長崎駅からバスを乗り継いて、1時間半、


ガタガタと揺れるバスでした。

バス停から山道を、歩きました。


里の人は、みなさん親切で、道案内してくださいました。

10時の予約をしていましたが、少し遅れてしまいました。

教会の案内を信者の方がしてくれました。

穏やかな笑顔で、迎えてくれました。

ドロ様のお話しを、じっくりお話ししてくださいました。

明治になってキリスト教の禁教が解かれ、隠れキリシタンを救うために、フランスからやってきて、私財を投じて教会を作った素晴らしいお話しを、ご自分の事と絡ませてお話ししてくださいました。  

隠れキリシタンの子孫で、曾祖父母から聞いた話ですが、ドロ様は背の高い方で、いつもぴょんぴょんと走っていたそうです。教会を建てるために私財を投じ、村人はお金はないが労働力をだして作った。設計したのはドロ様です。海風の強い所なので戸は引き戸にして、天井を低くしました。床板も祭壇も木材で壁は漆喰です。
木材は山を買取り切出した。

教会を建てて、隠れなくてもいいことを知らせました。貧しい村に山を開墾して野菜や小麦を作り、綿を植えて綿花を摘み木綿を織る技術を教えました。西洋野菜のトマトや小麦でパスタを作り、お茶を紅茶を作り、長崎の外人居留地に小舟で売りに行ったそうです。高値で売れたお金で村に学校や託児所やら農園など、村人の生活を良くすることに力を注ぎました。

ドロ様は、自身の生活は清貧でした。故郷のフランスには一度も帰らず74歳で天国へ召された。お墓は村の教会墓地にある。

「女部屋」は、女性の職業訓練施設だった。教会のすぐ下にありました。

たくさんお話しをしてくださいました。

「村人は、ドロ様のおかげで貧しい生活から改善されました。
ドロ様のお話しを、訪ねてくる方に語ることができるのは、うれしいです」と、優しく話してくださいました。

まだまだお話しはありましたが、忘れないように書いています。

バスの時間は、過ぎてしまいました。次は、遠藤周作文学館に行くと話したら、車で送ってくださいました。 



白い車で送ってくださいました。



遠藤周作文学館まで、送ってくださいました。