◆鷹


かの鷹に風と名づけて飼ひ殺す/正木ゆう子

                          
季語は「鷹」で冬。鷹の種類は多く夏鳥もいるのだが、なぜ冬季に分類されてきたのだろう。たぶんこの季節に、雪山から餌を求めて人里近くに現れることが多かったからではあるまいか。一読、掲句は高村光太郎の短い詩「ぼろぼろな駝鳥」を思い起こさせる。「何が面白くて駝鳥を飼ふのだ。/動物園の四坪半のぬかるみの中では、/脚が大股過ぎるぢやないか。……(中略)これはもう駝鳥ぢやないぢやないか。/人間よ、/もう止せ、こんな事は。」。心情は同根だ。「風」などと格好良い名前をつけられてはいても、結局この鷹は、生涯颯爽と風を切って飛ぶこともなく「飼ひ殺」しにされてしまうのだ。「俳句」(2002年2月号)を読んでいたら、作者はこの句を、動物園で見たみじめな状態の豹に触発されて詠んだのだという。「あきらめきった美しい豹」。となれば、なおのこと句は光太郎詩の心情に近似してくる。ただ、詩人は「もう止せ、こんな事は」と声高に拳を振り上げて書いているが、句の作者はおのれの無力に拳はぎゅっと握ったままである。これは高村光太郎と正木ゆう子の資質の違いからというよりも、自由詩と俳句との様式の違いから来ているところが大だと思った。いまの私は「もう止せ」と静かに言外に述べている俳句のほうに、一票を投じたい。俳誌「沖」(1989)所載。(清水哲男)
~増殖する俳句歳時記より。




◆鷹/たか
三冬
 

のすり/八角鷹/熊鷹/鶚/青鷹/蒼鷹/もろがへり
 
ワシ、タカ科の中
形の鳥類の総称で、
色彩は主に暗褐色。
嘴は強く鋭く曲が
り、脚には強い大
きな鉤爪があり小
動物を襲って食べ
る。鷹狩に使われ
ているのは主に大
鷹である。蒼鷹(
もろがえり)は、
生後三年を経たた
かのこと。


鷹一つ見付けてうれし伊良古崎
芭蕉 「笈の小文」
夢よりも現の鷹ぞ頼もしき
芭蕉 「鵲尾冠」
鷹の目の枯野にすわるあらしかな
丈草 「菊の香」あら浪に山やはなれて鷹の影
麦水 「葛箒」
落し来る鷹にこぼるる松葉かな
白雄 「白雄句集」
鷹来るや蝦夷を去る事一百里
一茶 「寛政句帖」
~きごさいより。




◆クロッキー 鷹




鷹見えて日本の空となりにけり

山を統べ海を従へ鷹の舞ふ

鷹を据ゑ腕は古木と化しにけり

鷹の目や太陽白き炎立つ

鷹匠の目と鷹の目のこうさ重なれり

日輪へ飛びこむ鷹や黒き影

獣園の空の狭きにもろがへり

鷹消えて天のさびしくなりにけり





◆芭蕉の言葉


心に風雅あるもの、ひとたび口にいでずといふ事なし。




心に詩があれば自然に詞(ことば)となる。





鷹で一句どうぞ。