やっとこの場所に向かう気になれました。


8月29日、

母は青空が広がった昼間、

午後1時55分に天国に駈上りました。


いっぱいいっぱい泣いた。


私が母を看取ることができたけど

その瞬間、怖くて。


でも最期、私がおかあさん!!と叫ぶと

目で合図をしてくれて、眠るように天国にいきました。


12年間の闘病生活。


弱音をちっとも吐かず、家族にも頼ろうともせず。

でも最後の半年くらいは病院の送り迎えお願いしていいかな?って

言ってくれるようになった。

それまで、私が病院に送ると言っても

自力で行けなくなったときは治療の止め時だって思うからって話していた。

でも、最後は家族に少しは甘えてくれたのかな。


肺がんだった母は、1カ月前から酸素ボンベをしながら自宅で過ごすようになって、

苦しかったと思う。

でも最期まで最期の時まで

生きようとしてくれました。

私たち家族のために。


母が亡くなってから出てきた私たちへのたくさんのメッセージ。


それを思い出しながら前向きに生きていくしかありません。


急じゃなくてよかったね、って言われたんだけど、

それってなんか違う。


闘病生活が長く、治療や通院があったから

思うようにお出かけができなかった。


母との思い出もっともっと作りたかった。


もっともっと甘えたかった。


息子も生まれ、親孝行ができるのこれからでしょ。


おばあちゃんとして息子の行事に来てもらいたかった。


母にもっとこうしていれば・・と後悔ばかり。


後悔したって母は喜ばないと分かっておるけれど

まだいまはこう思ってしまうこと、、、許してねお母さん。


息子と毎日母の話をします。


ばぁばは?って聞くと、遺影を見て笑っているよ♪って。

ばぁばに逢いたいな~って言うと病院にいるよって。


息子の記憶にばぁばが残るよう、、

これからも母の話をしていきます。