◆春近し


叱られて目をつぶる猫春隣/久保田万太郎
                      
二月。四日は立春。そして、歳時記の分類からすれば今日から春である。北国ではまだ厳寒の季節がつづくけれど、地方によっては「二月早や熔岩に蠅とぶ麓かな」(秋元不死男)と暖かい日も訪れる。まさに「春隣(はるとなり)」だ。作者は、叱られてとぼけている猫の様子に「こいつめっ」と苦笑しているが、苦笑の源には春が近いという喜びがある。ぎすぎすした感情が、隣の春に溶け出しているのだ。晩秋の「冬隣」だと、こうは丸くおさまらないだろう。「春隣」とは、いつごろ誰が言いだした言葉なのか。「春待つ」などとは違って、客観的な物言いになっており、それだけに懐の深い表現だと思う。新しい歳時記では、この「春隣」を主項目から外したものも散見される。当サイトがベースにしている角川版歳時記でも、新版からは外されて「春近し」の副項目に降格された。とんでもない暴挙だ。外す側の論拠としては、現代人の「隣」感覚の希薄さが考えられなくもないが、だからこそ、なおのこと、このゆかしき季語は防衛されなければならないのである。(清水哲男)
~増殖する俳句歳時記より。



◆春近し/はるちかし
晩冬
 

春隣/春隣る
明日の春/春信
春まぢか/春を急ぐ
春遠からじ
 
寒さも峠を越して、
春が訪れようとす
る感じをいう。
「春待つ」には心
持ちが入るが、春
近しはその季節の
感じを詠む場合が
多い。   



春近く榾つみかゆる菜畑哉  
亀洞 「あら野」
一吹雪春の隣となりにけり 
前田普羅 「普羅句集」
借りし書の返しがたなく春隣 
松本たかし 「石魂」
~きごさいより。



◆クロッキー
春近し


うすぐもる三面鏡や春近し

ひたひたと波やはらかに春近し

春近し農学校の時計台

春近し娘へ紅をプレゼント

春近し大足の男来て座る

春近し藻屑のやうなをんな佳き

きびきびと花屋の妻に春近し

春近しふとおもひだす相聞歌

湧水の池のにごりも春近し

春近し妻に借りたる白髪染




◆芭蕉の言葉


発句の事は行きて帰る心の味はひなり。



発句(俳句)は季語(季節)に始まり、又、季語(季節)へ帰る。

季語とは季節の事であり、俳句は季節に添いて心を詠む詩である。




春近しで一句どうぞ。