それゆけ凡才アッツーの面白わくわく日記 -36ページ目

遅ればせながら

あけましておめでとうございます。


我が家では餅つきをしました。


父「早くやるぞ!その辺片付けとけ」


と父の罵声が飛びます。父は普段は温和な人なのですが


忙しかったり、気合が入ったりすると物凄く怖いです。


父がそういったのも無理もありません。玄関がものすごく散らかって


ましたから読んだ新聞やら大掃除の時にでた、ダンボールなどです。


私は餅なんて食べようが食べまいがどうでもよかったのですが


父が食べたがったので皆で??


というか正確には父がほとんど全部一人で作ってしまいました。


あんこ丸めるのは一つ年上の姉の仕事、でした。


私「あぁーあ年末のこのくそ忙しい時に何で餅なんかつくんだろうねえ」


もちろん父がいない時にそういいました。


父がいたらえらいことです。そりゃ~山がひっくり返るくらい大変です。

↑どんな例えじゃ


もとい、母は私がそういうと

「お母さんが具合わるいから一生懸命やってくれてるんだよ」。


母は心臓が悪く、寒いとあまり動けなく部屋に電気ストーブつけてコタツで休んだり


しています。ちなみに知ってました?貧血ほっとくと心臓わるくなるの

母はそれで心臓が悪くなりました。(泣)


母のことはさしおいて


餅つきの話をしますとまず第一に


餅米が古い(去年の残り)


私「こんなので大丈夫なの??なんか、餅米古そうだけど」

ちょっと米がくすんでいました。


母「大丈夫、去年のだから」


母は間髪いれずにこういいまいした。


私「・・・・・・・・・・・・」。


私「こういうのってさ新米から作ったほうがいいんじゃないの?」


母「いいのいいの余ってるんだからもったいないでしょ」


確かにそれはそうだけどまずくなるのは否めない


父「おーいアッツー(私のことです)餅つき機倉庫から持ってきてくれ」


頼まれごとは好きではないのですが仕方なく


私「あいよ~」。と小さく言いました。


それが聞こえなかったからか父は


「アッツーてば早く持って来い!」


父「早く~持って来ないとなくなるよ~」。

と石焼芋屋みたいに言ってました。

意味わからん何がなくなるんだか・・・。

(ちなみに我が町の焼き芋屋さんは{早くしないとなくな~るよ~)です。

父も時々変なことをいいだすくせがあるようだ。


最近になって発覚した。


母も父もやはり似たもの同士なのだからなのか、よくわからないが・・・。


餅つき機の機械はまったくをもって古すぎる


今の機械は蒸しもできるしつくこともできるでもそんな文明の


力なんてものは我が家にはありません。


「ビンボー一家」苦労あれど金なし男、みたいな。


家は結局のところガスでふかして、餅つき機でつく。


なんて二十年前くらいのことを毎年こなしている。


結構すごいかも

あいのり

ヒデ残念でしたね。


私はヒデを応援したのですが

あやが嵐を選んだ時、思わず泣いてしまいました。


なぜ、涙が出たのか?


ヒデの成長をみてきたからなのか、情が入っていたからなのか、

それとも現実的に泣きたかったのかはわかりませんが・・・。


ヒデがいなくなってしまうのはとても残念でなりません。


ヒデがかよに告白できなかったのは意地をはっていたからなのか

理解にかけますが、でも告白できなかったからこそ


いまのヒデがあるのだと私は思います。


これからもヒデに幸あれ!


学生の頃のバイト

私は学生の頃、バイトをしていました。


薬局で働いていたのです。


そこの店長が「あいさつはきっちりとね」。


とか言ってたので


私は真面目に


いらっしゃいませ~」。


って言ってました。


客が来ると


「・・・っせ~」。みたいな(笑)


いらっしゃいがなくても通用するんですよね。


すると人が通るたんびに「・・・っせー」。


って言っていたので


バイトと全く関係のないところで


私「いら・・・っせ~」。

と他の店でいってしまったのです。

もちろんバイトする時のエプロンはしてませんし

周りの客は変な目で私を見ています。

ジロリ→ → →私


恥ずかしかった私はすぐその場を退散したのはいうまでもありません。

結婚式のスピーチのように

結婚式のスピーチで


本日は滞りなく式が行われましてって


っていうじゃない~


でも滞っているのはこのブログですから~


切腹


ブログの更新がとどこおってんじゃい


すみません読者の方


それと毎回来ていただいている方。


全く更新ができていません。


更新していないのに読者登録を解除しないでいてくれるかた


本当に感謝します。

家の一番上の姉はいやがらせが大好きです。


この前と言っても五年くらい前の話ですが・・・。


昔、「シロ」


と言う猫を飼っていました。


その猫は見た目が白かったので


そのまんま、シロと名づけました。


そのシロが小さいときの事です。


家の中で飼っていたので、しもの世話が大変でした。




私は結構、朝起きるのが遅くて寝坊をしょっちゅうしていました。


私が寝ていると姉がそのシロを連れてきて


「おしっこも、う○こもしていいからね。」


「うふっ」。


とか言って私が起きるのを待っています。


なんだ、その、うふって言う笑いは・・・。不吉な^^;


それを言われると起きるしかありません。


シロはダッコする時とても嫌がらずにダッコされるので


とても飼っていて気持ちいい猫でした。


しかし、毒を食べたねずみを食ってしまったせいで


亡くなってしまいました。


その親もどこかへ行ってしまいました。


もう、猫とは縁がないのかなと思っていたら


五年後、一匹、どこかの飼い猫が家にまいこんで来ました。


最初は逃げていたのですが、「ニャーン」と言って


近づいてみると止まるではありませんか


まだなついてないせいか、猫も一応逃げ腰なんですね。


それで、餌を与えてみるとなんと食ってしまいました。


なんだ食うのかよ!


それ以来なついてしまいました。


ダッコしようとするとすぐ逃げてしまいます。


で夕方になって玄関をあけようとすると


「ニャー↑」


と大騒ぎ。


結局餌かよ!。餌が目的なのかよ。


と思ってしまいました。


そこで私は少し意地悪をしてみたくなりました。


ニャーとなく時は餌の袋を がさごそ、させた時。


餌をあげずにガサゴソ、させてみました。←意地悪すぎ、しかも暇人


すると猫はニャーと鳴き近づいてきて、ちょこんと座ります。


おおかわいいではないか、それでもダッコしようとすると


やはり逃げてしまいます。


その猫も機嫌がいい時は、すごくなつく時があります。


その時は私は餌をやります。


本当は他の家族がやっているので


餌はやらなくてもいいのですが、だからなのか


最近は太り始めました。


なついてきた証拠です。


なぜなら私が餌をやっているから・・・。


名前はと言うと「にゃん太郎」です。


母に名前のこと言うと、メスだよこの猫は、と言ってます。


私「メスでもなんでもいいじゃん」。


母「いや、ぶち子がいいよ」。


私「ぶち子ってべつにぶちでもなんでもないじゃん」。


と言い争っているうちに


結局は名前はてんでんに呼ぶようになり


母は{ぶち子}、私は{にゃん太郎}、父は{ミーちゃん}


と呼ぶようになりました。


もう頭がごっちゃだよ。


助けてくれ~。





母さん、店を予約する

今日は母さんの話です。


昨日、私の携帯がなりました。


姉からのメールです。


「そっちに行くから片付けといて・・・」。


私の家は人に見せられたものじゃありません。


農家というのもありますが、他人がくる以外は散らかっているのです。


例えば新聞などは読みっぱなしとかです。


姉の旦那が来るときは、せめて見栄を張りたいものです。


だからあわてて家族、そうでで片付けます。


片付けるのはいいのですが、どこになにが置いてあるのかわからなくなってしまうのが


悲しいです。


例えばこんなことがありました。


私は胃が悪く、胃薬を服用しています。


私「ここにあった胃薬しらない?」。


母「薬はね、ここにあるよ」。


母「ほら!」。と指差す所にそれはない。


母「あらま、これお母さんの風邪薬だった、おっほほほ」。


おっほほほ、じゃないつ~の。


母「あれ?おかしいな、ここに置いたはずなのに・・・」。


とこんなことは日常茶飯事です。


結局探すこと30分後に、私が発見しましたが・・・。


私「なんだ、こんなとこにあるじゃん!」。


と言って、座布団の下から発見するのでした。(TT)


とそんな母(どんな母じゃい!)です。


数日後、いつ姉が来るか、気になった母は


姉に電話をしました。


姉の子の話やたわいもない話をした後


母「きた時、何が食べたい?」。


姉「煮込みうどんが食べたいな」。


母「わかった」。


姉「あっ子供がこぼしちゃってる、じゃーね~」。


と姉は、いつうちに来るか、言わないまま電話を切ってしまいました。


私「いつくるって?」。


母「明日」。


ほんとに明日かよ!!!


母「予約入れとかなきゃ」。


予約入れるのかよ!!!(byさまーず)


母「○○庵、何番だっけ、電話番号」。


私「え~明日?、じゃすぐ片付けなきゃジャン」。(;´Д`)ノ


私「ほんとに明日???」。


と私の発言も聞かずに母は「○○庵」に電話をかけて予約してしまいました。


すると、その日の夕方姉から電話があり


明日、来るかどうか、確認してみたところ・・・。


案の定こないとの事。_| ̄|○


母さんよく確認してくれよ・・・・。


私「明日来るなんて一言もいってないってさ」。


母「え~なにそれ、もう予約しちゃったのに・・・」。


単なる母の早とちりである。


翌日、姉からメールがあり


「お母さん今日行くって一言も言ってないのに(笑)」


「サザエさん~」


改めてこのメールをみて笑ってしまいました。






ひげそり

最近のおじいさんは、一日に何回もひげをそります。


それが笑えるのです。


最近のおじいさんは物忘れが激しく


いつもデイサービスに通っているのですが(日曜と木曜は休みです)


「今日は行く日か?」


とかカレンダーなんて気にしていません。


夕飯食べ終わったあとしばらくして


「おら、夕飯くったかな?」


とかあります。


その食べる量が半端じゃありません。


どんぶりで食べているのです。


デイサービスに行かない日はずっとテレビ観ています。


それでも腹は減るらしく


「飯はまだか?」。


とか母に言っています。


食事のお世話になってるのに


それいうかなぁとか思いながら


「・・・」。


ひげそりの話でしたっけ?


私も物忘れが激しいです。(笑)


そうそう、姉が結婚して自宅から高速で一時間半ほどの所


に住んでいるのですが、たま~に旦那つれて帰ってくるのです。


姉夫婦が寝泊りするところはおじいさんの部屋の障子をはさんだ隣なのです。


ある日、姉夫婦が寝ていると


おじいさんは電動のひげそりでジョリジョリと沿っていました。


当然、姉は目が覚め、せっかく寝かしつけたその生まれたての子供までも起きて


しまうのです。


姉は父にいいました。「おじいちゃんに夜中にひげそるの止めるように言ってくれるかね?」。


頑固なお爺さんは父の言うことならわりときくのです。


父「おじいちゃん夜中にひげそるのやめなよ」。


とやさしく言いました。


するとお爺さんは


「ひげそっちゃわるいんか~」。ヽ(`д´)/


と怒鳴って逆切れしてしまいました。


話にならん。


さすが長生きだなぁっと思う。


今年で95になります。


すっすごい。





修学旅行

小学生の時の臨海学校の時の話です。


もう記憶も定かではないのですが・・・。


それでも記憶に残る出来事が・・・。


それは寝ている時に起こりました。


皆が寝てる中、割と私は神経質でなかなか寝つけませんでした。


右隣の人は、夜中に起きてはシーツを直していました。


なぜそんなによくシーツを直すかというと寝相がいいと友達に


ほめられるからです。私も友達も褒められるように寝相をよくしようと心がけていました。


今考えるとなんつ~張り合いしていたんだろう???。



もとい問題は左隣の人でした。




やっと寝られたなぁと思って寝ていると、圧迫感があり目が覚めました。


夜中の二時くらいでしょうか?


なにやら重いものが体の上に・・・・・・・。










足~。









なんと隣の人の右足が私の胸の辺りにのせてありました。


左隣の人は体が少し斜めになっていて股をひらいてたので私の胸にその人の右足が・・・。





そこまでは許せるのです。



右隣の人がシーツをたまたま直していました。


私「見てよこれ!!」。


私は起きて右隣の人に言っていました。


右隣の人「はははは」。


と笑うだけでした。_| ̄|○


私は仕方なく左隣の人の足が布団とまっすぐになるように足を持っていきました。



「・・・・・・・」。








「・・・・・・・・」。





するとなんてことでしょう。



さっき持っていった足がなんと私の布団の方にご丁寧にもどってくるではありませんか。


なんだよ~。(`д´;)/


多分、左隣の人、修学旅行だから緊張してて寝相が悪くならないように心がけていて


戻る仕組みになっていたんでしょうか???


何度直しても同じなのです。参ったなこりゃ(´Д⊂グスン


そこで緊張するんだったら最初っから緊張していてくれ(;´Д`)ウウッ…


仕方なくワタスィ(私のこと)は足が頭の北側に来るようにしてかがみながら寝てました。


そのおかげでシーツはぐちゃぐちゃになるし寝相の評判は悪くなるし最悪でした。


私と左隣の人は組み(クラス)が違ったのでそのことは問いただすことなく終わってしまったのですが


許せない出来事でした。っていうか怒りを通り越して笑えた。



ガッチャマン替え歌バージョン

ガッチャマンは普通の歌は


♪だれだ、だれだ下の窓からのぞく影 しろ~いま~んとを羽織った ガッチャマ~ン?だっけな


それを替えると


すみません食事をしながらみないでください

























では行きますね


♪誰だ、誰だ、誰だ、おらの便所に ○○したの、そーれは噂のがっちゃま~ん



すみませんきたなくて


とりあえずこれしか今は思いつきません。



愛は勝つ(替え歌バージョン)

みなさんKANの「愛は勝つ」ってうたしってますか?


私がはじめて買ったCDが「愛は勝つ」だったのです。


私が小学生のころ、結構はやったのが


普通の詩だと


♪し~んぱ~いないからね 君の思いがだれかに届く明日はきっとある


(歌詞間違えてたらごめんなさい。)


なんだけど





友人は












♪「し~んぱ~いだ」




「・・・」。で終わってしまったのです。




その当時はみんな爆笑でした。


チョード、その頃掃除の時間で音楽が流れて、それがKANの「愛は勝つ」


だったんです。懐かしい。



あとは














♪「しーんぱいない」



とかね。これあまり面白くないね。



あと意味わからないバージョンもあるんです。















♪「し~んぱ~い ないからね 君の御餅が誰かにどどく、きいっと明日はきっと晴れ」


♪「ど~んな~にこんにゃくがくずれそうでも、信じることさかならず最後にメンチカツ~」





ね!意味わからないでしょ?


そういえば嘉門達夫よ最近みてないけどさいきんでもないなぁ十数年みてないなぁ。


こんなに古いネタでトラックバックさせるとはアメブロ恐るべし


若い人わかるかなぁ?それ心配


一番若い人でKAN知ってる人は何歳なのか知りたいのです。


知っている人がいたら年齢教えてください。


ご協力おねがいします。後日発表します。という~かこのブログで発表するほどコメントつくのか???



みなさんよろしくお願いします。