短編小説   鉄火の剣 | 天上堂のちょっとそこまで

短編小説   鉄火の剣

「我が名は、鉄火!!いざ、いざいざ、参られよ!」
 ボロにボロを着せたような格好と、錆びた刃物で削り取ったような、髷の無い頭、異様な形状をもつ、大きな鉄クズ。男は甲高い声で、全身から声を発した。二万の軍勢を前に一人で戦いを挑む。男は確かにそう宣言したのだ。

二万の軍勢を率いる、堀川惣次郎は唖然とした。
――開いた口が塞がらないとは、この事だ
 飛騨の山奥に、今もなお聳える古城の中に惣次郎が求める鈴姫が居る。先の戦により、本城を落とした際に逃げだした、絶世の美女だ。惣次郎は主君の言葉を思い出して身震いする。本城が落ちた直後の反応と、その後悪い知らせを聞かされたときの反応には、天と地ほどの差があった。下卑た妄想に顔を歪めていた主君は、一変して鬼の形相になった。
『鈴姫を手に入れられなかった時は、死ね!その場で武士らしく切腹せよ!』
 惣次郎を始めとする二万の兵達全員に、同様の通達があった。期限は今日の夜。既に日は山に差し掛かり、赤い光を放っている。時間が無い。
――急がなければ・・・だが・・・
少なからず、惣次郎も目の前に居る鉄火という男の力量を見誤っていた。二万と言わず、一人二人ぶつければ、すぐに決着はつくと思っていた。
――だがこれはどういうことだ!

『一騎打ち』
 鉄火はこの言葉で他を翻弄した。
『貴君らも武士である以上、己が体一つで立ち向わんで、なんとする!どうした!・・・矢をいるか、この愚か者どもが。おぬし等の剣が泣いておるぞ!恥を知れ!一人で来い!腰抜けが!』
 齢二十ほどの若い男、それも武士ではなく、ただの刀鍛冶であるという男に言われたのだ。怒るな、と言うほうが難しいというものだ。誇りを傷つけられた武士達は、言われるがまま男に立ち向い、そのことごとくが粉砕された。先陣を切り、一人の男が躍り出たのは、今からほんの半刻前だ。そして今、城門の前は男の亡骸により、絨毯が敷き詰められたように赤く染まっている。
 横たわっている男は、かつて負け知らずであった重臣、半兵衛だった。
 この事実と、鉄火のなんとも言いがたい雰囲気に、二万弱の兵士達は動揺を隠し切れない。ただ半兵衛が斬られただけなら、惣次郎も動揺はしなかっただろう。だが、半兵衛が一合も刃をあわせることなく倒れていったのだ、異様だと言うしかない。一太刀というべきか。一撃で葬られた。
 もはや、日は完全に落ちている。地面がどこにあるのかすら見えないようになると、鉄火は一言言い放つ。
「姫が目当てか?ならば諦めるがよいわ。私がここに居る限り、姫は死なぬ!私が打ちひしがれようと、我が秘剣ゆえに、貴様達は何も得られぬ!分かったら、去れ」
 地の底から這い出るような、だが高く若い声に、惣次郎は一度身震いする。惣次郎の顔にうっすらとではあるが、焦りが浮かび始める。手綱を握る手が滑るのを感じるや、はっとなり、両手を確認する。赤く両手に手綱の跡が残っていた。
――血が滲むほどに手綱をにぎっていたのか。気圧されているというのか・・・この男一人に対し、二万の軍勢が、気圧されていると言うのか!
 半刻前なら、自分が出ようと思っていたが、半兵衛と鉄火の死合いを見て、考えが変わった。

「大将の手はわずらわせません」
 半刻前、脇差より少し長く拵えた特注の刀を用いて、幾分武士離れする戦いで有名な半兵衛が名乗り出た。半兵衛は剣術には詳しいが、実際に習う事がないままに戦場に出たため、知恵を絞って戦法を考える癖がついている。最近よく使うのは『蟷螂』(カマキリ)と呼ばれる戦法だ。
 刀の柄―通常は存在しない、小さな輪っかがついている―に鎖を絡めておき、死合いになるとその鎖を腕にも絡めて走り出す。走った先で居合いのように刀を抜き、鎖をつけたまま刀を手放し、弧を描く軌道で刀を振り、通常ではありえない間合いで相手に攻撃を仕掛ける、というものだ。
――負けるはずが無い
 半兵衛はそう確信し、軍勢の中から駆け出した。だが、鉄火も同時に駆け出した。
「なに!」
 二人の影が交差する。半兵衛はやむを得ず、居合いに切り替え、刀を振り切る。鉄火は半兵衛が刀に手をかける前に、後ろに半歩下がる。刀身がきら、と走り、鉄火の胴あたりの服が裂ける。すかさず半兵衛は柄を持つ手を緩め、返す刀を勢いよく鉄火の喉に向けて放つ。
――秘剣、蟷螂
 そこで、鉄火が前に踏み込む。半兵衛は目をむいた。
――まずい!鎖で伸びた分、間合いが!
 鉄火の持つ鉄の塊が地面を擦りながら上がってくる。半兵衛の鼻をつく、肉を焼く臭い。半兵衛が見ると、鉄火の手は焼けただれ、今や黒ずんでいた。
――まさか!こやつの秘剣とは
 半兵衛が声を上げようとした瞬間、鈍い音が荒野を駆けた。

「やむを得ん・・・放て」
 惣次郎はゆっくりと左手を天高く掲げる。兵達がにわかに動揺する。矢を放て、との合図だ。
「し、しかし」
「このようなことで、切腹したくはないだろう」
 この一言に、一同が揺らぐ。
「放て!」
 鉄火の前に、弓兵が数十名現れる。鉄火は不敵に笑い、最後に惣次郎を見据える。
「後悔するぞ。貴様は、必ずな」
 全員が矢を放つと、無機質な音が荒野を走り、鉄火は絶命した。
――後悔?我が主君に仕えた時から、ずっと後悔しておるよ
 惣次郎は一人呟き、自虐的な笑みを浮かべて城に入っていった。

「姫は?いないと申すのか」
刻一刻と時が迫る。逃げたかとも考えたが、城は二万の軍勢で囲み、常に気を配っていた。それはありえない。惣次郎の胸に、一つの懸念がよぎる。もう一つの、ありえない事態。
 惣次郎は足早に城門に戻る。すると、妙な人だかりが確認できた。
「ほ、堀川殿」そこにいた武士達の顔が、歪み、恐れおののいていた。
 誰が脱がせたのか、鉄火のボロをはいだ者がいる。金になる物を探していたのだろうが、それ以上に見てはいけないものを見たのだ。ボロで隠れていた胸が盛り上がっており、その所々が矢で貫かれているのが分かる。
「鈴姫、なのか」
 美女でありながら、強い将軍として名高かった鈴姫。だが非力な女ではやはり勝てないはずだが。惣次郎は、彼女が持っていた鉄の塊を持ち上げてみた。
「つっ」
 篭手越しにも伝わってくる熱量。見た目以上に鋭い刃先。半兵衛に刻まれた切り口を見れば分かった事だった。燃えるような熱く重い剣で目を焼かれ、怯んだところに薙ぐような一太刀。初戦でやられれば、惣次郎であっても一撃で葬られたに違いない。
「ふ・・・鉄火の剣、か。ふふ・・・ははは、はっはっはっはっは!」
 惣次郎は笑った。悲しみと嬉しさを入り混ぜた奇妙な顔で、空を仰ぎながら大きく笑った。
――まさか、こうまでして我が主君を拒むとは。我侭を通り越して、爽快だな

 惣次郎は、ひとしきり笑うと、呆然とする重臣達に告げた。
「介錯を頼む。それと・・・これが終わったら、皆は逃げるといい。わし一人で充分じゃ」
 隣に居た武士が頷く。と、また惣次郎は笑った。これまで忘れていた笑いだった。
――介錯を頼まんと、ろくに腹も切れぬとは、難儀よの
 腰から小刀を取り出す。月光により、刀身がきらめく。介錯人に会釈すると、惣次郎は天に向けて大きく言い放った。
「鈴姫様の秘剣、確かにお見せいただきましたぞ。お見事!」

 そう叫ぶと、惣次郎は自ら腹を突き刺し、果てた。


鉄火の剣_Ver2