仁丹町名表示板を探して広島県福山市の鞆へ(4) | カメラと自転車が好き(#^ー゚)v

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ニコンD40&D90とV1、リコーGR DIGITALⅡ&CX4を相棒に折り畳み自転車・Brompton(ブロンプトン)M3Rで色んなところを散策しています。 時々ホンダの小型スクーター、リード110でもお出掛けしたりします。



 すっかり後回しになってしまった感のあるこのシリーズ、忘れていませんよ。

ということで今回は4回目です。

前回の記事はこちら。
「仁丹町名表示板を探して広島県福山市の鞆へ(3)」




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次は道に沿って西の方に足を向けてみました。今では車のすれ違いがしにくい細い道をしばらく歩いて行くとさっそく見つけました。
「鞆町後地 焚場跡入口 焚場町」
仁丹町名表示板「鞆町後地 焚場跡入口 焚場町」



聞きなれない「焚場(たでば)」というのは調べてみると今でいう船のドックに近い設備だそうです。木造船の船底に付着したフジツボなどや海藻などを焼き払い、乾燥させて船命を長らえさせます。この行為を「たでる」といって、その場所を「焚場」とどうやら呼んだということです。





この仁丹町名表示板がなければ見落としてしまいそうな細い路地の先がそうなのでしょうか?ちょっと入ってみましょう。
焚場へ続く細い路地




海に出ました。ここがかつてそうだったのでしょうかね。
気になったので帰宅してからさらに調べてみると今は海中に沈んでいるそうです。
「鞆物語」(http://tomomonogatari.com)というサイトを参考にさせていただきました。
焚場





目の前には鞆の海が広がっていました。のどかで都会から来るとこころから癒されます。
鞆の海




さらに西へ足を進めますと左手に神社が見えてきました。淀媛(よどひめ)神社さんです。
淀媛神社
よく見てください。写真でいうところの鳥居の左した(選挙ポスターがあるところ)に"百度石"があってそこに寄り添うように狛犬が二匹いるのがユーモラスですね。




ゆかりが書かれていましたのであとあとの資料&記念にカメラに収めておきます。
淀媛神社 起源




歴史的に相当由緒あるそうなところですがなんだかこざっぱりしているなあと思っていたら、現在の社殿は大正3年に建立されたもので、平成13年に修復されていました。どうりで。肝心の町名表示板は鳥居のところで発見です。
仁丹町名表示板「鞆町後地 淀媛神社前 平一町目」
仁丹町名表示板「鞆町後地 淀媛神社前 平一町目」




階段の先にはなにやら見晴らし良さそうな高台になっていましたから本殿にも寄ってみました。
淀媛神社




おお、結構いい眺めですね!
淀媛神社からのながめ




さて、時間もあまりないので来た道を戻り、看板探索の続きをします。
ここに来てやっと観光客らしき人を見かけました。
この道はメインの通りなのかこの狭さなのに車の往来は結構ありましたね。交通信号が設置され交互通行していました。
車一台がやっと通れるような道




海の方を見るとやっぱり港町の雰囲気たっぷりですねえ。
穏やかな港町




今度は鞆の「寺町通」に向かってみることにします。
地図を見ているとお寺がたくさん集まっているようでちょっと楽しみですね。



次回に続く。








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