こんにちは、結婚心理学者 木村聡子です。
今日の記事は、アフロディーテからのメッセージです。
この時期に発表することへの批判も、覚悟して書いています。
信じられないような話ですし、お嫌いな方はご遠慮なくスルーしてくださいね。
核家族化して、死を病院で迎える方が大多数となった現代の日本人にとって
死を「恐ろしいこと」「非情なこと」と、思っていらっしゃる方も、多いと思います。
死が、身近でない方にとっては恐怖を感じることも、あたりまえだとは思います。
「神様なぜなの?!」「ひどい!どうしてこんなこと…」
と、誰かを責めたり恨みたくなったりすることも、あるでしょう。
「わたしが○○できなかったから」「あの時もっと○○していれば…」
と、自分の落ち度を責めたり後悔することも、あるでしょう。
※この「生き残った自分を責める」という反応のことを、
専門用語で「残された者の罪悪感(サバイバーズ・ギルト)」と言い、ごく自然な心の動きです。
とはいえ、わたしたち生きとし生ける者すべてにとって、死は
「誰にでも必ず来る約束された瞬間」です。
死から逃れられる人は、1人もいませんし
遅かれ早かれ誰もが、誰かを送り、送られることが、わたしたちの宿命とも言えます。
本来そこに、ネガティヴな意味は全くなく、命の循環の中にある
1つの自然な過程(プロセス)です。
実際、ご家族や親しい関係にある方を亡くされて、悲しみに暮れている時には
ふさわしくないかも知れませんが、あえて、今のタイミングでお伝えしますね。
「死」とは、肉体から魂が離れることを言います。
そして、死は「終わり」ではなく、肉体を離れた後も魂は生き続けます。
肉体と魂の関係を「着替えのようなものだ」とさえ、言う人もいます。
さまざまな定義や、意味付けをされていますから、立場によって意見は別れるとは思いつつ。
わたしは魂レベルでの、お話しをしますね。
肉体から魂が離れた瞬間、まだ魂は、肉体のそばにいることが多いのですね。
実際に「臨死体験」をして、回復した元患者さんの膨大なインタビューにも、証言されています。
…
病室のベッドに、横たわる自分の身体が見えた。天井から見下ろしていた。
家族が、自分の身体にすがって泣いているのを見た。
お医者さんや看護師さんが、心臓マッサージをしているところを上から見ていた。
…
死の瞬間、からだの臓器が次々と機能を停止していくなかで
一番最後まで残るのは「聴覚」だと言われています。
もし、医学的には「意識がない」と言われたとしても、耳は聞こえていますから
「愛しています」とか「今までありがとう」とか、「よく頑張ったね」「大好きだよ」など
暖かな言葉をかけてあげてください。