不快に思う方はこの先を読み進めないでください。
いろいろなことがあったこの2ヶ月でした。
8月の頭におばーちゃんが…そして10月の頭におかーさんが急にいなくなりました。
39歳大人なんだから、祖母やら母やらとかけなんて思うかもですが、ともかくおばーちゃん、おかーさんと呼ぶのがお似合いの二人でした・笑
まぁでも一応…母は10万人に1人という難病を患っていました。
遺伝性でもなく、突然発症の病気でした。
突然死もありえるという話はずっと聞いていたのですが、まだまだ、まだそんなことはないという気持ちでいっぱいでしたね。
私はその日、手話検定の試験があり、東京に出ていて危篤の知らせを聞いて急いでかえりましたが、間に合いませんでした。
ですが、最後の電話をもらう前に電車の中で背中が急に痛くなったんです。
ぐいぐいと押されてる感じで、なんだろう、テストで疲れたのか、この状況で緊張して痛くなったのかとか色々と思っていたら電話がなり、姪っ子からの間に合わなかった知らせを聞きました。
今でもそれは母が私に最後に会いに来てくれたのかなーと思っています。むしろそれしか考えられないって感じで。
本当に人のため、家族のために尽くした人生だったような気がします。
いつかは死んでしまうこと、人よりもそれが少し早いというのが本人にもわかっていました。
でもあまりにも早く、あれもこれもという気持ちがあったのかな…と思い、葬儀の日々まで過ごしていました。
その時にスカパーで「白い巨塔」がやってました。
この間もやってたような~と思うのですが、これはきっと私に見せたかったからなのか?と思ってしまいました。
最終回に財前先生が
「僕に不安はないよ。ただ……すまん、ただ、無念だ」
という言葉も気持ちも全てが重なってしまい、夜中に大号泣してしまいました。
その時にかかっていた曲が「amazing grace」でした。もちろんヘイリーバージョンでしたけどね。
それがとても印象深かったので、出棺の曲は母の好きなホイットニーバージョンにしました。
いろんなことがまだまだ心の整理がついていないというのも本音です。
でも、私のこれからやろうとしていたことを不自由な体であり、また自分の方がよっぽどかつらい状況であったのにもかかわらず、いつも応援してくれていた母です。
その気持ちを胸に母の分まで頑張っていきたいと思っています。
私は何ができただろう?本当に私は母にとっていい娘だったのだろうか…いろいろなことを思うことがありますが、でも一つわかることは、母は私が思っている以上に私のことを愛してくれていたし、そして私もきっと母の思っている以上に母のことを愛していたんだということです。
毎日毎日「ありがとう」という言葉を言っています。だってそれ以外ない・笑
それ以上でもそれ以下でもなく「おかーさんありがとう」その言葉でいっぱいの日々です。
さて、おかーさんもおばーちゃんもきっと私のていたらくな生活にため息をしているでしょう。
そろそろ仕事をちゃんとしますよ~~~~~
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