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《癇癪玉》



菊屋横丁の癇癪玉と言えば、近所で誰ひとり知らぬ者はなかった。

名を晋作といった。正月三日の朝、晋作が屋敷のまえで竹馬に乗って遊んでいたところへ、年始回りの武士がほろ酔い気分で通りかかり、うっかり晋作にぶつかった。晋作は竹馬ごと横倒しになった。
「や、済まぬ。坊主けがはないか?」
と声をかけ、さしたる事もない様子にそのまま行き過ぎようとした。
「ぶれいもの!」
癇高い声に武士がふりかえると、子供が真っ赤な顔で睨み付けている。
「ぶ…無礼者とは拙者に言うてか?」
初老の善人そうな武士が呆れ顔で問い返した。
「おまえの他にだれもいないっはやくあやまれ!」
武士は横鬢を掻き上げ少し笑った。
「いま、済まぬと言うたではないか、坊主。」
「それではだめだっ、さむらいなら両手を突いて、ちゃんとあやまれ!」
その言葉に、武士の垂れ目がすこし吊り上がった。
「地面に手をつけと?」
「あやまらねば、これをぶつけるぞ!」子供は道端の犬の糞を掴んだ。
「うぬ!」
さすが、温厚な武士も顔色を変えた。
「坊主、もとはと言えば、おまえが竹馬でよろけてきたのだ。わしも酔うていたゆえ、おまえが目に入っていなかった。いわば出会い頭というやつだ。
子供とおもえばこそ、気をつこうてやったのを、嵩にかかるか!」
「だまれ、だまれ!武士が酔っていたですまんぞ!
おれがおまえの殿様だったらどうする!仇だったらどうするっ!」
「無礼討ちか返り討ちだろ!」
言いざま子供が糞を武士に投げた。

正月の晴れ着にべったりと犬の糞が付いた。
武士が拳を振り上げた。
とたんに子供が地面に大の字に引っくり返り、あたり中に響く大声で泣き叫んだ。
武士は慌てた。誰かこれを見て何と思うか。
子供は身体を瘧のようにぷるぷると震わせ、口から泡を吹いてぎゃあぎやあと喚き声をあげた。

(泣く子と地頭には勝てぬ)
「坊主、これでよいか。」
武士は地面に座り両手をついた。

とたんに子供がけろりと泣きやみ、立ち上がって勝ち誇るように言い放った。

「いご、気をつけよ!」

武士はすっかり酔いも冷め果て憮然とした顔で歩いて行った。
(しかし、坊主が言うた言葉にも一理はある)
呟いて、酔いざめにぷるぷるとふるえ、大きな嚏をした。

この癇癪玉こそ後に、明治維新動乱の世に、長州奇兵隊を結成した高杉晋作であった。










高杉晋作