浄土真宗の末代無智の章では、一心一向に佛たすけたまへともうさん衆生をば・たとい罪業は深重なりとも・かならず弥陀如来はすくひましますべし・これすなはち第十八のの念仏往生の誓願のこころなり・という行がございます。

 このような自分の思いや煩悩で心が変わらずに一心に信ずる心が大切であることを説いた文章です。

 あまたの神社・仏閣にお願いするという考えもあれば、良いとか悪いとか自分の都合でなく、先祖からいただいた宗教を、一心に信ずることも一つの道であり、私はその道を選んでいます。

 例えば、自分の師匠がある治療方法を見せて教えてくれていても、人は迷いもっと良いものをと探してしまうものです。それでは、一つの治療方法が自分の身に着くことはないと思います。時間がかかっても、信じて地道に反復練習することが肝要ではないかと思います。

 これが誰もが持っている煩悩ではないかと思います。

 しかし、私は父や浄土真宗本願寺の教えもあり師匠に師事するからには、師匠以外の鍼灸師の治療方法・公演・本(文献)などは、一切参考にしませんでした。身に着けて覚えるには返って早道だったように思います。

 鍼(はり)を打つ方向?を毎朝、師匠の前で練習しました・ツボ(穴)の探し方?をはりを支える手の動き・鍼から体の反応を如何に感じ取るか?指や消毒に使う綿花の動きを診よう真似で行ってしているうちに、どうだと言われた時のアドバイスが納得に換わることがありました。

 このように、大変だったかもしれませんが、仕えて仕事を覚える嬉しさが感じられ、今は感謝しかありませんびっくり