LME内の休憩室のソファーに腰掛け、目の前の自動販売機を優に通り越した更にその先を見据えるキョーコ。
 
 
(敦賀さんの……元カノ……エイミー……)
 
 
その言葉が頭の中をぐるぐるとループしていた。
 
ホットで買ったはずのミルクティーは、キョーコの両手の平の体温をじわりじわりと奪うほどに既に冷たくなっていた。
 
瞬きをほとんどしていなかったのであろう瞳が乾燥していることに気づいてゆっくりと目を閉じたその時、コツンとキョーコの頭頂部を誰かが優しくノックした。
 
 
「……?」
 
 
頭を押さえて振り向くと、そこにはーーー
 
 
「やぁ、最上さん。
 隣……いいかな?」
 
 
蓮がキョーコの背後から回り込んで、すっと隣に腰掛けた。
 
 
「………………。」
 
 
だが、キョーコは蓮にかける言葉が見つからない。
 
蓮はそんなキョーコの俯いた横顔と、プルタブの開けられていないミルクティーを握りしめる細い指を静かに眺めた。
 
 
「最上さん、指輪……今日はしなかった?」
 
 
「っ!」
 
 
指輪……そのワードに朝の自室でのことを思い出したキョーコは、はっとしたように顔を上げた。
蓮が指輪のことを知っている……ということは……
 
 
「あのっ……あの指輪ってーーー」
 
 
『ハァイ!蓮、キョーコ!』
 
 
『エイミー……』
 
 
『二人で休憩中?私もいいかしら?』
 
 
『……どうぞ。』
 
 
ダメとも言えない蓮は承諾をすると、エイミーは自動販売機でコーラを買って、二人の前のハイテーブルに肘を置いた。
 
 
『ねぇ、聞いて蓮。
 キョーコってば、妖精が見えるのよ?可愛いと思わない?』
 
 
『妖精……』
 
 
その言葉に蓮がキョーコの方を見ると、ミルクティーの缶を先程までよりも強く握りしめて再び下を向いている。
 
 
「私……帰ります……」
 
 
蓮とエイミーのどちらとも目線を合わせないまま立ち上がって去っていったキョーコ。
 
 
「待って、最上さん!」
 
 
するとエイミーが蓮の腕を掴んだ。
 
 
『お願い、追いかけないで……
 もう少し、あなたと話をしたいの。』
 
 
『……ごめん、エイミー』
 
 
蓮はエイミーを振り払ってキョーコを追いかけた。
 
 
「最上さん!」
 
 
「っ!離して下さい……」
 
 
「ちゃんと、君と話がしたい。
 俺は今から撮影があるけど、終わったら連絡する。」
 
 
「っ……」
 
 
 
その後だるまやの自室に戻ったキョーコ。
 
指輪のことも、エイミーのことも、何もかもが分からなくなりぐちゃぐちゃになったキョーコは、ひたすら布団の中で泣きじゃくっていた。
 
指輪の箱をしまいこんだチェストは再び開けて見る勇気もなく、ただただ涙を流し続けた。
 
 
すると、震える携帯。
 
 
表示名は、"敦賀さん"ーーー
 
 
キョーコは、その電話を取ることが出来なかった。
 
 
 
翌日。
 
ラブミー部の部室で一人作業をしていたキョーコ。
 
そこへ誰かが訪ねてきた。
 
 
コンコン
 
 
「はい、どうぞ?」
 
 
『はぁい、キョーコ。』
 
 
エイミー……。
キョーコは泣き腫らした目を見られたくなくてエイミーから目を反らした。
 
 
『ねぇ、キョーコ?昨日私に聞いたでしょ?
 何で蓮を "コーン" って呼んだのかって。
 私……そのことで蓮に怒られちゃったの。
 コーンって呼ぶなって。今は芸名の蓮って呼ぶようにって。
 だから、そのことは内緒……ね?』
 
 
芸名……
そうだった。
敦賀蓮が芸名だというのは、前にレイノとのことがあったときに知っていた。
 
でも……じゃあ……?
 
 
『あとね、キョーコ……一つだけ教えて?
 蓮とキョーコはステディなの?』
 
 
『ステ……ええええっ!!?』
 
 
キョーコは椅子ごとひっくり返りそうになった。
すぐにぶんぶんと首を左右に振り、全力で否定した。
 
 
『ふぅん……。でもおかしいわね……彼があんなに必死にキョーコを追いかけるなんて……』
 
 
『え?』
 
 
昨日のこと……?
 
 
『彼ってね、とっても淡白なのよ。
 付き合ってる時はとにかく優しいんだけど……何て言うか……それだけ……って感じ。
 だからいつも不安だったの……。
 私のこと……ホントに好きなの?って。』
 
 
急に蓮との過去の恋愛を語り始めたエイミーに、キョーコは聞きたくない気持ちと、それでも知りたい……という相反する気持ちで、何も相槌も出来ないままにただ話し続けるエイミーを見ていた。
 
 
『私のこと好き?って聞くとね、好きって言うの。
 でもね、思ったわ。彼の好きは、LOVEじゃなくてLIKEなんじゃないかって……。
 そう思い始めたらとてもとても寂しくて……。
 だから私から言ったの。お別れしましょう?って……』
 
 
寂しそうな表情で語るエイミーから目が反らせなくなってきたキョーコ。
胸をぎゅうっと掴まれたように苦しくなってきていた。
 
 
『でも私がそう言ったら慌てて追いかけてくると思ったわ。
 だって、好き同士で思い合っているんだもの。
 彼が必死に私に待ってくれ!って言ってきたら、すぐに冗談よって言おうと思ってたわ。』
 
 
『…………。』
 
 
『そしたら彼、何て言ったと思う?』
 
 
『え……と……』
 
 
話の流れからいい答えでないことは想像できたため、キョーコは言葉を詰まらせた。
 
 
『ふふふ、彼ったらとっても綺麗な顔で笑ってね……
 "分かったよ、今までありがとう" って……』
 
 
『ーーーっ!!』
 
 
『信じられる?
 私のこと好きなら追いかけてよ!って思ったわ!!
 でも……私も若かったから……意地になっちゃってね。
 彼とは……それっきり。』
 
 
自嘲気味に笑うエイミーにすっかり同調してしまったキョーコは、とても哀しい気持ちになった。
 
 
『だからね?昨日は驚いたわ。
 彼が演技でもないのに、必死に女の子を追いかけるんだもの。』
 
 
『え……
 でもそれは……そういうんじゃないですよ……。
 私が……至らない手のかかる後輩だから……』
 
 
『手のかかる後輩……ね。』
 
 
語り尽くしたエイミーは、セクションの主任に呼ばれる時間だからとラブミー部をあとにした。
 
 
私は違う。
私はそんな風に敦賀さんとお別れしたりなんてしない。
だってそもそも、私と敦賀さんはそんな関係にすらならない、ただの先輩後輩だもの……。
 
でも……敦賀さん……エイミーに、好きって……言ったんだ……。それがたとえLIKEだったとしても……。
 
 
 
キョーコは、垣間見えた蓮とエイミーの過去の様子への嫉妬と、辛い別れをしたエイミーへの同情とでまた思考がぐちゃぐちゃになり始めた。
 
その時、再び部室の扉がノックされたーーー
 
 
「はい……」
 
 
「……いいかな?最上さん……」
 
 
キョーコはビクンと肩を震わせた。
 
 
「すみません……っ」
 
 
「……それって、昨日……俺の電話に出てくれなかったこと?
 
 それとも……指輪を渡したときの……返事……とは思いたくないな。」
 
 
「へ?」
 
 
キョーコはすっとんきょうな声を上げた。
そういえば、あの指輪……!
立て続けに起こったエイミーとのことで指輪の記憶が薄れかけていたキョーコ。
 
 
「……俺が言ったこと……ちゃんと覚えてる?」
 
 
「……えっと……あの……その……」
 
 
「クスッ……やっぱり。」
 
 
目を泳がせるキョーコを見て笑う蓮。
 
 
「あの指輪……って、その……敦賀さん……から?」
 
 
「そう、ホワイトデー。それも覚えてない?」
 
 
覚えてないも何も、あれは夢では……?
キョーコは、夢の記憶を辿り始めた。
 
 
「プリンセスローザと同じ石がなかなか手に入らなくて、ホワイトデーに間に合わなかった。
 どう?思い出せそう?」
 
 
「……は……い、その辺りは……」
 
 
ということは、あれは夢ではなく?
 
 
「君の薬指に嵌めて、これは予約って……」
 
 
「……っ!///」
 
 
夢と同じ流れ!!
 
 
「好きだよ……最上さん。
 
 返事は急がなくていい。とりあえず俺の気持ちだけ知ってくれれば。」
 
 
「ーーーーっ!!?///」
 
 
「良かった。今度は倒れずに聞いてくれたね。クスクスッ」
 
 
「倒れ……っ!?」
 
 
「あぁ。最上さん、俺が告白したら倒れちゃって……。
 俺が下宿先まで送り届けたんだ。」
 
 
「こくはくぅっ!!?///」
 
 
「うん。ゆっくりでいい。考えておいて……。」
 
 
蓮はキョーコの左手を掬うと、薬指に軽く唇を触れさせた。
そしてまた連絡するからと言って出ていった。
 
 
あれは……夢じゃなかった……
 
 
キョーコは耳の先まで真っ赤に染め上げ、蓮にキスされた薬指を見つめていた。
 
 
でも…………。
例え仮に蓮と付き合ったとして、蓮は決して自分を追いかけない。
別れはきっとエイミーと同じだ。
別れが見えているのに一歩踏み出していいものか……キョーコはまたも坩堝に陥り始めた。
でもどうして自分を……
敦賀さんには好きな人がいるはず。
その人とうまくいかなかった……?
 
 
煮詰まった思考を整理するため、まだ作業の残る仕事を捗らせようと、キョーコは休憩室の自動販売機へと向かうことにしたーーー。
 
 
一方ラブミー部の部室を出た蓮は、またもエイミーと出くわしていた。
 
 
『ねぇ、蓮?
 今……ステディは……いるの?』
 
 
『どうしてそんなことを聞くの?』
 
 
『そんなの、決まってるじゃない。』
 
 
エイミーは蓮の腕をつうっとなぞる。
 
 
『ステディはいないよ。
 でも、心に決めた女性はいるーーー』
 
 
『それって……
 いや、いいわ。
 
 じゃあ、相手だけ……して?』
 
 
『え……』
 
 
『だって、他のどの男としても満足出来なかったわ。
 あなたとのことが……ずっと忘れられなくて……』
 
 
『何をまたそんな……』
 
 
蓮はエイミーの手を押し退ける。
 
 
『ホントよ?
 
 あなたとが一番……良かったわ。
 だからお願い……もう一度だけーーー』
 
 
キョーコは、自動販売機に辿り着く前に、植え込みの陰で身動きが取れなくなった。
 
蓮とエイミーが……
当たり前だ。
以前付き合っていたのだから。
だって、蓮は過去にきっとキスマークを付けるため女性を何度もしつこく吸ってきちゃったことのある、天然タラシでコマシな抱かれたい男No.1。
 
そういった経験があって当たり前。
 
でもーーー
 
キョーコはその場に蹲った。
 
胸がきつく締め付けられるように凄く苦しい……
息がうまく吸えない……
頭の中の血管が破裂寸前なんじゃないかと思うほど、ガンガンと鳴り響き、眼に涙が溜まってくるのが分かったーーー。
 
 
苦しい…………
 
 
 
でも…………
 
 
 
私やっぱり…………
 
 
 
敦賀さんが…………
 
 
 
 
………………好き………………。
 
 
 
 
 
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