従地涌出品第十五、明けまして、ホー法華経ゥ~、大地の下に潜む菩薩や無明、壮大なドラマ | ラケットちゃんのつぶやき

ラケットちゃんのつぶやき

ブルセラコスチュームで、あちらこちらに出かけてます。
最近は、主に富士山麓の山に登ったときの、雄大な富士山と、自身の写真をつけてます。
ブルセラアイドルの夢を見ながら、日常の現実に対するいろんな思いを綴ります。

 

明けましておめでとうございます。
いつもお越しいただいてありがとうございます。
昨年は、毎日毎日ぺたやいいね!やメッセージで多大なるお力をいただきました。
本当にありがとうございます。
今年も、私なりに頑張っていきます。
どうかよろしくお願いいたします。
今年一年も、皆様に、いっぱいいっぱい素晴らしい歓喜がありますように、祈っていきます。


あっという間に一年が過ぎて、あっという間に1974年から2016年が過ぎて、あと1か月過ぎたら、43歳になる私・・・
1年前は、何をしてたかって振り返ると、一生懸命になって、うつ病と闘ってましたねえ。
うつ病と戦っています・武器は信念・エネルギーは仏界・・・雪頭ヶ岳・富士山麓登山日記(11)
雪頭ヶ岳 雪のお花畑~煩悩即菩提・生死即涅槃~ 富士山麓登山日記(12)

 

頭が真っ黒になりながらも、大自然の法理=南無妙法蓮華経に乗ろうとして、こんな記事を書いてました。
東京の夜空は明るく、星が輝いていても紛れがちですが、天気のいい日に夜空のこんな夥しい星たちの、たった一つを、自分の姿に重ねていました。
この光は、いつか必ず宇宙の果てまで届く・・・と

 

画像は、富士山麓登山の、この一年間で思いのあるものを1月~12月まで、別に抜き出してみました。

 

 

社会情勢も大いに変化し、たとえばトランプ大統領や英国のEU離脱、テロの頻発なんか、悪いようにも映りがちなことばかりですが・・・
たとえば配偶者控除なんかは、私たち一家にとっては更なる増税で・・・
ちょっと前向きに思うと、ハードな救急医療の仕事(をはじめとする、いわゆる、いやな仕事)を、女性で、または若くて元気で時間もたっぷりある人に、任せられるように進んでいくのかなあ。
私が関わってきた=道徳的に関わらざるをえなかったことを、若い世代・女性の方々にも、任せられるようになったらいいなあ~なんて思い入れてみることにします。
政府は、医療現場の苦労も知らず、一人でそんなに稼ぐなと言っているようだ。
私が一人で稼いでいるわけではなく、私の身の回りの世話や、家事労働や地域の付き合いなど、これも妻が年中無給無休でやってくれているわけで、
それで病院や地域医療が成り立っているわけで、・・・
子育てや、学生の私がドクターになるために苦労をかけた妻に、今更、働きに行けなんて・・・
現実論として、自分の仕事の時間の5分の1ぐらいを、家事労働などに向けたい。(そうしても、私の給料は変わらないし、もちろん事務長は烈火のごとく反対するだろう)
ジェイゾロフト(SSRI、うつ病の薬)もMAXで服用し続けていて順調ですが、そろそろ減量して中止へ軟着陸したい。
そのためにも、医療社会と少し距離を置く時間が必要かも。
だけど、そうすると、その分だけ確実に医療難民が少し増えるし、病院も地域も困るだろう・・・でも、そんな小さな私のことも、医療費削減に奔走する政府は想定済みなんでしょうけど・・・
後世や女性に託すしかないかも?

 

 

「え~かげんにせい!ワシが倒れるとしたら、この病院で倒れたるワ。あんたら、他の患者みんと(=診ないで)、ちゃんとワシの面倒みてや。よそ(の病院)へ転送するなよ!」・・・
思えば1年前の夕暮れ後、ほぼ同時に救急車が続けて3台やってきたときに、救急車を受け入れた事務長に、事務室でこう吠えてやった。
私の成績表(まあ、一般企業でいう、私の年間売り上げ実績みたいなもの、こんなにもあったのだなあ)をたたきつけて・・・けれど、頭をひたすら下げられるだけで、他に診れる医者がそもそもいないから、そんなこんなで一年が過ぎて・・・

薬と根性で続いていますが、重大な決断がありそうです・・・。

 

 

トランプ大統領や、英国のEU離脱など、保護主義やポピュリストの勢い等も、ポリティカル・コレクトネス(=建前・理想)に走りすぎた反動とも見えるわけで、実際に、現実(=本音)が変わっていかなければ、耐えられる限界を超えるたびに収縮に転するバネの様相が出現する=これすなわち大自然の法理なのですねえ。
国レベルではコントロール不能になりつつあるグローバルな市場・・・に対する国家の反撃とみる識者もいる。
理想や建前とは裏腹に、現実に存在し続ける差別や格差を、ある特定の数字の上だけで平均化しても、空しいことが、厳然と世界情勢に反映されているようです。

ある特定の数字とは、カネやコネ、富や権威権力や名誉・立場など、相対的優劣の評価すべてにあたります。
人類だけでなく、他の生物や環境(=一切衆生)にも、思いをはせると、
それらを、世界に一つだけの「個性」として「あり」と受け入れ、それをいかに讃嘆し支え合えるか・・・
ここにこそ、人類滅亡を避け、地球全体の共生・平和・繁栄を支える理念があり、
この流れに光を照らす法理が、正しい仏法のなかに受け継がれています。

 

さて、このような世界情勢は、今から三千年前に説かれた叡智:法華経、とりわけ従地涌出品の暗示する生命世界に、妙に重なるように思っていた私、

ここまでは、私の泥の中に住む毒のような記事でしたが、以下は、地上に咲く花?・薬?になるような記事にできればなあ・・・って、
法華経の勉強は、比喩品まで進んでましたが、一気に飛ばして、ここに来ました。

宝塔品からは、七宝で飾られた巨大な宝塔(小さく見積もっても幅が地球の直径の約4分の1、高さはその約2分の1)が空中に出現し、そこに釈尊と多宝如来が並んで座り、大勢の聴衆も宇宙空間に浮かびあがって、教えを聞くことになります。
まさに、今風に言えば、巨大な人工衛星から無重力空間に向かって宇宙講演会が開かれるんです。
これを虚空会の儀式と呼ばれます。
比喩品以後、地獄から餓鬼、畜生、修羅界の衆生や、女性の成仏、人界・天界(神々)、声聞・縁覚界、菩薩界の衆生まで、すべてが成仏の予言を与えられて、歓喜・讃嘆され、種々の摂理を説かれ、末法への予言もされました。
そして、ここでは、難多い末法で、いったい誰が法華経の教えを説いていくのかがテーマとなってきました。
太陽系宇宙さながらの壮大なスケールの説法が、更に時空を超えて無限に広がってくるステージとなっています。

そして、ここは、仏法の中で最重要の法華経、法華経の中でも、最重要な本門の中の文底=如来寿命無量品につながる重要な部分でっす。

 

 

従地涌出品第十五・・・

 

その時、諸々の他方の国土からやって来ていた菩薩たちが、その数といったら八恒河沙(ガンジス川の砂の数の8倍)よりも多かったが、大勢の衆の中からいっせいに立ちあがって両手を合わせて深く礼をされ、仏に申された。
「釈尊よ。仏の滅後、末法の娑婆世界では、私たちに、精進を勤め勤め抜いて、この法華経を護持し読誦し、書写し供養することをお赦しください。
私たちこそが、まさに今この場所と同じように、広く法華経を説いていきます。」


その時、仏は、諸々の菩薩たちに言った。
「せっかくだが、良き男たちよ。残念ですが、あなた達に、この法華経の護持を任せるわけにはいかない。
どうしてかというと、そのためには既に、この娑婆世界に、六万恒河沙(ガンジス川の砂の数の6万倍)程の菩薩たちが控えている。
その菩薩たちは、各々、六万恒河沙程の仲間を率いている。
これらの人々こそ、私の死んだ後の末法において、この法華経を護持し読誦し、書写し、広く説いていく人たちです。」

 

 

仏が、このように仰った時、この娑婆世界のあらゆる国土に地震が起きて亀裂がおこり、地中には無量百千億の菩薩たちが控えていて、瞬く間に涌くように出現してきた。
この諸々の菩薩たちの体は金色に輝いていて、荘厳な三十二相という仏の様相をそなえていて、無量に光り輝いている。
元々、この娑婆世界の地面の下にある空中に住んでいて、たった今、仏が説いた声を聞いて、地面を割って現れたのである。


その一人ひとりは各々、六万恒河沙に等しい数の同志を率いている。また、五万、四万、三万、二万、一万恒河沙に等しい数の同志を率いている者もいる。
その同志たちもまたそれぞれ、一恒河沙、半恒河沙、四分の一恒河沙から、千万億那由佗恒河沙の同志を率いている一指導者たちなのである。
その率いられた同志たちもまた、それぞれ、千万億那由佗恒河沙の同志を率いていて、
その率いられた同志たちもまた、それぞれ、億万の同志を率いていて、
その率いられた同志たちもまた、それぞれ、千万、百万、乃至一万の同志を率いていて、
その率いられた同志たちもまた、それぞれ、千人、百人、乃至十人の同志を率いていて、
その率いられた同志たちもまた、それぞれ、五人、四人、三人、二人、一人の弟子を引き連れていて、
また、単独で菩薩の道を究めた人もいて、
(・・・つまり、末端は、同志の同志の同志の同志の同志の同志の同志の弟子と単独自立の者たち・・・)
このような人たち仲間の数は、無量無辺であって、数えることもできなければ譬えることもできない。

 

これらおびただしい数の菩薩たちは、いっせいに地面から出現し尽くした後、一人ひとりずつ、空中にある七宝の妙搭に座られている釈迦むに仏と多宝如来の御前に進み、奉って、それぞれ仏の御足に頭をつけて礼拝し、その後さらに地面に下って菩提樹の獅子座に座っている諸々の仏にも礼拝した。
そして続いて、すべての仏の元を右に三回廻られ、合掌恭敬され、それぞれの菩薩の備えたあの手この手の限りを尽くして、仏さま方を讃嘆された。
こうして、見渡す限り広大なあたり一面が、二仏を喜び賛嘆する地涌の菩薩で埋め尽くされた。
こうしている時間といっても、既に五十小劫も経っていた。
こうしている間ずっと、釈迦むに仏は、じっと黙ったまま座られていた。
元々その場所にいた周りの人々や神々・鬼・悪魔たちも、みな、じっと黙ったまま見守り続け、五十小劫が過ぎたが、仏の神力によって、わずか半日のように感じた。
加えて、仏の神力によって、元々いた周りの人々や神々・鬼・悪魔たちは、みな、これら地涌の菩薩たちが、百千万億の世界の虚空に遍く満ち満ちているのも見えた。

 

 

ところで、この夥しい数の菩薩たちのなかに、四人の指導者がいた。
第一は、上行菩薩、第二は無辺行菩薩、第三は浄行菩薩、第四に安立行菩薩という名であった。
この四菩薩は、地涌の菩薩たちの頂点にいる、上首=指導者であった。
菩薩たちの先頭に並んで、ひとりひとり、両手を合わせて釈迦むに仏を仰ぎたてまつり、伺いました。
「「世尊よ。病少なく、悩み少なくいらっしゃいますか。安楽に行ぜられていらっしゃいますか。ここにいる教えを聞く人々は物分りが易いですか。よもや世尊を疲労させるようなことはございませんでしょうね。」

 

その時、四菩薩は、さらに詩で言った。

 

世尊安楽:世尊は安楽にされてますでしょうか?
少病少悩:病が少なく、悩みも少なくいらっしゃいますか?
教化衆生:ここにいる衆生を教化するのに
得無疲倦:疲れや倦怠など、なさってないでしょうか?


又諸衆生:また、ここにいる諸(もろもろ)の衆生は、
受化易不:素直に教えを受けているでしょうか?
不令世尊:よもや、世尊に
生疲労耶:疲労まで、かけさせてはいないでしょうね?

 

 

その時に世尊は、諸々の菩薩や大衆のなかで、次のようにおっしゃった。
「ごらんのとおり、ご覧のとおり、諸々の善き男子よ、私は安楽であって、病少なく、悩みも少ない。これら諸(もろもろ)の衆生は物分かりが良い。疲労することもない。
なぜかといえば、この諸々の衆生も、過去世より今世にわたり、世世に常に私の教えを受け続けてきたものたちばかりであり、その上、過去世で諸々の仏に供養し従って、諸々の善根を積み重ねてきているからである。
だから、この諸々の衆生は、私を見て私の所説を聞いて、すぐに皆、信受し、仏の智慧に入った。
先に小乗教を学び習得していた者に限っては、仏の智慧に入ってなかったが、これらの者も、たった今、あらためてこの妙法蓮華経を聞いて、仏の智慧に入ることができたのである。

 

その時、諸々の地涌の大菩薩たちは、さらに詩で言った。

 

善哉善哉:喜ばしいことです。喜ばしいことです。
大雄世尊:大雄なる世尊よ
諸衆生等:ここにいる諸の衆生たちを
易可化度:容易に導きなさりました


能問諸仏:彼らは上手く諸の仏の
甚深智慧:甚深の智慧を問いなさり
聞已信解:お答えを聞きいて信解しましたとのこと、
我等随喜:私たちも随喜いたしました

 

時に世尊は、上首、および諸の地涌の大菩薩を讃嘆されました。
「よろしいことですね。よろしいことですね。あなたたちが来てくれて、私も大いに喜んでいる。」

 

 

その時、元々その場にいた、弥勒菩薩をはじめとする八千恒河沙の菩薩たちは、このように思った。
「・・・なんだ?この人たちは?・・・こんなことは前代未聞だ。・・・我々は、昔から今まで、世尊についてきたが、こんな大菩薩たちが地より涌き出て、世尊の前で合掌し供養され、世尊に問いかけられるのを、見たことも聞いたこともない。・・・」

弥勒菩薩は、八千恒河沙の菩薩たちが疑問に思っていることを察知した。また、自身も分からなかったので、ここで疑問を晴らそうと思い、詩の形式で、仏を仰いで質問した。

 

無量千万億:ご覧の通り、無量千万億にわたる
大衆諸菩薩:大衆や諸の菩薩たちを
昔所未曾見:私たちが昔よりいまだかつてお目にかかれなかったわけを、
願両足尊説:お願いです。両足尊よ、どうか教えてください。


是従何所来:この人たちはどこから来られたのでしょう?
以何因縁集:どんな因縁で、集まってこられたのでしょう?。

巨身大神通:彼らの、その体は大きく、神通力も大きく
智慧叵思議:優れた智慧は思議しきれない


其志念堅固:その志や信念は堅固で
有大忍辱力:大いなる忍耐力を備えています。

衆生所楽見:私たち衆生が、是非お伺いしたいことです。
為従何所来:いったい、この人たちはどこから来られたのでしょうか

 

 

一一諸菩薩:この大勢の菩薩のそれぞれ一人一人が、
所将諸眷属:率いている大勢の眷属も
其数無有量:その数は、計り知れなく多くて
如恒河沙等:ガンジス河の砂のようです。

 

或有大菩薩:ある大菩薩は
将六万恒沙:ガンジス河の砂数の六万倍の眷属を率いていて、
如是諸大衆:この大菩薩たち大勢が
一心求仏道:一心に仏道を求めています。

 

是諸大師等:その眷属一人一人の率いる諸の大師たちも、それぞれ
六万恒河沙:ガンジス河の砂数の六万倍います。
倶来供養仏:みんな一緒に来て仏を供養し
及護持是経:そして、この経を護持しています。

 

将五万恒沙:その各々はガンジス河の砂数の五万倍をの眷属を率いていて、
其数過於是:その各々の眷属の数は、また、これよりも大きく
四万及三万:その各々の眷属の数も、四万及び三万、
二万至一万:二万より一万倍のガンジス河の砂数に匹敵します。

 

一千一百等:また、それぞれ各々が、ガンジス河の砂数の、千、百倍、
乃至一恒沙:ないし、またそれぞれ一倍、
半及三四分:半(半分)及び三・四分の一、
億万分之一:~億・万分の一の数の眷属を率いて、

 

千万那由佗:そのまた、それぞれ各々が、千万那由佗の、
億万諸弟子:そのまた、それぞれ各々が、億万の諸の弟子を連れて、
乃至於半億:そのまた、それぞれ各々が、ないし、半億の弟子を連れて
其数復過上:その数もまた、それぞれより大きく、

 

百万至一万:またおのおの、百万より一万に至り、
一千及一百:千及び百人を将いて、
五十与一十:またそれぞれ、五十、与び一十、
乃至三二一:ないし、三、二、一人を率いています。

 

単己無眷属:眷属がいなくても、一人で、
楽於独処者:単独で志す者もいて、
倶来至仏所:いっしょに来て、仏のところにはせ参じていて、
其数転過上:その数も、前にあげた数を超えています。

 

如是諸大衆:ご覧の通り夥しい大衆は、
若人行籌数:もし人が籌(かずとり)を使って一人一人数えるとしたら、
過於恒沙劫:期間にしてガンジス河の砂数の劫が過ぎ去っても終わらず、
猶不能尽知:なお知り尽くすことはできないでしょう。

 

是諸大威徳:この諸の大いなる威徳で
精進菩薩衆:精進した菩薩たちに
誰為其説法:いったい誰が法を説き
教化而成就:教化して成就させなさったのでしょう?

 

 

従誰初発心:彼らは誰に従って初めて発心し
称揚何仏法:いずれの仏法を称揚し?
受持行誰経:いずれの経を受持し修行して、
修習何仏道:いずれの仏道を修習されたのでしょう?

 

如是諸菩薩:ご覧のとおり、大勢の菩薩は、
神通大智力:神に通じる大智力があり、
四方地震裂:四方の大地が震裂して、
皆従中涌出:皆、地中から涌き出てこられました。

 

世尊我昔来:世尊よ、私は昔より以来
未曾見是事:いまだかつて拝見したことがありません。
願説其所従:お願いです。彼らの所属している
国土之名号:国土の名号を明かしてください。

 

我常遊諸国:私は、常に諸国中を遊んでましたけど、
未曾見是事:いまだかつてお目にかかったことはありません。
我於此衆中:私は、この人たちの中にいますが、
及不識一人:誰一人として、知らない人ばかりです。


忽然従地出:突然、タイミングよく大地より出てこられました。
願説其因縁:お願いです。このわけを明かしてください。

今此之大会:今、この大会の
無量百千億:無量~百千億におよぶ
是諸菩薩等:彼ら諸の菩薩について、
皆欲知此事:皆、このわけを知りたいと思っています。

 

是諸菩薩衆:彼ら諸の菩薩たちは、
本末之因縁:本末の因縁があるはずです。
無量徳世尊:無量徳の世尊よ。
唯願決衆疑:お願いです。これらの疑問を解決なさってください。

 

 

その時、釈迦牟尼仏の分身の諸仏、無量百千万億の他方の世界からやって来られた諸仏は、八方の諸々の宝樹の下の獅子座の上にお着きなされていて、
その仏の従者たちも、三千大千世界の四方の地から涌出して虚空にいらっしゃる菩薩様たちをご覧になられた。そして、各々の仏に、たずねた。
「この、諸々の、無量無辺阿僧祇という膨大な数の菩薩様方は、どこからいらっしゃったのですか」

その時に、諸仏は、各々その従者に告げられた。
「諸々の善男子よ。少し待ちなさい。弥勒と言う名前の菩薩がいる。釈迦牟尼仏は、この菩薩に『私の次に仏となります』と記を授けられている。その方がすでにお尋ねになっている。仏は、今これに答えられる。故に、あなた方は同時に答えを聞けるだろう。」

 

その時、釈迦牟尼仏は弥勒菩薩に、次のように言った。
「よろしい。よろしい。敗れざる者よ。あなたは仏に、とても大切な良い質問をした。
これからその答えを聞くあなたたちは、一心に、精進の鎧をかぶり、堅固な信念をもたなければならない。
わたしは今、諸仏の智慧、諸仏の自在の神通力、諸仏の獅子奮迅の力、諸仏の威猛大勢の力を発揮して、説明しよう。」

 

 

その時、釈迦牟尼仏は、重ねてこの意味を述べようと、詩の形式で、説いて言った。

当精進一心:さあ、精進して心を一にしましょう。
我欲説此事:私は、この事を説き明かしましょう。
勿得有疑悔:疑惑や後悔の無いようにしなさい。


仏智叵思議:仏の智慧は、頭では思議できないので、
汝今出信力:あなたたちよ、今、信じる力を出して
住於忍善中:よくたえ忍ぶ姿勢を貫きなさい。
昔所未聞法:昔よりいまだ聞かなかった法を、
今皆当得聞:今、皆、本当に聞くことになるからです。


我今安慰汝:私は、今、あなたを安慰(あんに)します。
勿得懐疑懼:疑いや恐れをいだいてはいけません。
仏無不実語:仏に不実のことばはありません。
智慧不可量:仏の智慧は量りしれません。


所得第一法:仏が得たのは第一の法であって、
甚深叵分別:甚深なのであり分別不不能です。
如是今当説:このような法を、今、本当に明かします。
汝等一心聴:あなたたちよ、一心に聴きなさい。

 

その時、釈迦牟尼仏は、この詩を詠いおわって、弥勒菩薩に、次のように言った。
「わたしは今、この大衆の前で、あなたたちに宣言する。敗れざる者よ。
この諸々の菩薩たちは、その数・無量無数であり、大地より涌き出て、あなた達が昔から未だ会ったこともない菩薩たちである。
それは、私がこの娑婆世界において仏の無上の悟りと智慧を得てから、教化・指導し、心を調え、仏道に入れた者達であって、皆、この娑婆世界の下にある、虚空の世界に住んでいた。
諸々の経典を読み暗誦し、その意義に通じ思惟・理解し心に念じてきた者達だ。
敗れざる者よ。
この諸々の菩薩たちは、多くの人々の中にいていたずらに話することを選ばず、常に心において静かなる処を願い、勤行・精進して、いまだかって休んだことが無い。
人としての平穏や一時的な満足に安住することなく、智慧を極めることを楽しみとして、何者も妨げることができない。
また、常に諸仏の法を求め、一心に精進して、無上の智慧を極めつくしてきている。」

 

 

その時、世尊は、重ねてこの意味を述べようと、詩で、説き詠った。

 

阿逸汝当知:阿逸よ、汝よ、当に知りなさい。
是諸大菩薩:この諸の大菩薩たちは、
従無数劫来:無数劫より以来
修習仏智慧:仏の智慧を修習しています。


悉是我所化:ことごとく、私が導いた者たちです。

令発大道心:大道心をおこさせたのです。
此等是我子:これらは私の子供たちです。
依止是世界:この世界に、依りとどまり、


常行頭陀事:常に頭陀の修行をして、
志楽於静処:静かなる境地をねがい志し、
捨大衆憒閙:大衆のなかで乱れ騒ぐなど一切しないで、
不楽多所説:いたずらに喋り捲ることを望まない

 

如是諸子等:こうして、諸の子供たちは、
学習我道法:私の道法を学習して、
昼夜常精進:昼夜に常に精進してきた。
為求仏道故:仏道を求むる為の故に、


在娑婆世界:娑婆世界の
下方空中住:下方の空中に存在していた。

志念力堅固:志・念の力は堅固で
常勤求智慧:常に智慧を求め勤めて、


説種種妙法:種種に妙法を説いて、

其心無所畏:その心は畏(おそ)れることがない。

我於伽耶城:私は、伽耶城の
菩提樹下坐:菩提樹の下において坐り、


得成最正覚:最正覚をなし得て、
転無上法輪:無上の法輪を転(てん)じました。

爾乃教化之:しかも、同時並行で、彼らも教化し続け、
令初発道心:初めて道心をおこさせたのもいましたが、


今皆住不退:今は、皆、不退転の境地にきています。
悉当得成仏:悉く、当に成仏を得ています。

我今説実語:だから私は、今こそ、本当の事を明かします。
汝等一心信:あなたたちは、一心に信じなさい。


我従久遠来:私が、久遠より以来、
教化是等衆:これらの人たちを教化してきたのです。

 


その時、弥勒菩薩や、元いた諸々の菩薩たちは、心に疑いが沸き起こり、これはかなり怪しいことだと思った。


・・・こんなことは未曾有、のことである、いまだかつて聞いたことがない・・・
「・・・いかにも世尊よ。ほんのわずかな時間なのに、どのようにして、このような無量無辺阿僧祇と言う膨大な数の菩薩を教化して、すべてに仏と同じ智慧や悟りを得させられたのであろうか。・・・」

 

そこで早速、世尊に申し上げていった。

「世尊よ、如来は太子であられたとき釈迦族の王宮を離れ、伽耶城を去って、そんなに遠くではない所にある道場に坐り、仏の完全な智慧や悟りを得られました。
これよりは、まだ四十年余りしか経過しておりません。

 

このわずかな期間において、どのようにして、このような仏の大偉業をなされましたのでしょうか。
仏の勢力をもってでしょうか。
仏の功徳をもってでしょうか。
それなのに、このような無量の大菩薩たちを教化して、仏の完全な智慧や悟りを得させられている。

 

世尊よ。
なのに、そのうえ、この大菩薩集団は、人が数え続けてたとして、たとえ千万億劫が過ぎても、数えつくすことは不可能であり、集団のほとりにさえ到達しないでしょう。
これらは、久遠の昔から、今まで、無量・無辺の諸仏のところで、諸々の善根を積み、菩薩の修行を完成して、常に純潔の行いを修行してきている。

 

世尊よ。
このようなことは、一般世間においては、とても信じられないことであります。

たとえば、肌が美しくて白髪の無い、二十五歳の青年が、百歳の老人を指して「実は、この人は私の育てた子供である。」と言い、その百歳の老人も、その青年に対し、「この人こそ、私を育てた父です。」と言うようなものであります。
このようなことは、とても信じられないことであり、世尊が、今おっしゃったことも同じようなことであります。


世尊が完全な智慧や悟りを得られてから、実のところ、そんなに長くは経過していません。
それなのに、この大菩薩集団は、既に無量百千万億劫もの永い間、仏道を極めるために勤行・精進し、無量百千万億の三昧(瞑想)に住み出入りして、大いなる神通力を得て、長い間、純潔の行いに徹し、清らかに修行しながら次第に種々の法に通じて、問答も巧みになり、世の中の、きわめて稀にしかいない、人々の宝として讃えられているのです。

たった今、世尊は、この大菩薩集団を指して、”この娑婆世界において仏の無上の悟りと智慧を得てから、初めて教化・指導し、仏道に入れた者達であって・・・”とおっしゃった。


世尊よ。この世において仏の完全な智慧や悟りを得られてから、いまだ期間がそれほど過ぎてないのに、ものの見事に、この大いなる偉業をなし遂げられたことでございます。

私たちは、仏が、随時説かれた教えや、適宜おっしゃったお言葉は、いまだかつて、うそであった例はなく、仏の智慧は、全てのことに通じていると、信じております。
しかしながら、仏が入滅なされたあと、菩薩の道に入って間もない初心者が、これらのお言葉を聞いたならば、信じて受け入れることができなくて、法華経を誹謗してしまい、罪業の原因になってしまうかもしれません。

このような事情ですから、世尊よ。
どうか、それらの者にも解るように詳しく説いて、私たちの疑問をはらしてください。
そうすれば、その仏のお言葉は、未来世の人々にも届いて、疑いを起こすことなど生じないでしょう。」

 

 

弥勒菩薩は、もう一度、この心を伝えようと、詩の形式で、仏を仰いで詠んだ。

 

仏昔従釈種:仏は、昔、釈迦族に生まれ、
出家近伽耶:出家して、伽耶の近くで
坐於菩提樹:菩提樹の下で悟りを開かれました。
爾来尚未久:それ以来、なお未だ久しくはございません。

 

此諸仏子等:なのに、この諸の仏子たちは、
其数不可量:測定不可能な人数で、
久已行仏道:久しくすでに仏道を行じていて、
住神通智力:神通智力は自在です。

 

善学菩薩道:よく菩薩の道を学び、
不染世間法:世間の法に染まらないことは、
如蓮華在水:蓮華が、泥水の中に根をはっているようなものです。
従地而涌出:地より涌き出てきて、


皆起恭敬心:皆、恭敬の心を起こし、
住於世尊前:世尊の前に住んでいます。

是事難思議:この事は思議し難いです。
云何而可信:どうすれば信じられるでしょうか。

 

仏得道甚近:仏の得道は甚(はなは)だ近いのに、
所成就甚多:成就なさっていることは甚(はなは)だ多い。
願為除衆疑:お願いです。私たちのために、この疑問を晴らすべく、
如実分別説:ありのままに分別して教えてください。

 

譬如少壮人:譬えば、若い人が、
年始二十五:25歳になったばかりなのに、
示人百歳子:100歳の子を、指し示して、
髪白而面皺:髪は白く顔は皺んでいるのに、

 

是等我所生:この人は、私の子と言い、
子亦説是父:子もまた、この人は父ですと返事する。
父少而子老:父は若くて、子は老いている。
挙世所不信:こんなことは世間を挙(あ)げて信じられないことで、

 

世尊亦如是:世尊のお言葉も、また、このようです。
得道来甚近:得道なさってから、甚だ短期間しかたってないのに、
是諸菩薩等:この諸の菩薩たちは、
志固無怯弱:志(こころざし)固くして、怯弱(こうにゃく)はありません。

 

従無量劫来:無量劫より以来
而行菩薩道:菩薩の道を行じ、
巧於難問答:難問においても巧みに答えて、
其心無所畏:その心は畏れるところ無く、

 

忍辱心決定:忍辱(にんにく)の心が決定(けつじょう)し、
端正有威徳:端正にして威徳があります。
十方仏所讃:十方の仏が讃めなさるところであり、
善能分別説:よくよく分別して説きなさいます。

 

不楽在人衆:乱れた人衆に埋れることをねがわず、
常好在禅定:常に好んで禅定にあり。
為求仏道故:仏道を求める目的故に、
於下空中住:下の空中に住んでいます。

 

我等従仏聞:私たちは、仏に従って承りましたし、
於此事無疑:この事について疑いはございませんが、
願仏為未来:お願いです。仏よ。未来の衆生の為にも、
演説令開解:わかりやすく説明して理解させてください。

 

若有於此経:もし、この妙法蓮華経について、
生疑不信者:疑いを生じて信じない者が出れば、
即当堕悪道:即、まさに悪道に堕ちるでしょう。
願今為解説:お願いです。今、このために解説なさってください。

 

是無量菩薩:いったい、どのようにして、この無量の菩薩を、
云何於少時:少ない期間に、
教化令発心:教化し発心させて、
而住不退地:不退転の境地に住まわせなさったのでしょうか。

 

 

(* 偈の書き下し文を、あえて現代風仮名遣いにしました。)

 

こういった聴衆たちの、科学的には解明できない難問(=矛盾)に、釈尊が答える形で、如来寿量品第十六に続いていきます。
実は・・・如来の寿(命)を量(はか)る品・・・

・・・如来の寿(命)は(無)量である品・・名前がヒントになってますねえ。
つぎでも、比喩や方便、讃嘆を巧みに顕されて、生命とは何かという甚深の摂理が明かされていきます。

 

ちなみに、日蓮大聖人は、この部分、とりわけ、地涌の菩薩が住んでいた大地の下の空中“下方”について、文底から見れば、次のように説明されています。


法性の淵底・玄宗の極地なり故に極理と云う、(三世諸仏総勘文教相廃立、御書全集P0563)
それは、法性の淵底・玄宗の極地であるゆえに極理(=妙法蓮華経)というのである

(私訳)

ここでは、天台大師が「下方とは法性の淵底・玄宗の極地なり。故に下方と言う」と説明している。つまり、地涌の菩薩が住んでいた“下方”とは、森羅万象の本質というべき普遍的な真理という“淵底”、すなわち奥深いすみかのことで、また“玄宗”という奥底の根本的な“極地”をさしています。
これは、大宇宙を含む生命の根源というべきもので、それを極理=妙法蓮華経というのです。

 

私たちの生命でいえば、地上・表層は意識できる世界、大地を隔てて下は無意識の世界なのでしょう。
大地は、さまざまな自我・我見・偏見などの殻に譬えられているのでしょう。
鶴の一声(釈尊の一声)で、それを割って湧き出てきた素晴らしい菩薩は、私たちの生命の無意識下に備わっている菩薩の働きが、まさに鶴(仏=南無妙法蓮華経)の一声によって顕われてくることの譬えとなっているのでしょう。

そして、これとは対照的な、現在の世界情勢の変化は、元本の無明が湧き出てきているのでしょうか。
日蓮大聖人は、このことも含めて、説明されています。
今、私、ここを勉強して、まとめに取り掛かっています。