少し前、妹と久しぶりに会った。

ずっと彼女の体調が悪くて、お正月にも娘が生まれたときにも会えなかったんだけど

ようやく少し体調が落ち着いてきたらしく、

大阪から頑張って電車乗りついで我が家まで来てくれた。


赤子を抱いて外食するわけにもいかないので、せめて自宅でお昼を用意して彼女をおもてなし。

肉まんと、しゅうまいと、春巻き。

簡単な点心を作ったら喜んでくれた。


このブログに何度か登場している妹だけど、治らない心の病気(というかそういう書き方正しくないよな。心って言うか脳なんだよね。)と共生している。

彼女の存在は、私が自分を律する・・・と言うと言いすぎだけど、

私がきちんと生きなければならないと思う原動力の一つ。


不調のとき、多分私には想像もつかないほどつらい状態だと思うんだけど

体をなんとかかじ取りしつつ生きる妹は本当に偉いと思う。


体がフラフラの時に死ね死ねと延々耳元でささやき続けられたら、

私だったら多分・・・いつか屈してしまうと思うから。

(不調になるとずっと幻聴が聞こえるらしいんですよね)


年を取ってくると、顔は人生の履歴書代わりになるというけれど

彼女の顔はまさしくそうで

久しぶりに出会った顔を見て「インドの修行僧みたいな面構えになってきたな」と思わず言ってしまった、笑。

妹は笑顔で「ちょっと、それ傷つくねんけど」と返してくれたけど

実際彼女は沢山の苦難を乗り越えてこの顔になったんだなと思うと感慨深かった。


自分の妹ながら、全く私の顔とは似ていなくて、もともと妹はめちゃくちゃ美人だった。

子どものころから「かわいいね」と言い続けられてきた妹だけど

大学の時なんてモテにモテすぎて本当に大変だったらしい。

私も内心、都会に出たらスカウトレベルなんじゃないかと思っていた(笑)。

うらやましいと同時に自慢の妹だったけど

ぼたんかしゃくなげかと言うほどだった華やかさは今は完全にそぎ落とされて、

中性的な、だけどきれいな一個の人になった。


子どもが欲しかったけど諦めて私の子を祝ってくれる妹は優しい。

四柱推命を看てくれる方が何回も言ってくださることだけど

人が産まれてくる理由は、その人生で修行するためらしい。

彼女の来世は(来世があるかどうか知らないけど・あるとするならば)きっともっと生きやすい人生になると思う。