年末年始の冬休みに
「HULU(https://www.happyon.jp/)」で
「先に生まれただけの僕」を全話一挙に見ました。
・・・で、残念ながら、まだレポートしていない第2話から第4話には、参考になるペップトークは出てこなかったのですが、(第5話のテーマがペップトークなので、それ以前に登場したらそもそもおかしいですけど)、ペップトーカーとして学ぶべき状況認識など、いくつかの発見がありましたのでそれを書き留めておきます。
【背景とあらすじ】
教育の現場を知らない校長として、職員室内で反発を受ける鳴海校長 (櫻井翔)。
そんな中、鳴海校長はは奨学金を受給する事の覚悟を説いて聞かせた生徒の加瀬君がが学校を休んでいると分かり、不登校になったのではないかと気が気では無くなる。
さらに、保健室の沙織先生 (井川遥) からは、腹痛を訴えて保健室に毎日通っている小山君という生徒のことを聞かされる。
鳴海はその小山君という生徒の担任である及川 先生(木下ほうか) にケアをするよう指示するが、彼は取り合おうとしない。
そして、この生徒が抱えていた悩みには、学校内の大きな問題が隠されていた。
【ペップトーク「的」なスピーチ】
大学進学率を上げ、高校の偏差値を上げるために、生徒個人の問題に口を出しているヒマはないという教師側の意見が多い中で、鳴海校長は、学校を改革したいという思いを職員会議で先生たちに伝えます。
’36”16~
確かに僕の仕事は学校経営を改善することです。
そのためにはまず在校生の大学進学実績をあげるべきだと考え、予備校の先生を呼んでみなさんに講習を受けてもらいました。
(意味なかったけどね)
でも僕は京明館高校を大学予備校にしたいわけじゃないんです。
僕、思うんですけど、予備校の先生は講師、学校の先生は教師って呼ばれますよね。
これってやっぱり、役割が違うからじゃないでしょうか?
勉強教えるけどそれ以外の大切なことも教える、だからみなさん教師なんじゃないですか?
僕はもう何度も言ってます。まず変わっていただきたいのはみなさんだと。
教師ですから当然、生徒の学力を上げていただきたい。
そして生きていく上で大切なことや、社会のリアルな現実を生徒たちに教えてもらいたい。
つまり、もっと生徒の立場に立ってもらいたいんです。
(副校長「私も同感です」)
【ペップトークの解説】
この話の内容は校長先生として先生方に伝えたい思いを語るという上では素晴らしいと思います。
しかし話の途中で、上記のあらすじに出てきた及川先生は席を立って職員室を出て行ってしまいます。
そういう意味では「不発のペップトーク」でした。
しかし、無駄だったのかというと、そういうわけではありません。これはペップトークを成功させるための布石としては重要な役割があります。
ペップトークを成功させるためには、
「ペップトーカーが聴衆から信頼されていること」
という絶対的な条件が必要です。
どれだけ素晴らしいスピーチシナリオであったとしても、ペップトーカーに信頼がなければ、聴衆の琴線に触れるスピーチをすることはできません。
それともう一つはペップトークのタイミングです。
聴衆の全員の機根(教えを受けて実行しようとする気持ちの準備)が整っていないときにペップトークを行っても空回りするだけなのです。
特にこのドラマ(しかも始まったばかりの第二話)では、学校の経営立て直しに来たサラリーマン校長、教育のことを知らない「ど素人」、会社側の評価ばかり気にして自分の立場を守ろうとしている嫌なやつ・・・
といったレッテルを貼られている立場です。
そういう人がペップトークを成功させるためには、まず信頼を勝ち得ることが重要です。
そういう視点で見たときに、このスピーチは全員ではありませんでしたが多くの教師たちに、
「自分は学校経営を改善したいが、そのためには生徒の学力アップだけの『講師』ではなく、人間としての成長を支える『教師』であってほしい」
「まず変わって欲しいのは先生たち一人ひとり」
という気持ちは伝わったのではないかと思います。
スポーツの世界でも、頑張っていない人、頑張った経験のない人に「頑張れ」と言われても効かない、励ましの言葉にならない。本当に頑張っている人、頑張って苦難を克服したり目標を達成した経験のある人から「頑張れ」と言われるから効くのだということを耳にします。
この鳴海校長のように、周囲が敵ばかりの環境の中で信頼を勝ち得るということは、並大抵の努力では難しいことだと思います。
ひとつひとつ実績を重ねながら、相手の評価を好転させていくしか方法はないかもしれません。
だからこそ
「講師ではなく教師になってほしい」
「生徒の立場に立ってほしい」
「まずは先生方に代わって欲しい」
という思いを機会あるごとに言葉にして伝えていくことが重要なのだと思います。
「ペップトークは一日にしてならず」・・・なのです。
ではまた。