ここしばらく、私は 夫にわがままばかり言っていました。

その根底には、夫のことがだいすき❤(おばかっぽいけど許してね)という気持ちと

夫への甘えがあったと思います。

夫を困らせてしまいました。(ごめんなさい。)


そして、わがままを言って分かることは、

結局いつも 自分の未熟さと

夫の優しさ、そして器の大きさでした。




話は変わり、

私は、毎日 仏壇に手を合わせます。

そこには、主人のお父さんがいるからです。

少し前に、法事がありその時にお坊さんが言っていたのです。

「忙しいなかでも、仏壇の前に座り

 心を静めて そこにいる人とお話しする時間を持ってください。」と。


だから、私は毎日仏壇の前に座り

お父さん(義父)とお話しをしています。


「今日はこんなことがありました。」とか

「毎日 幸せに暮らせることに感謝しています。

 お義父さん 見守ってくれてありがとうございます。」などと。


いつも仏壇に手を合わせていた義母が

病気で入院しているということもあり、

義母の分もお義父さんを大切に守りたいという思いもあります。




夫にわがままを言ったり、

仏壇の中の義父とお話しをする中で、

私は ハッと あることに気づかされたのです。


毎日 おいしいご飯が食べられる。

毎日 お布団の中で気持ちよく眠られる。

毎日 子どもたちが明るく学校に通える。

毎日 家族が笑顔でいられる。


どれもこれも 全てが 夫からの贈りものだったのです。

その贈りものの中で 

私そして子どもたちは何不自由なく暮らしている。

神様 仏様に 毎日感謝している気持ちは、

実は一番に 夫に伝えなければならない気持ちだったのです。


当たり前のようにそこにあるものは

実は当たり前に存在しているのではなかった。

夫の努力のおかげだったのです。


今日は、仏壇の中の義父にお礼を言いました。

「お義父さん、大切なことに

 気づかせてくださり どうもありがとうございます。

 まだまだ未熟な私ですね。

 私 がんばります!」と。


仏壇の向こうで 

義父が

「大丈夫かな?あせらずにね。」

笑って見守ってくれているような気がしました。


  


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