実名告発 創価学会 ああ、私の創価も南無妙法蓮華経 釈迦ヶ岳 富士山麓登山日記26 | ラケットちゃんのつぶやき

ラケットちゃんのつぶやき

ブルセラコスチュームで、あちらこちらに出かけてます。
最近は、主に富士山麓の山に登ったときの、雄大な富士山と、自身の写真をつけてます。
ブルセラアイドルの夢を見ながら、日常の現実に対するいろんな思いを綴ります。

 

皆様、いつも、お越しいただいてありがとうございます。
皆様に、毎日毎日ペタやいいねを励みにしております。私、とっても嬉しいです。

もう12月ですね。慌ただしくなってきましたが、クリスマスとお正月が楽しみです。
だけど思わぬ雪や凍結もあり、空気の乾燥などでインフルが流行っています。

どうかお体を大切になさってくださいませ。

 

某年11月末、晴れ
この日のコスチュームは、緑の冬セーラー服にミニスカート、緑のブルマ。
某CMに出ていたキャラクターのコスプレです。
河口湖駅から富士急バスに乗って、すずらんの里入口バス停で降り、少し戻って、分枝を北側に折れ、すずらんの里に向かって舗装された蕪入沢芦川林道を登っていきます。
8時25分 釈迦ヶ岳登山道への分枝です
これを北に入って、林道を登っていきます。
険しい岩山、屏風岩が見えます。
8時55分 やがて林道は終点になり、そこから登山道に入ります。
9時30分、尾根に出ました。右折して檜峯神社への分枝を過ぎます。このルートはずっと登りばかりです。
天気が急変してきました。雲が迫ってきました。今日の予報は一日中晴れだったのに。
殆んどが急な岩場、登山道は不明瞭、登りロープがある部分のみ明瞭です。でも頂上の方角ははっきりしています。バランスを崩さず登っていきました。たまに振りかえると、足元は切り立った崖。
かなりの風が吹いています。
10時30分、釈迦ヶ岳山頂(高度1641m)です。
南無妙法蓮華経の碑があります。
北向きに2体のお地蔵さんが座っています。
おしゃれな頭巾にスカーフ
南側は御坂山系の山々、その向こう側の富士山は雲で隠れています。
北側は甲府盆地を隔てて秩父山系、北アルプス~南アルプス、東は十二ヶ岳、ほぼ360°の展望です。
尖った岩がいっぱいあります。

いいなあ。ヤッホー
ここで勤行をしました。

南無妙法蓮華経の碑を脇にして、太陽の方を向いて、方便品第二、如来寿量品第十六、その後に南無妙法蓮華経の唱題です。
みんな、大自然が同志のようです。

自撮りです。
突風が強いなあ。おさまったと思ったら、突然前から横から後ろから。

風が雲を押し流して、富士山みえてきました。

登山口あたりから見えた屏風岩の上あたりです。
ウィッグはぐちゃぐちゃ、スカートもふんわりと、時には激しく・・・
ブルマ履き替えて・・・

尖った岩と戯れるのが好きなラケットちゃんです。
ぽかぽかとあたたかい日差しが。


奇麗だった紅葉はほとんど落ち葉となってます。皆散っちゃった後です。
落ちた葉っぱや実が、次の素晴らしい若葉や花の養分になるのですね。それがなければ次の世代が生きていけないのね。

 

花は根にかへり真味は土にとどまる、此の功徳は故道善房の聖霊の御身にあつまるべし、(報恩抄、日蓮大聖人御書全集)
美しい花は大地に散って根の栄養となり、熟した果実も土にとどまって新芽を育む。
日蓮が一生を捧げた南無妙法蓮華経の功徳は、今は亡き師匠:道善房の聖霊の御身にあつまるであろう
。(私風現代語訳)


 

16時10分
日がかなり傾いてきました。

もう降りなくっちゃ

 

乃至法界平等利益、自他俱安同帰寂光
世界の平和と一切衆生の幸福のために

 

 

 

 

 

 創価学会創立記念日である11月18日、衝撃的な本が出版された。

実名告発 創価学会 、野口 裕介 (著), 滝川 清志 (著), 小平 秀一 (著) 株式会社金曜日出版

「平和」を掲げてきた創価学会はなぜ変質したのか――。
学会本部の中枢から排除された3人の元青年職員が、「愛する創価のため」権威主義化した本部を徹底糾弾。 
「平和」を掲げてきた創価学会はなぜ変質したのか―。学会本部の中枢から排除された3人の元青年職員が、「愛する創価のため」権威主義化した本部を徹底糾弾。

早速、購入、読んで驚愕した。
日蓮正宗改革同盟のような出来事が、創価学会の内部から起こりそうです。

著者たちは、創価学会の会員2世で、熱心な学生部員であり、それぞれの大学に在学中、本部職員の試験を勧められて合格、宗教法人創価学会の職員として、公私ともに広宣流布に身を捧げていた。
創価学会員は、池田先生を人生の師と仰ぎ、日蓮大聖人の仏法を世界に広めるという、崇高な使命の下に活動している。その上、本部の職員といえば、仏法の目で見ればエリート中のエリートで、大いに福運も積めるし、使命を全うする充実した人生に違いない。
それが・・・

 

以下、それを引用しながら綴ります。
・・・東京・信濃町。創価学会の会員が世界中から集い合うこの地には、創価学会本部をはじめ、広宣流布を誓う勤行会が行われる「広宣流布大誓堂」や創価文化センター(展示施設)、聖教新聞本社など創価学会に関係する主要な建物が建ち並ぶ。
ここは創価学会員であった私たちにとって、人生の師匠である池田大作先生との出会いを幾重にも刻んできた大切な場所。数年前まで、私たち3人が創価学会本部職員として勤務していた職場でもある。その場所で私たちは”創価学会史上空前”の行動を起こした。
「創価学会史上空前の学会本部前での学会員によるサイレントアピール」・・・

 

それに至った経緯はこうだ。本部職員の横領疑惑問題などの不正、会員侮辱から一方的な除名問題などに対し、職員幹部に対話(お互いの考えを理解し合うための話し合いや、手紙のやり取りなど)を求めた。彼らの要請に答えることなく、3人は不本意にも福岡、四国、神奈川に配置転換された。それでも手紙を何通も書き、対話を実現しようとした。やがてこのことが「宗教法人の業務の遂行を著しく妨害する行為に当たる」として、2012年10月12日、私たちは創価学会職員を解雇された。
3人は学会本部に対し解雇無効を訴える裁判を提訴。その係争中の2014年6月18日、創価学会から一方的に次々と除名処分を受け、創価学会の会員である権利(=信仰活動の場)すら奪われた。
学会本部の弁護団は「創価学会会員資格を失った場合は解雇される」という規定をたびたび強調したという。(この規定は憲法違反ではないのか?職場としては憲法で保障されている信教の自由が認められていないのか?ツッコみたくなる)、一審は敗訴、控訴・上告審も敗訴となった。職員小倉が”捏造”した電話回数一覧表が証拠採用され、その作成時の原本データすら確認されなかったという。
2016年10月現在、著者ら3人は、学会本部に対し、懲戒解雇前に下された謹慎処分と配置転換命令の不当性を争う損害賠償請求事件を係争中。学会本部は、労働事件であるにもかかわらず「宗教団体の自律権」を掲げ、「裁判所の審判権が及ばない事項」などと主張しているという。

創価学会は絶対の善であると信じてきた著者らは、こうした苦難と向き合う中で、学会本部を「完成された世界」として絶対視することが間違いであることに気付く。
学会本部が未完成なるが故の対話不在の問題は、師匠が望む学会本部を築く上で不可避と悟る。


 謹慎や配置転換などという数々の不合理な処分にも屈せず、創価学会を良くし師匠に応えようと奮闘しつつも、首切りの危機に迫る著者たちの篤き情熱に涙が絶えませんでした。

以下、再び引用です。


・・・弁明書の作成を開始した。自分たちが師匠の指導を胸に必死に行動してきたこと、そして学会本部の最高幹部たちが師匠の指導に反する言動を繰り返してきた事実を書き綴る。おのおの約1ヶ月かけて弁明書を書き上げ、2011年7月31日までに懲罰委員会事務局の小倉賢三宛に送付した。
 懲罰を突き付けられ、ここで一歩でも引いたならば学会本部の実態を見てきた自分の使命はなくなると思えた。
 しかし、最悪の場合は解雇もありうる。解雇になれば収入は断たれてしまう。
 野口は「結婚してすぐに、四国へ単身赴任となった自分を支えてくれた妻に、さらに苦しい生活をさせることになる」と思った。
 妻のお腹には8か月になる子どもがいる。共働きできる状況でもない。毎月の家のローン、子どもの出産費用、おむつや子供服代だけでも、貯金はすぐになくなる。どれだけ節約しても家族を養い生活を続けていくには、別の仕事に就かなければならない。そもそも、解雇された自分を雇ってくれる会社などあるのだろうか。
 自分のことならば、いくらでも我慢できる。しかし、妻とお腹の子どもの事を思うと苦しくてならなかった。いろいろと考えても、正しいと思える具体的な答えは出ず、未来は全く見えない。

 

 弁明書を提出してから2ヵ月が経った9月28日、小倉から「懲罰委員会として10月5日に再び学会本部に招集する」という電話があった。今回も何のために呼ばれるのか、一切説明がない。
「懲戒解雇」-最悪な事態が何度も頭をよぎった。
 しかし、会員の無実を証明し学会本部を変える闘いだけは、師匠に誓って絶対に諦める訳にはいかない。そのためには、たとえアルバイト生活になっても家族を支えながら行動を続けていくしかないと決意。野口は御本尊の前に座り題目をあげつづけた。
「御本尊様!!何とかお腹の子どもと、妻を護っていただきたい!」

 面談、前日の夜、野口は四国から羽田空港に降り立つ。共に役職解任処分となった会員同志やその家族たちが温かく出迎えてくれた。地元の同志の家に皆で集まった。
 この同志たちとは、自分が学生部員の時から14年に渡って、共に苦難を乗り越えながら戦ってきた戦友である。一斉に役職解任された時には、生涯、広布の一兵卒として師のため、創価のために命を懸けることを誓い合った。
 四国に配転になってからも、上京するたびに「共に創価を変えるために、支え合うのは当然だ」と、毎回、毎回、羽田空港への車での送り迎えをして頂いた。
 こうした同じ思いに立つ同志の支えがあったからこそ、自分は創価を変える戦いを続けることができた。
 懲罰委員会の面談を前に、野口は同志に率直な思いを語った。
「明日の面談で僕は懲戒解雇になるかも知れません。解雇になったら、アルバイトをしてでも家族を支え戦います。」と。
 そう語る野口の姿は未来の見えない不安と緊張で、その表情はこわばっていた。当然と言えば当然である。
 それは集まった同志の誰もが感じていた不安だった。
 張りつめた空気が流れた。
 しかし、その静寂を破って同志は懸命に私を護ろうと、必死の形相で叱責したのである。
 「葬式のような暗い表情で何を恐れているの!!やっと正義のために首をはねられるじゃないか! 正しいことのために死ねるじゃないか! 師匠の前で胸を張って死ねるじゃないか! それが学生部の時から共に闘ってきた僕らの夢だったじゃないか!!」
 福岡は、涙を流すまいと必死にこらえている。野口の心は痛いほど分かっているのだ。だからこそ勇気を伝え抜こうと、さらなる形相で叫ぶ。
「のぐっちゃん! これだけ理不尽なことを本部で体験できるんだ! 先生の学会本部で体験できるんだよ! 難即安楽(※)じゃないか! 幸せじゃないか!これほどの幸せがあるかい!」
 そう語る福岡の目からついに涙がこぼれた。その場にいた同志みなが、その真心に嗚咽した。
 福岡はさらに涙を拭い、言う。
 「いいかい、のぐっちゃん!僕は君たち職員と誓った約束を一度も忘れたことはない! あの時、僕は職員に約束したはずだ! もし職員のみなが解雇になったならば、僕も仕事を辞める。そして、会社でも興そうじゃないかと」
 野口の目から涙が溢れた。あの時の誓いを同志が忘れていなかったのだ。これまでずっと、同志はその心で共に闘ってきたのだ!
 福岡は涙を流しながら、それでも届けとばかりに叫ぶ。
 「本部職員を解雇される! こんな有りがたい功徳に、もし心が引いたのであれば懲罰委員会に正義など叫べるわけがない!!やっと真実を伝えられるチャンスが来たじゃないか! のぐっちゃん! やっと正義を為す時が来たじゃないか!」
 その場にいた同志たちが涙ながらに次々と語り始めた。
 「僕はラーメンが大好きだから、みんなでラーメン屋でも始めようよ。みんな交替で店に立てば、創価を変える闘いも続けられる」
 「皆で保育士の資格を取って保育園を開くのはどうかね。みんな子どもは好きだし。そして夜は創価変革の戦いだ

 野口は、その真心に涙が止まらない。
 そんな簡単に、新たな仕事が興せるなど微塵も思っていない。同志の心が嬉しかったのだ。
 福岡は諭すようにこう語った。
 「一人で闘っているのではないよ。本部職員だけで戦っているのでもないよ。本部職員と会員とが共に戦い、共に支え合っていくんだよ。絶対に一人にはしない。それが、それが師匠の創られた、民衆のための創価学会だよ。だから絶対に一人にはしない!!」
 人生のなかで、こんなに泣いたことはない。
 同志は野口が解雇される不安と葛藤している微妙な一念を、敏感に感じとっていた。その一念では勝てない、男としても励ますのだと。先の見えない創価の不正との戦いに毛筋ほどでも臆す心があったならば、弟子の生き方を貫くことはできないのだと。
 野口は同志の真心に応えようと、決意を伝えようとするも、感謝の涙で言葉にならない。
 福岡は野口を見つめ、涙で顔をくしゃくしゃにしながら、それでも伝え抜くのである。
「のぐっちゃん!聞こえない!これから戦場に行くんだもの!それじゃ聞こえないよ!絶対負けないよ!」
 同志みんなのすすり泣く声が聞こえる。
 野口は止まらぬ涙に負けてはいけないと、力の限りを尽くして叫んだ。
「自分は・・・不甲斐ない弟子かもしれませんが池田先生の弟子です!!絶対に、最後の最後まで命の限り正義を叫び抜きます!!」

 真実の同志に出会えたこと。それが、自分の人生にとって最高最大の誉れであり、最大の幸福である。この同志の心を、生涯忘れることはない。師匠のおかげで、同志と出会えた。わが身を師匠のために捧げ抜くことこそ、僅かながらの恩返しである。
 師弟に生き抜く人生に職員も会員もない。立場も肩書きも関係ない。人生において大事なことは、誓願に生き抜く、我が勇気である・・・

 

 

私の脳裏にも、様々な池田先生の指導がうかぶ。
「言うべきことを、言わないのは、臆病である!思い切って言わなければ、変わらない!皆が変革のための声を上げていく。堕落した幹部は厳しく正す。ここに、これからの長い未来に向けて、学会を盤石にしていく重大な一点がある。」

 

更に私の脳裏に、この場面は、日蓮大聖人の弘教のお姿に重なった。龍ノ口の法難である。
左衛門尉申すやう只今なりとなく、日蓮申すやう不かくのとのばらかな・これほどの悦びをば・わらへかし、いかに・やくそくをば・たがへらるるぞ (種種御振舞御書)
左衛門尉が「ただ今が、最期でございます」といって泣いた。日蓮は「覚悟ができてない殿よ。これほどの悦びなのに、笑顔になりなさい、どうして約束を破られるのか」と言った (私風現代語訳)

龍ノ口の法難、無実の迫害で斬首の刑場に座られた日蓮大聖人の首に、執行人の武士が刀を振り上げたその刹那。(まあ、この後は、光った物が現れて兵士どもが怖じ気てしまい、大自然が日蓮大聖人を守護した、コメント欄参照)


相構え相構えて強盛の大信力を致して南無妙法蓮華経・臨終正念と祈念し給へ、 生死一大事の血脈此れより外に全く求むることなかれ、 煩悩即菩提・生死即涅槃とは是なり、信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり(生死一大事血脈抄)


著者たちの決死の思いが伝わってくる。

 

 日蓮大聖人の直弟子にも五老僧がいて四箇の謗法を犯し、これが日興上人の身延下山につながった。
{「富士の立義聊(いささ)かも先師の御弘通に違せざる事」(日興上人『日興遺誡置文』、第一条)}
太平洋戦争の時は軍部に屈して神札を受け入れた日蓮正宗が、軍部に屈せず死して法を守り抜いた創価学会を破門した。
{「承服しかねます。神札は絶対に受けません」(創価学会初代会長牧口常三郎)その後治安維持法違反と不敬罪法で逮捕され東京拘置所にて殉死。クロウ事件(シアトル事件)あたりから様々な問題が発生し創価学会が日蓮正宗から破門(創価学会信徒は除名)される。}
そして、今回は、創価学会本部から除名・懲戒解雇された若い学会本部職員が、改革を訴えている。
法難・・・
歴史は繰り返すという、そして真実は、後には確実に証明されていく。

 

 実をいうと、私の父は日蓮正宗信徒。母は創価学会員。私は日蓮正宗寺院や創価学会組織に就いて活動する両親の背中を見て育ちました。阿仏房精神で、登山会で富士大日蓮華山大石寺に行き、正本堂にも。
父の葬式は大阪の日蓮正宗寺院で行いました。C作戦をはじめとして創価学会が日顕宗(日蓮正宗)から破門され、創価学会員が日蓮正宗信徒から除外された後は、母は創価学会の組織につきました。創価学会の組織には、未来部・男子部時代から本当にお世話になり、結婚で両親から勘当(?)された後も、学生部長・男子部長・支部長・本部長をはじめ、組織が陰に陽に支えてくれました。

一人一人を第一に大切にする・どこまでも民衆の味方になる青年部員が、池田先生の指導をもと、不惜身命で現実を変える戦いを知り、驚愕してました。
自分も、組織や同志を守護できるドクターを目指し、一人一人を第一に大切にする医療をと、病院で多くを過ごしているので、壮年部として月一回の座談会や本幹同中(本部幹部会同時中継)ぐらいしか参加できていないし、F・マル外なども、電話するのがやっと。(妻は婦人部で役職をもらっています。)
たまに仏法セミナーの講師を頼まれたり、うつ病も自身の罪障消滅と宿命転換のため・・・
 

御書を根本として南無妙法蓮華経を唱える人や寺院・宗教団体は多々あるけど、日蓮大聖人の説かれた弘教の根本精神(血脈)を正しく行っている人や組織は少ない。
自分も、大自然の法理を広宣流布し、一切衆生の幸福のためにを使命として、この世の不遇な環境を自ら選んで生まれ生きている。ブログでも、あまり時間を費やせないけど、大自然の法理に基づいた発信を続けようと思う。
まあ、病院での日常では、私が創価学会員であることを知らない職員はほとんどいない。院長や医局、職員や患者さんからも、前世紀では創価と聞いただけでドン引きされていたけど、今世紀に入っては、ほとんどない。
池田先生の偉大な功績(全世界の権威から贈られる名誉称号・博士号(すでに数百を超える)も、創価学会インターナショナルの功績もアピールしているから、中には疎ましく思う人もいるだろう。

 

 アンチ創価の書物も数々読んで、日蓮大聖人様だったら、どのように指導されるかなあ、御書を根本にその都度思索してきましたが、今回は答えを見出すのがとても困難です。
このブログで、その答えを綴るのに大きな勇気を必要としました。
五重相対(内外相対・大小相対・権実相対・本迹相対・種脱相対)に五一相対、創顕相対に引き続き、本末相対(本部と末端との相対)なのだなあ。
仏法の原理は平等。だから、創価学会は、権力の横暴を監視し、末端の一人一人を第一に大切にする・どこまでも民衆の味方になることが根本とされ発展してきた組織なのだ。
これは池田先生の指導に、耳にタコができるほどあり、創価の原点でもある。

ただ、この本の中では根拠となる論理が池田先生の指導が多く、日蓮大聖人の御書があまり出てこなかった。
だから、一つの組織の中で起こっていることと限定されて見られてしまう恐れがある。


だが、こうした事態は、鎌倉時代の日蓮大聖人が想定されていた。
以下、法によって人によらざれ(依法不依人)という、正しい仏法における原点を踏まえ、あえて池田先生の指導を挙げないで、日蓮大聖人の御書を根本に、考えてみる。

 

末法万年尽未来際までは、日蓮大聖人の血脈が最初で最後。これが人類の滅亡まで同じ。
現証としては、創価学会インターナショナルの組織がダントツ。
「道理証文よりも現証にはすぎず」の御金言の通り、名実ともに、日蓮大聖人の大願を実現している大部分は創価学会の偉大なる功績と言える。
幹部になればなるほど、会員一人ひとりに頭を下げる組織で、戦後、第二代会長戸田城聖先生が東京拘置所から出所して「一人立ち」その弟子として第三代会長池田大作先生の奮闘により、日蓮大聖人の南無妙法蓮華経を、国内公称800万世帯、世界160か国に広め、多くの同志が活動している。
東京・信濃町には広宣流布大聖堂ができ、連日のごとく世界各国から多くの同志が集っている。
年始の勤行会はおびただしい数の学会員が、朝から夕方まで本部の手前にある世界平和記念会館に列を作ってやってきて、無事故無違反無迷惑を徹底するための整理誘導が大変である。
学会員だけではない。年始の挨拶に訪れた日本の一流大企業の代表たちが、創価学会本部の前に長い行列をつくっている。
学会本部職員は、対応だけでも大変重労働である。
このように、創価学会には日蓮大聖人の血脈を受け継いだ人が多く所属し、さらにその人たちが人材を育てている。

ただ、そのほかにも、日蓮大聖人の血脈を受け継いだ人が絶対にいないとは限らない。
逆に、創価学会の中にも、日蓮大聖人の血脈を放棄し、学会員を怨嫉したり私利私欲に利用した人たちも多くいる。


だから、その組織内でも、ムラ(不均一性)があるのだ。
情熱のムラ、巧拙、立場、上下関係のムラ。ヘテロジェナイティ(heterojeneity)

個人は組織の一部分で、組織の円滑な運営には秩序が必要なので上下関係や権利・義務の配分、役割分担などが出てくる。
しかし、それはあくまで一人一人・個人の成仏(幸福)を実現させるためにあるのだから、個人が犠牲になることはもってのほかである。
どんな組織でも同じ。戦争や金儲けや社会福祉を運営する組織など、目的は様々だが、・・・

 

 御本尊(曼荼羅本尊)に答えがある。
一念三千にその答えがあった。
これも大自然の法理=南無妙法蓮華経なのである。


地獄界の中にも仏界や菩薩界がある。地獄界の提婆達多が天王如来という仏になることが示されている。「提婆達多乃至天王如来」
餓鬼界の中にも仏界や菩薩界がある。鬼子母神、十羅刹が仏になることが示されている。
畜生界の中にも仏界や菩薩界がある。竜如が仏になることが示されている。「竜女乃至成等正覚」等云云 此れ畜生界所具の十界なり、
修羅界の中にも仏界や菩薩界がある。阿修羅も仏になることが示されている。「婆稚阿修羅王乃至一偈一句を聞いて・阿耨多羅三藐三菩提を得べし」

仏は小病小悩というが悩みや病気がないことではない。
仏も、肉体は生老病死を現じる。涅槃に入るという。
釈尊も日蓮大聖人も、
大聖人ご自身も、佐渡御書で、(ご自身の)宿業計りがたしと仰られている。
まして、末法の僧俗は皆、言うまでもない。


本部職員は、末端の会員にとってはエリート集団に見える。会長・副会長以下、すべて指導者集団である。
その金剛に輝く、広宣流布を推し進めるべき指揮をとる組織も、計り難い宿業がある(力のある?)個人個人が集合したものだ。よって、組織本来の役割の中に、組織としての罪障消滅のための悪業悪態も、当然に内包されているのだろう。
仏の集団の中にも、十界互俱の計りでみれば、地獄・餓鬼・畜生・修羅も、当然にあるのだ。
それが、特定の時代・場所に特有の風土風習ルールなどを巻き込んで、あたかも正義の旗をかぶって弾圧が繰り返される。
これも因果応報、難を受けることはイコール罪障消滅が過不足なく為され、仏界が基調になっていれば宿命転換・人間革命が結果としてなされていく。
南無妙法蓮華経は、だから凄いのだ。
崇高な集団の中にも、地獄(迫害)・餓鬼(権威欲)・畜生(媚び諂い)・修羅(競争・権力争い)が、セットになっているとは、なんと不思議なことだろう。
どんな組織でも、日蓮大聖人の仰る通りなのだ。十界互俱・一念三千の法則は、すべて現れているのだ。
そして、そのすべて(の生命境涯)が、ご本尊様に書かれている。
「南無妙法蓮華経 日蓮」を中心にして、釈迦牟尼仏・多宝如来・・・(仏界)から、竜如、鬼子母神、提婆達多(地獄界)まで、

決して極楽浄土などの理想郷・ユートピアなどは存在せず、現実のこの世界そのものこそが真の成仏の世界であり、最高に幸福な世界であることを教えられている。
これが見えないことを無明といい、見えていない生命を凡夫という。
見えている状態を仏といい成仏という。

なんだ、つまり、これらも、ご本尊の境涯・南無妙法蓮華経の生命そのものなのだ。
どんな組織も、詐欺集団や金の亡者の集団から、崇高な広宣流布推進集団に至るまで、すべて、善悪・美醜・利害を様々に表す十界互俱・一念三千の法則=大自然の摂理=南無妙法蓮華経なのだ。

彼らも、自身の宿業を使命に変え、創価学会本部という、この上ない組織の中において、罪障消滅・宿命転換を成し遂げる戦いをしているのだ。
原田会長を頂点とした創価学会幹部が、彼らにとってまさに帝釈天の働き(雪山童子に対するトラ、志美王に対するタカなど)を演じているのだろうか。
純真な彼らの弘教にとっては潜聖増上慢(の働き)となっていると言えまいか。
彼らは、日蓮大聖人の受けた斬首の刑には遠く及ばないものの、今風にいう職場の「首切り」の刑に会い、経済的生命を絶たれている。
現在の日本では破産しても命までくれとは要求されない建前になってはいるが・・・

 

池田先生も88歳。公の場からお姿が見られなくなって約6年。
病気説・死亡説など、いろんな憶測がとんでいる。
個人情報保護法ができてから、病院といえども、患者本人から同意がなければ、家族であっても病状や居場所も教えてはならないことになっていて、書面に残すことになっている。
たとえば、この書類に患者本人が、故意に誰の氏名も書かなければ、または不本意にでも書き残すことができない状態になっていたら、法律上は誰一人として居場所や病状を知ることができない。
DV被害者や夜逃げしてきた患者を確実に保護して治療に専念することができる反面、重大な人権侵害のリスクも潜んでいる。
とても心配で、毎日毎日、ご健康を祈っている。

私もこんな記事を書いて特定され、懲罰委員会にかけられたら、上記に挙げた例のごとく、一度も弁明の機会を与えられずに除名処分になるかもしれない。


日蓮大聖人は、信者を除名なさっただろうか。
日蓮大聖人は、信徒を破門なさっただろうか。
除名や破門は、信仰の機会を奪い、救済の可能性を否定するようなものである。
歴史的文献にもその事実はなく、理論上も、そもそも、一切衆生(悪人も含む)を救済する正しい仏法であったら、あり得ないことであろう。
その様な行為の中に、日蓮大聖人の信心の血脈は流れているといえるのだろうか。

池田先生も、このような事態は不本意と思われてるかも。だって、


総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、
然も今日蓮が弘通する処の所詮是なり、若し然らば広宣流布の大願も叶うべき者か、
剰え日蓮が弟子の中に異体異心の者之有れば 例せば城者として城を破るが如し、
(生死一大事血脈抄)
一般的にいえば、日蓮が弟子檀那等が、自分と他人、彼と此れとの分け隔てがなく、互いにとって不可欠であるという水魚の思いをなして、異体同心に南無妙法蓮華経と唱えたてまつるところを生死一大事の血脈というのである。
しかも今、日蓮が弘通する法の肝要はこれである。
 もし、弟子檀那等がこの心を行動に移していくならば、広宣流布の大願も必ず成就する。
逆に、日蓮の弟子のなかに異体異心の者がいると、それは例えば、城の持ち主が自らの城を壊すようなものである。

この御金言をよくよく肝に銘じていくべきであろう。

池田先生もお亡くなりになる日が必ず来る。学会組織も変わっていくだろう。
私は、仮に除名されたとしても、日蓮大聖人の信心の血脈を受け継いでいく決意だ。初めは私一人から。
その方程式は、御書に示されている。
日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、
未来も又しかるべし
(諸法実相抄)
はじめは日蓮一人が南無妙法蓮華経と唱えたが、二人・三人・百人と次第に唱え伝えてきたのである。
未来も、また、そうであろう
(私風現代語訳)

 

その後、日興上人もそうだった。日蓮大聖人御入滅後の身延山で、他の五老僧が天台沙門と名乗ったり釈迦を本尊にしたり墓番に来なくなったりして謗法をしたから、身延を下りて、富士大日蓮華山大石寺を開き、日蓮正宗に続いている。(五一相対)
血脈が法主一人にあるとは大聖人の御書にはどこにも記載されていない。そして、日蓮正宗から破門された創価学会も同じ昇華を遂げてきている。
詮ずる所は、我が生命に、日蓮大聖人の信心の血脈が存在すれば、それでいいのだ。それで広宣流布の実践ができるし、それこそがすべてなのだ。それ以外の詳細は、時代によって変遷していくものだから。現実の歴史も、そうなってきているのだ(生死一大事血脈抄)。
総じて日蓮が弟子檀那等・・・「等」とあるから、必ずしも一つの組織とは仰ってない。
創価学会も、牧口常三郎初代会長、戸田城聖第二代会長、池田大作第三代会長の歴史を見ると、この方程式で発展してきている。
時代が進むと、上記の御書に挙げた、日蓮大聖人の信心の血脈を正確に継ぐ宗教団体が、いくつも出現し、広宣流布が進んでいくだろう。
もっとも、「自他彼此の心なく水魚の思を成して・・・」が、鍵であろう。

 

先月、任用試験が終わった。
御書に親しんでいる会員も多いでしょう。
上記の御書は、よくよく繰り返し繰り返し、創価学会組織で、大白蓮華や聖教新聞などでとりあげられてきた御金言です。

真に大切なことは、どんな組織に所属しているかではなく、どんな行いをしているか・・・
まして、信仰という、最低次元ではイワシの頭から始まる世界、でも最高は絶対的幸福を築く根本も含まれる世界でいえば、真に大切なことは、日蓮大聖人の信心の血脈を受け継いでいるか・・・です。

 

「日蓮が弟子等もまた、この大難は免れがたいであろう。かの不軽菩薩を軽蔑迫害した人々は、生前に信伏随従したが、既にそこまでの誹謗の罪が強かったために、まず阿鼻地獄に堕ちて千劫の間、大苦悩を受けた。
今の日蓮の弟子達も同じである。あるいは信じ、あるいは伏し、あるいは随い、あるいは従うが、ただ弟子という名前だけ語って心に染め抜いていない信心薄い者は、たとえ千劫(という長い期間)ではないにしても、あるいは一度は無間地獄に堕ち、あるいは二度、乃し、十度、百度、無間地獄(阿鼻地獄)に堕ちることは疑いないだろう。」(顕立正意抄、私風現代語訳)

 

日蓮を信じるように見える者どもが、こうして日蓮が大難にあうと、疑いを起こして法華経を捨てるのみならず、返って日蓮を教訓して、自分の方が賢いと思いこんでいる僻人等が、念仏者よりも長く阿鼻地獄に堕ちることは、不便としかいいようがない。
修羅が、仏は十八界を説くが、自分は十九界を説くといい、外道が、仏は一究竟道しかないが自分は九十五究竟道もあるといったように、日蓮御房は師匠ではあるが、あまりにも強盛すぎる、我々は柔軟に賢く法華経を弘めようというのは、あたかも螢火が日月を嘲笑し、蟻塚が華山を見下し、井戸や小川や河が海を軽蔑し、烏鵲が鸞鳳をあざ笑うようなものである」(佐渡御書、私風現代語訳)


法によって人によらざれという、正しい仏法における原点を踏まえなければ、このようになってしまうことを、ちゃんと御金言にて、警告されています。
現在の情勢は、これを地で行くようです。

仲良くやっていくことが大切です。

以上、御書を根本に、考察してみました。

字数オーバーのため、コメントに参考文献と池田先生の指導を追加いたしました。

 

PS、裁判官の法服はブラック:何ものにも染まらないという覚悟のブラックだそうだ。

日蓮大聖人の蓮は白蓮の蓮(ハスの花)、対照的です。

南無妙法蓮華経の「蓮華」の意味も、これを含んでいる(サンスクリット語のプンダリーカ=白蓮の漢訳)
どんなに汚い泥の中でも、咲かせる花は真っ白な花。
黒く汚い泥の中に合って、黒く汚い泥の養分を取って、そこに住んで根を張って、真っ白な花を見事に咲かせ、同時に実を結ぶ。
現実という黒き泥が汚いほど咲く花や実は素晴らしくなる。

蓮華になるべきであって、泥になってはならない。

ブラックでダークな泥を白く明るい花に変えていく法理、これが南無妙法蓮華経である。

なんと素晴らしいことか。なんと偉大なことか。
日蓮大聖人のご生涯すべてが、この模範をお示しになっている。
矛盾に満ちた現実のなかで、各々が絶対的幸福の人生を送る方途を、見事にご教示されている。

 

乃至法界平等利益、自他俱安同帰寂光
世界の平和と一切衆生の幸福のために

南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経・・・