高木政権時の切り込み隊長といえば・・・
中日 → 西武 清水 雅治 さんです!
三菱自動車川崎より、1988年 ドラフト6位で中日ドラゴンズへ入団。ドラフト6位だったものの、背番号は「4」でした。
1年目は21試合に出場。プロ初ヒットも放ちますが、定着はならず。
そして、監督が星野 仙一から高木 守道監督に代わった1992年に、レギュラーとして起用され、チームトップの14盗塁を記録。
1995年まで主力選手として活躍します。
1990年から93年までは、背番号「42」 1994年のみ「40」、1995年には再び「4」に復番されました。
そして、1995年のシーズンオフ。
村田勝喜、山野和明投手とのトレードで、前原 博之内野手とともに西武ライオンズへ移籍します。
星野流の高木色一新だったようですね。
「機動力野球」を掲げていた、当時の西武で外野・代走のスペシャリストとして活躍。
コンスタントに活躍し続けたものの、2002年。コーチ専念のために現役を引退。
その後は、
西武 → 日本ハム → ロッテ と、引退した後途切れることなく、コーチとして球界に残られています。
相手の嫌なところをつく戦術を得意とするコーチです。