私変わってきたの。
人にとっては小さな変化だと思うけど、私にとっては信じられないくらい大きな一歩。
あのね。
今年病気をカミングアウトしてから、病気の私も丸ごと理解しようとしてくれる友達が一気に増えたのね。
一緒に闘おうと…私以上に私の病気と闘おうとしてくれる友達が。
そんな大切な人達と集まって、頻繁に飲むようになっても…最初は全く心を開けなかった。
信じてなかった。
警戒してた。
ずっとそうして生きて来たんだもん、33年間。
だからね…皆で遊んでいても病気の話には一切触れないでくれる中、自分一人だけお菓子を少し食べたりお酒をグビグビ飲んでヘベレケになったりして過ごしてた。
そんな時間を何度か過ごしている間に、ちょっとずつ気持ちが変化してきたの。
少しずつ心を開けるようになってきた。
徐々に皆と“分かち合いたい”って思うようになって来た。
“融け合うこと”が、魅力的に思えてきた。
『食』…私にとって、これ程難しく、憎たらしく、厄介な存在はない。
18年もの間、私を苦しめるだけ苦しめてきた“悪魔”。
今も昔も、悪魔に負けてやる気なんてこれっぽっちも無いけど…でもどうしたら勝てるのか、その方法を探す事でも日々苦しんで来た。
現在私を支えてくれてる友達との出会いが、もしかしたら悪魔に立ち向かうきっかけになるのでは…と思ったんだ。
もしかしたらこの出会いは『神様からのプレゼント』…“チャレンジ”なんじゃないか、って。
でもね~、皆に『私、次回お料理を作るよ!』って宣言をして、遂にその日が…っていう前日は、一人でかなりヘビーな夜を過ごしたよ(笑)
神経がピリピリして眠れないわ、不安で胸が押し潰れそうになるわで散々でした(^▽^;)
普通の人には何でも無い事でも、メンタルの病気を抱えている人には大事件だもんね
そんな状態なもんだから、当日は私が料理をしている間は皆には外出してもらう事になりました。(ホント、メンドーな奴よね(笑))
それならなんとか頑張れるかもって思ってたんだけど…当日ね、ちょっと皆の都合が変更になって全員家に居る事になっってしまったの。
…焦ったよ。
いつも心配して協力してくれる友人達に対して、若干イラッときたくらい(ワタシサイテ~ッ)
いやいや、ホントそれくらい動揺したのよ
結果、その日はキッチンから数メートル離れてお料理をする事で合意。
絶対にこっちを見ないと約束して貰って。一件落着。
この日は料理中、一度もチューイングはしませんでした。
っていうか、出来ないよね。
こっちを見ないでくれているとはいえ、すぐ後ろ側に友人達が居ると思うと…。
結果、それが良かったのだと思う。
この日で一つ、“チューイング”という行為から(一時的にかもしれないけど)卒業出来たのだから…。
その次の集まりの時はね、キッチンに立つ私の後ろに居る友人達を振り返って会話をしたり背中を横切ってもなんとか心が折れる事なくお料理を続けることが出来た。
その次の集まりの時は、料理中に誰かが洗い物を下げに隣に立って目が合っても大丈夫になった。緊張は相変わらずだけど。
でね、その次の集まりの時は…誰かと一緒にキッチンに立って料理や洗い物を手伝って貰うのが平気になった。
ううん、正直…楽しくなった。
私達摂食障害の人間は、食べ物を食べている所を見られる事を苦痛に感じる方が非常に多いと思います。
ましてや料理を作るとなると…
『こだわって作ってもどうせ後で吐くんでしょ?』って思われてるんじゃないかと思うと、本当に辛い。心が苦しくなる。
一緒に食卓を囲む相手にも本当に申し訳なくなる…だから、私自身も大好きだったお料理からも自分からどんどん遠ざかってしまったんだ。
ここまで来たら、これも正直に打ち明けます。
お料理を作って食べて飲んで楽しい時間を過ごし、友人達と別れた後…過食嘔吐の“スイッチ”が入ってしまう夜もあります。
…今でも。
…うん、ホントはそういう日の方が多いです。
帰りのタクシーで、運転手さんにコンビニに寄って貰って家に着くまで待てずに過食。
帰宅後、更に過食。
お腹がはち切れそうで苦しくて立っていられなくなって、這うようにしてトイレに行って便器に頭を突っ込む自分。
嘔吐後、目の前が真っ暗になって脂汗が出て意識が飛ぶ自分。
全てを吐ききれなくて、明日の体重増加を危惧しイライラが募る自分。
悔しいですよ。
毎回泣きますよ。
どうして楽しいまま終われないんだ、って。
…でもね、私最近考え方を少し変えました。
“楽しんだ後なのに過食嘔吐をしてしまった自分”を嘆き責めるのではなく…
“過食嘔吐をするその瞬間迄は、友人達との時間を楽しめた”という事実の方を大事にしよう!!…って。
『治らない、治らない…』と泣いてばかりじゃ自分が辛いだけ。
きっと自分を愛してくれる人達も悲しむ。
だったら、完全に治るまでは…“完治していないなりの楽しみ方”もあるのかな、って。
一概には言えないけれど、多分摂食障害の私達って不思議な癖がある気がするんだ。(違う病名の方もそういう方が多いのかも…)
病気に振り回される事に慣れ過ぎて、完治しないと自分は何にも挑戦出来ない。する資格もない。
そんな風に、自分で自分の可能性を狭めてしまう癖。
…傷付きたくないから。
病気を憎みつつも、そのうち闘うエネルギーが切れて悪魔に身体を預けてしまった方が心がいつの間にか落ち着くようになる。
でもね、タイミングとほんの少しの運に味方について貰えば…案外簡単な事なのかも、“チャレンジ”するって。
しばらくは体調をみながら、お料理を続けていく予定です
…そして、あなたが質問してくれた“日常を乗り越える為に、私達が幸せになる為に必要なもの”。
私が思うに、それは…『他人の愛を受け入れること』です。
とても愛され下手な私達。
とても怖がりで、近づいて来た“愛”を思い切り向こうに遠ざけてしまう。
自分の事すら愛せないから、他人を愛する事なんて出来ないと思ってる。
こんな自分が愛される事なんて絶対に無いと思ってる。
だってよく耳にするもんね。
『他人に愛されたかったら、先ずは自分を愛しなさい』
『他人に大切にされたかったら、先ずは自分を大切にしなさい』って。
それが出来たら苦労しないよって、いっつも思ってた。
でもね、最近思うんです。
自分で自分の事を愛せないのならば、先ずは“他人に愛される事”から始めてみよう…って。
自分で自分の事を大切に出来ないのならば、先ずは“他人に大切にされる事”から始めてみよう…って。
『他人に愛される事で愛を学び、愛される自分を愛する事で自信を学び…そして最後に、他人を愛する事で喜びを学ぶ』
まだまだまだ、私も苦しい毎日だよ。
完治する日が来るのかなんて私にも分からない。
もしかしたら、死ぬ迄まで過食嘔吐に悩まされるのかもしれない。
…でもね、私は不幸ではないのよ。
何故かと言うと、私には“愛を求める心”がちゃーんとあるから。
どんな時もそれだけは見失わないで生きて来れたから。
…長い間、私が狂おしいほどの愛を求め続けた相手は実の“母”だった。
それが、友人になり、恋人になり、夫になり…きっとそうしてこれから先少しずつ変化していくのだと思う。
ずっとずっと愛を求め続ける事に悩まされて来たけれど、最近何となく感じる。
“母”とは『愛のピース』が合わなかっただけなのだと思います。
この先生きて行く上で、ピースがピッタリとハマる相手が必ず居るはず。
一度ハマれば、もう他のピースを探す旅はお終い。
パズルの完成。
それは美しい一枚の絵になる。
メンテナンスさえすれば、永く永く眺める事が出来て…多分それだけで、二人は二人だけで生きていける。
最後に…
同じ摂食障害で、長年苦しんでいる親友が私にはいます。
彼女は、現在のパートナーにこんな言葉をプレゼントされたそうです。
彼女は泣き笑いの顔で私に話してくれました。
ある日彼が言ってくれたそうです。
…『僕の目の前で吐いたっていいよ?それでも僕は変わらず君を愛するよ』って。
彼女と彼は将来も考えている仲です。
不器用にぶつかり合いながらも、魂で求め合っているような二人です。
これから先、摂食障害の自分が彼と共に生きていけるのか…見せたくない部分、知られたくない部分を思い悩み不安に押し潰されそうになった時に掛けてもらった言葉だそうです。
病気で苦しんでいる彼女も含めて“彼女自身”だと…その人が抱えているものまで丸ごと受け入れる事が、“愛”なのだと。
『今は分からないままでいいんだよ。
これから先、君は僕にたくさん愛される事で“愛”を学んでいって欲しい。』…って。
…私達、摂食障害やメンタルの病気を抱えて必死に闘い生きている人間にとってどれだけ心強い言葉か。
どんな高級ジュエリーにも負けない最高に輝きに満ちた贈り物。
どうかどうか、二人には幸せになって欲しいです。
病気を持っていたって幸せになれるって、二人に証明して欲しいです
…皆さん、私は諦めないよ。
お料理の事もそう、こうして一歩一歩前に進めている自分をしっかり褒めてあげたい。
責めても褒めても、同じように一分一秒時は過ぎていく。
なら、ちょっとでも自分が喜ぶような言葉を掛けてあげたいと思わないですか?
さっきの彼女の幸せもそう。
自分には絶対に訪れないと思っていた幸福が、あんな風に現実に訪れてる。
世の中、絶対に幸せになれるって保証なんてものはない。
でも、同時に絶対に不幸せになるって保証も何処にもないんだよ。
私はこれからも病気と闘いながら、愛を探して生きて行きます。
いつの日か“愛”を見つけたら、たくさんの挑戦を繰り返します。
楽しみながら…パートナーと強く手を握り合いながら。
皆さん、“愛”だよ。
この世で一番大切なのは、“愛”だよ
なぎこ
☆………☆………☆………☆………☆
先日のお料理の写真を載せます。
ご飯の人やおつまみだけの人や色々なので、纏まりがないですが…
久しぶり過ぎて緊張したけど、とっても楽しく作れました
なぎ
☆………☆………☆………☆………☆
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