十月二十四日の毎日新聞の『余禄』にこんな記事があった。→こちら


冒頭に子供は親を選んで生まれてくる。そんなはずはないと思うかもしれないが、障害を持つ子の親には時にこの言葉が重い意味を持つ。「あなたなら育てられると神様が選んでくれた」。そんな励ましには単なる慰め以上の力が感じられる

・・・そうだろうか。

私自身も障害児の母だ。

次男がお腹の中にいた時・・・『妊婦さんでも大丈夫』と医師に処方された薬で私は喘息の大発作を起こした。

発作を引き起こした私はすぐに病院に電話した。すると『お子さん(長男・当時二歳)を連れてこられては困る』と言われ、預かり先を探すうちに発作が酷くなり終いには声を出す事も出来なくなった・・。

呼吸が出来ない。

なんとか、母がつかまり緊急入院。母子共にこれで大丈夫☆と、思っていたら・・・

次男は胎児期の酸欠が原因で痙直型脳性麻痺という病気を背負って生まれてきました。

気がついたのは退院後。股関節が思うように開かない次男に『あれ?』

病気がはっきり分ったのはそれから半年後でした。

『選ばれたお母さん』それは・・・私にはキツイ言葉でした。

選んでくれなくていい!!連れ子結婚のプレッシャーの中、跡取りを産めたとホッとしていたら今度は・・・。

しばらくは針のムシロ状態でした。

『なんで俺の子が!!』と嘆く旦那。私の見ていないところでお酒を飲むたびに愚痴っていたとか・・・。そんな旦那に『クララだって歩けたんだからさ♪』と陽気に振舞わなければならなかった私。

そんな時、『選ばれたお母さん』という言葉は私には本当にシンドイ言葉だったのです。

他の障害児を抱えるお母さんが得意気にそのセリフをいい病気自慢をし合っている光景は私には滑稽にすら見えました。

今思えば・・・そうでも言ってなきゃやってられない状況だったんでしょうけど・・・私は現実をしっかり見据えてまず何をしなければいけないかを考える方が大事に思えたのです。

親が子供を育てる・・・のと同時に親は子供に育てられて親になると思うから。

それは・・・子供を作る決断、産む決断をした時から。

でも・・・あれから11年経った今も・・・私はヘナチョコなんだよな~★ヾ(;´▽`A``


結論・・・子供はどんな子供でも子供☆だと思っています。この記事の両親の訴えには何となく納得がいかない私はまだ修行不足なのかしら?実際、障害者支援ってものが冷たいのはよくわかるんだけどね(--;)