大人や、思春期の人が 「発達障害」 にたどり着くとき、その経緯には壮絶な過去がある事が少なくありません。
現在中高生の世代だと、ちょうど我が家の次男と同じ世代になりますが、次男の同級生にも発達障害の症状から二次障害を起こし、学校に行かれなくなってしまった子は何人か存在します。
特性があることには気づいていても、防げないことも時にはあります。
わたしが今まで現実で見てきた高機能の発達障害児の半数以上は、中学後半から高校中盤までに、家庭では収まりきらない問題が発生し、転校や退学、もしくはそもそも高校に進学ができなかったり・・・
本来、障害がある以上、放っておけば「問題」が起きるのは当たり前です。
障害自体に気づいていても、こじらせるのなんかあっという間で、ただでさえ多感で不安定な思春期に、プラスαの要素が根っこにあって、つまづかないわけがないんです。
大切なのは、その原因をどう捉えるか。
「思春期だから」
「反抗期だから」
と、「障害」にたどり着けなければ、根本的なアプローチを間違える。
それは、大人になってもなんら変わりはなく。
「個性」
「性格」
と判断すれば、その責任は「本人」である、と。
「考え方」 や 「根性」 みたいなものを正そうとする。
けれど、どんなにそんなところに注目しても、なんの解決にもならなくて。
「どうしようもない」
「自己責任だ」
と、見放される障害者も多くいます。
「障害」ではなく、単純な社会問題とされている事柄の影に、「発達障害」が隠れていることは想像より遥かに多いことにきづいていますか?
テレビで流れる様々なニュースの裏だけではなく、
身近にたくさんいるはずの発達障害者。
単純に、子供の数より大人の数のほうがおおいんだから、
「発達障害児」よりも「大人の発達障害者」のほうが多いはず。
そして、「大人」に守られている「子供」の障害者よりも、自己責任で生きている「大人」の方が、社会に与える影響は大きいのです。
続く。