今日は光のページェントまでは見れなかったものの
久しぶりに夫とみーちゃんと大好きなスワロフスキーのクリスタルや天使の置き物などが
あるお店に寄ったり、かつてお世話になっていた図書館に寄ったりと街を堪能できました


夜うちに帰って来て、みーちゃんを寝かしつけ、BSでやっていたサタデーナイトシネマの
『幸せのポートレイト』を見ていたら、みーちゃんが起きて泣きだしました。


いつも一度寝かしつけてから、しばらくするとみーちゃんは周りに誰もいないのを感じ取ってか
目を覚まして泣きだします。
(わたしたちはすぐ隣の部屋で、ふすま一枚でみーちゃんのいる部屋を暗くしています)


今日も映画を見ながらみーちゃんが泣きだしたのでまた寝かしつけようとしていて
いつもなら手をほっぺたにくっつけるとすぐにまた眠りにおちるのに、今日は目を開けてしまいました。


不思議だなぁと思いながらも、みーちゃんを両手に抱きしめ、ゆらゆらすると私の抱いている腕を
ぎゅぅっとつかみます。


その時、映画の影響なのかなんなのか、よくわからない不思議な感情が湧きました。


一生懸命眠りに入ろうとするみーちゃん。

わたしの腕をきゅぅっとつかんでいるみーちゃん。

私がいないと、誰かが何かしてくれないと自分ではまだ何も出来ないみーちゃんが
とても とても愛おしくなったのです。


心から、あぁ、この子を大事にしようって思いました。


今までは、自分でしっかり産んだし、夫も立ち会い出産で見ていてくれたのだから
れっきとした自分の赤ちゃんなのに、どこか他人事のように感じている部分もありました。


お世話をしながらも、自分のことをママと言いながらも、どこか本心からお母さんになりきって
いなかったような気がするのです。


でも、今日この瞬間に、私の中にやっと母性が、母としての自覚が芽生えたんだと感じました。


みーちゃんがこの世に誕生して6カ月と2日。


やっとやっと、わたしがお母さんというものに入って行ける気がします。


これから私はこの子を心から大事にしようとどこかで誓った瞬間。


きっとみーちゃんを大事にするということは、どこか幼かったころの自分自身をも投影して
自分自身も大事にするということ。


自分を大切にするということは、家族も大事にするということ。


そういったものが少しずつ広がっていって、やがて周りの人も、どこかで偶然出会った人も
これからいつか出逢う人も 周り全部を大切に、大事にしていくってことなのかもしれない。


そういう大切な輪の中のまん中にみーちゃんがいて、わたしがいて、夫がいる。

大げさかもしれないけど、世界の平和ってこういうところから生まれてゆくのかもしれない。


そんなことを想った夜を


クリスマスの前に経験できたことに


みーちゃんが8年越しにやって来てくれたことに


気付かせてくれたことに


感謝します