3月11日。


忘れもしません。


あの日、私は、生後8ヶ月の娘をお腹に乗せ、寝てました。


そしたら、携帯電話の地震速報が鳴りました。


私は、とっさに起き上がり、娘を抱え、トイレに逃げ込みました。


トイレは、落ちてくるものが何も無かったから。


地震の揺れは、すごーーーーーく長かった。おそらく1~2分は揺れていたように感じます。


今まで体感したことが無い揺れ。本当に怖かった。


私は、娘を前にしているので、大丈夫だよと言いつつも、手は震えていました。


これが、宮城県沖地震が99%来るといわれていたものかと。


すぐに父からメールがあり、家族全員無事の連絡は取れました。


ただ、私がいた所は、海に近いほうだったので、『そこから逃げろ!』と言われたので、とりあえず逃げることにしました。


でも、玄関のドアがいくら開けようとしても開かず、隣の部屋の窓を開け、


開けたまま鍵もかけず、実家に車で逃げました。


逃げる際、近所の人たちも、歩いて逃げていました。


道路は、渋滞。


そうです、あたりは停電してしまい、譲り合いながらの運転でした。


着いたのは18時位だったかな。もう辺りは真っ暗でした。


家には誰もいませんでした。


母は、ちょうど盲腸で入院。→こんな時に、いいんだか悪いんだか。。。


父は福島に出張で高速道路にいるとのこと。


旦那は会社。


妹夫婦も海よりなので、実家に逃げて向かっているとのこと。


私は、娘と二人っきりなので、堂々としたかったけど怖かった。


余震も半端なくあるし。深夜まで娘と二人、みんなを待っていました。


その後、妹、父は実家につきました。妹の旦那は会社から自分の実家に逃げたとのこと。


深夜、メール、電話が一切連絡つかなくなりました。


会社にいる旦那は、津波が来てしまい、みんなで最上階に避難しているというメールで終わってしまいました。


そこから連絡が取れなくなってしまい、不安で仕方ありませんでした。


つづく。