マイケルの、偉大な慈善活動の功績の記事を見つけましたので、貼っておきます。
本当に、マイケルは凄いです!!

偉大なるエコセレブ
マイケル・ジャクソンの足跡

(All About - 07月26日 08:53)

All About

■マイケルは社会貢献でもスーパースター

 突然の死を遂げたマイケル・ジャクソン。ガイドは特にファンではありませんでしたが、1980年代に青春期を送ったバブル世代ですから、曲の名前を聞いただけで、あの歌声とプロモーション・ビデオがぱーっと浮かびます。それって、すごいことですよね?

 偉大なるスーパースターとしてだけではなく、スキャンダルにも彩られたマイケルですが、音楽活動のかたわら、献身的な社会貢献活動をしていたことでも知られています。

 最近の流行り言葉を使えば、エコセレブだったわけです! しかもさっすがスーパースター、その貢献だって半端じゃありませんよ!

 というわけで、今回は、そんなマイケルの社会貢献活動の足跡を拾い集めてみました。

■マイケルのチャリティといえば!

 マイケル・ジャクソンとチャリティーといえば、まず思い浮かぶのが、"We are the World"です。エチオピア難民救済を目的とし、全米のトップスターが集まった運動"USA for AFRICA"に参加した際にライオネル・リッチーと共作した曲でした。

 今でこそ、ロックスターがチャリティー目的でコンサートを開いたり、曲を書いたりするのは当たり前のことですが、当時はとても画期的なことでした。

 なんたって、「ロックンローラーのチャリティーなんて偽善だ」と堂々と批判する人もいた時代でしたからねぇ。「結局、アメリカ人だけしか集まっていないアメリカ中心主義じゃないか」といった厳しい声もありましたっけ。

 一方では、"We are the World"が、誰でも口ずさめるわかりやすいメロディと普遍的な歌詞であることなど、音楽的には高く評価されていたのも確かです。

 いろいろなことを言われはしましたが、"USA for AFRICA"は、前年にイギリスで結成された"Band Aid"と共に、チャリティー活動をするミュージシャンの潮流を作った活動でした。

 マイケルは、その前年の1984年にもアルコールや薬物による家庭問題の克服を呼びかけるチャリティー活動への貢献したことを称えられ、レーガン大統領からホワイトハウスに招待されています。

■ワールドツアーの利益をすべて寄付!

 1990年代に入ると、スーパースターである一方、すさまじいスキャンダルにもさらされていきます。そういった世間の厳しい目の中でも、1992年6月27日から1993年11月11日までアメリカ合衆国、ヨーロッパ、南アメリカ、日本を含むアジアを回るDangerous World Tourを行いました。

 そして、なんと、その利益のすべてを自身が設立したヒール・ザ・ワールド基金を始め、様々な慈善団体に寄付しています。

 1993年には、ロスで薬物乱用から若者を救う活動も始めています。マイケル自身も鎮痛剤中毒に苦しんだことがあったからだそうです。その死因と薬物との関係が取り出される今となっては、誰かがマイケルこそ薬物から救ってあげられなかったのかという思いもこみ上げ、なんとも切なく、悲しく聞こえます。

■阪神大震災に被災した小中学生のために楽曲を提供

 マイケルが心を砕いていたのは、世界中の子どもたちのことでした。子どもたちが、安心して暮らせる平和な世界を作りたいとマイケルは考えていたようです。ヒール・ザ・ワールド基金ももちろん、子どもたちのために設立しています。

 そのまなざしは、戦火や貧困に苦しむ途上国の子どもたちだけにむけられていたわけではありませんでした。

 日本に初来日した1987年、群馬県で起きた男児誘拐殺人事件のニュースを聞き、心を痛めたマイケルは、兵庫県西宮市の西宮スタジアムでのライブで被害者の少年への哀悼のメッセージを送っています。ご家族に直接会うことを望んだそうですが、スケジュールの都合上、それはかないませんでした。2006年の来日時には、3人のお子さんと共に児童養護施設も訪問しています。

 また、1999年には、阪神淡路大震災で被災した小中学生への支援として、TOKIO 、キンキキッズ、V6で結成した"J-FRIENDS"の活動にも共感し、"People Of The World"という曲を提供しました。秋元康さんがてがけた日本語訳と優しいメロディで、神戸の子どもたちにマイケルの思いを届けました。ぜひ、マイケルが歌っている原曲を聴いてみたいものです。

 ほかにも、同時多発テロ被災者支援のために、マライア・キャリーなどと共に歌った"What More Can I Give?"を作っています。さらには、リリースはされなかったものの、ラッパーのカニエ・ウェストと共に録音した"I Have This Dream"は、ハリケーンカトリーナの救済基金のために作られたチャリティソングでした。

 これを見てもわかるように、音楽を通して支援をする、音楽家として、とてもまっとうな社会貢献を行っていたわけです。

■違いを乗り越えよう!と世界中に伝えたことこそ最大の功績

 マイケルは本気で世界を変えたいと思っていたようで、その思いは、様々な曲にも映し出されています。貧困問題を歌ったMan In The Mirror、人種や文化の違いを乗り越えようと歌うBlack or White、地球環境破壊の現状を歌ったEarth Songなど、強いメッセージをのせた曲は、21世紀の今も、ストレートに響いてきます。

 特に、ポップな曲とダンスパフォーマンスにのせて、「人種にこだわることなんてくだらない、文化の違いを乗り越えよう」と歌ったBlack or Whiteは、発売は1991年でした。20年近く前の曲思えないほど、今も色あせていません。マイケルが白人になりたかったなんていうのは絶対に嘘だ!とこの曲を聴くと思います。

 もしかしたら、世界が混沌としている今だからこそ、いっそう鮮やかに心に伝わってくるのかもしれません。そう思うと、数々の社会貢献をしたマイケルですが、その最も大きな功績は、「争いのない世界はきっと築けるよ。信じて動きだそうよ」と、音楽を通じて多くの人に気づかせてくれたこと、といえるかもしれません。

 今回ご紹介したのは、マイケル・ジャクソンの社会貢献活動のほんの一部。亡くなってから、様々な報道がされていますが、イヤな面ばかりクローズアップされるのは、ファンじゃないガイドも悲しいなと思います。多くの人に、マイケルが世界の子どもたちのために、地球環境のためにどんな貢献をしているかなどにも思いを馳せてほしいなぁ。そして、その死を静かに悼みたいですね。

……合掌。

【ボランティアガイド:筑波君枝】