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子宮内胎児死亡の宣告をされた4月11日から14日が経ちました。


ものすごく泣いたし、今も泣いているし、どうしてなんだろうと考えるし、どこかに理由を求めてしまいます。





死産には何らかの意味があるのでしょうか。





それとも今後自分たちがどのように感じて、どのように過ごすかによって、色んな意味が生まれてくるものなのでしょうか。





それとも、死産したことにも意味があって、更にその後の感じ方や行動によってもまた意味が生まれてくるものなのでしょうか。




それとも、そもそも意味はないものなんでしょうか。




もしかしたら無理やり理由付けをして意味を持たせようとすることによって、気持ちを楽にしようとしているのでしょうか。







「お母さんが悲しむと赤ちゃんも悲しむよ」


「お母さんお父さんに、夫婦の絆とか、思いやりの心とか、人の痛みがわかるようになるとか、そんな何かを与えるために赤ちゃんは来たんだよ」


「お母さんが笑顔でいてくれることが赤ちゃんの幸せなんだ」


「命の大切さを教えるために赤ちゃんはやって来て去っていったんだ。」



色んな意見を聞いたり見たりします。





でも私にはわからない。

だって赤ちゃんですよ。

おぎゃ~って泣くのが仕事の赤ちゃんですよ?




亡くなった途端にいきなり物分かりがよくなって、
「お母さんが笑顔でいてくれることが私の幸せだな」なんて思うものなんでしょうか?


「命の尊さや夫婦の絆が強くなってくれたから私の役目は果たせたな。」とか、そんなこと「おぎゃ~」って泣いて甘えて愛情を求める赤ちゃんが考えられるのでしょうか?



どうしても私には、これらの言葉が、死産で子どもを失った悲しみの中にいるお母さんを救うための言葉にしか感じられないのです。

だから死産後、人としゃべる気にもなれませんし、下手な慰めの言葉も全くほしいと思えない。


でも、上記の言葉に心が楽になって救われる思いになることがあるのも事実なんです。

不思議です。

どこかで理由と救いを求めているんでしょうね。






このことを死産したことを報告して、混乱中の私を支えてくれている親友に話しました。




すると現在子育て中の親友はこう言いました。

「亡くなった子がどう感じるかはわからないけど、
赤ちゃんはお母さんの感情を敏感に読み取るよ。
お母さんがイライラしていると、
赤ちゃんは泣き止んでくれないし、
お母さんが悲しい気持ちで赤ちゃんに接していても
やっぱり泣き止んでくれなかった。」




なんだかその話しを聞いてはっとしました。


亡くなったぱんぽこが、現在どのような存在になって、何を感じているのかはわからないけど、まだ少なくとも私の中では赤ちゃんであるぱんぽこは、お母さんである私があんまり泣いていたらやっぱり彼女自身も不安定になって泣いちゃうんじゃないかって。




そう思ってからちょっと泣く回数が減りました。




死産に意味があるのかないのか。
意味があるとしたらどんな意味があるのか。
後々ある程度落ち着いた時に、理由付けをしてしまうものなのか。




今はまだよくわかりません。







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