何となくだけど、書いてみたい事が出てきたから。
エコロジーにしても、ポジティブシンキングにしても
悪い事ではないと思うけど、最高って訳でもないなとも思っている。
色んな人がいて、色んな生き方があって、色んな進みたい方向があって。
誰かを無理やり犠牲にした土台の上に成り立つ幸せなんて、自分に都合の
悪い事は見ない振りしてるのと同じだし。俺は好まないから、自分ではしない。
例えば、Aという道とBという道があって、自由と言う意味でならば
選択肢はいくつ?俺は3つあると思う。
Aを選ぶ、Bを選ぶ、どちらも選ばない。
前に何処かで書いた事があるんだけど、「犬が好きですか?」と問われれば
俺は好きと答える。それは今も昔も気持ちの上では変わらない。
でも地球上の全ての人間が、犬を好きであるなんてないだろう。
必ず苦手に思う人もいるはず。可愛いと思うけど傍には近寄れないって人も
いるだろう。
以前、まだ我が家で犬を飼い始めるずっと前に、とある”自称犬好きのおばあさん”から
言われたセリフで、「今まで気にならなかったけど、これって危険な考え方なんだな」と
実感した事がある。
まだ、我が家の子供たちが犬が苦手で怖いと感じていた頃のことだが、”自称犬好きの
おばあさん”が公園で遊んでいた、ウチの子供達の傍に、マルチーズだったかな?を連れて
散歩にやってきた。俺は犬が好きだったんで、可愛いなと思っていたが子供たちは苦手だ。
だから、怖がると思っていたんで、子供が犬に気が付く前に手を引いて自分の方へ寄せた。
そしたら、おばあさんは更に近づいて来たんで子供たちが犬に気付いた。
案の定、子供たちがキャーキャー言って怖がり出した。するとおばあさん、「うちの○○ちゃん
噛み付かないから大丈夫よ。」と言って犬を子供たちに近づける。更にキャーキャー騒ぐよ。
自分の可愛い愛犬を子供たちが怖がったので、ちょっと気分が良くなかったのだろう。
おばあさんは言った。
「こんなに可愛い良い仔なのに、怖いなんておかしいわね」
はあ、そっすか?
俺は言ったよ「すみませんねえ、ウチの子供は犬が苦手なんですよ。前に放し飼いにしていた
何処かの飼い犬に追い掛け回されたんで。」
そしたらおばあさん「ウチの○○ちゃんは、そんな犬とは違うのよ」と。
そんな事、赤の他人の俺らが知らんて。関係ないよ、犬は犬。
しょーがないので、付け足していった「あー、それとあそこの立札にも書いてありますけど
この公園は犬の散歩禁止ですよ」
そしたら、何も無かったかのように公園の中心に向って立ち去ったよ、おばあさん。
自分の定規で物を考えるのは、まあ良くあることだけど、その定規で他人を測るのは
出来ないもんだよ。他人には他人の定規があるんだってこと。
そして他人の定規の存在を認めること。
長くなったけど
エコロジーもポジティブシンキングも良い事なんだよ、でもみんなが同じレベルで
欲してる訳ではないんだ。自分の中で度を越したら逆に疲れちゃうんだよ。
それを「心地よい」とは言わない。
ハイブリッドカーなんてのもさ、新車作るのにかかってる材料費や電気代に、既存の
ガソリン車とどれだけの違いがあんのさ。そもそも安いの?
「走行するのにかかるガソリンの量が違う」ってだけだろ。
中古のハイブリッドカーを買うならまだわかるけどさ。
ホントにエコをしてるのなら、全員が公共の交通機関で移動するのが一番だろ。
それ出来ないけど。
俺は変わり者だから余計にそうなんだけど、よく大勢でワイワイ賑やかにするのが
好きって人、それが楽しいって人、いるでしょ。
別に不思議はないなって思うと同時に、そう思わない人もいるだろうなと。
俺は、むしろ思わない派。
あなたの楽しいが、この世の楽しいの基本・・・って訳ではないだろと。
あなたはあなたの「楽しい」を、俺は俺の「楽しい」を目指せばそれでいい。
そして、目指している道が誰かの犠牲を土台にしていなければ、それが最高だ。
よく分かんなくなってきたな。でもそんな想いなんだ。