◆寒明


われら一夜大いに飲めば寒明けぬ

                           石田波郷
森繁久弥の歌で知られる「知床旅情」の一節を思い出した。「……飲んで騒いで丘に登れば はるか国後の白夜が明ける」。いずれも青春の一コマで、懐かしくも甘酸っぱい香りを放っている。詩人の永瀬清子に、ずばり『すぎ去ればすべてなつかしい日々』という本があるように、郷愁は文芸の大きな素材の一つとなってきた。「子供にも郷愁はあるのです」と言ったのは、辻征夫だ。ところで揚句の「飲めば」とは、俳句でよく使われる日本語だが、どういう意味(用法)なのだろうか。いつも引っ掛かる。みんなで大いに飲んだ「ので」、さしもの寒も明けたのか。そんな馬鹿なことはない。飲んだことと寒が明けたこととは、まるで関係がないのである。「飲めば死ぬ、飲まなくても死ぬ」とは、どこの国の言い習わしだったか。少なくとも、こうした用法ではない。「飲めば」は、原因や条件を述べているわけではない。かといって「待てば海路の日和あり」のように、飲んでいる「うちに」と時間の経過を表現した用法と解釈すると、ひどくつまらない句になってしまう。アタボウである。日常的には、とうてい通用しない言葉遣いだと言うしかない。が、面白いことには、誰もが句の言わんとしていることは了解できる。『新歳時記・春』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)
~増殖する俳句歳時記より。



◆寒明/かんあけ

初春

寒明ける/寒の明け/寒過ぐ

節分までの約三十日間が寒であり、それが終わるのを寒明けとい う。節分のころのこと。
~きごさいより。




◆クロッキー
寒明 悠


白鳥の大き羽音や寒明ける

寒明けの蛇口の水をたなごころ

寒明や托鉢僧の足のゆび

噴井の水まだはやし寒の明け

寒明けのむつちりとする膝小僧

寒明けと雖も徳利手放さず

寒明けの筆文字うすく滲みたり

寒明けの猫にやんと鳴き犬吠ゆる

寒明や片手挙げたる招き猫




◆芭蕉の言葉

物の見えたる光、いまだ心に消えざる中にいひとむべし。


忘れぬうちに書き留めよ。



寒明で一句どうぞ。