コクリコ坂 | まよなかのゆりかごより

コクリコ坂

観てきました。

正直な感想は……


「これ、アニメでやる意味、あるの?」

映像は奇麗だったし、お話もいい。
でも、これ、どうしてアニメでやったのかな。
実写じゃだめだったの?
どうしてもアニメじゃなくちゃ表現できないとこって、どこ?

というかさ。なんで実写でやらなかったんだろ。
物語の中核となる、明治後期の建築物「カルチェ・ラタン」。これは、たとえセットであっても、実際の木材、漆喰、ガラス、鉄の釘を使って見せるべきだったんじゃないかな。現実の手触りが伝わって初めて、この建物につどう学生達の思いが観客にも理解できるんじゃなかろうか。アニメは……やっぱり、絵だもの。
昭和30年代の美しい風景も、そりゃ絵で描くのは簡単でしょう。実写映画で造ろうと思ったら、セットにロケにCGに、小道具揃えるのだって一苦労、そうとう予算がかかるでしょ。でも、この手の古き良き時代のノスタルジーを表現するなら、やっぱりそこは生身の人間が演じるべきだったじゃないかなあ。
特に、登場人物達の切なく揺れ動く感情は、それが極力抑えて、静かに語られるだけによけい、絵では物足りない。いや、絵の美しさ、キャラの表情は充分だ。そこには絵を描いた人の感性があって、アニメの場合、さらにそこに声を演じている人の感性が加わってしまうんだよね。ふたりの(もしかしたらそれ以上の人数の)感性が完全に同じベクトルを向いているのならいいけれど、わずかでもずれてしまっていたら、物語が静かに淡々と抑えた表現で繊細な心の揺れ動きを描くだけに、そのずれが拭いがたい違和感となってしまう気がする。

正直……中途半端な印象が拭えません。

そこんとこいくと、先週観たトランスフォーマーはやっぱりすごかった。「観客に見せたいものは、この映像っ!」「おら、どうだー! すげーか、すげーだろっ! オレはやったぜ、やったぜ、とことんやってやったぜーーっ!!」といわんばかりの映画でした。
その押しつけがましいまでの「おら、どーだああっ!!」感が性に合うか合わないかは別にして(私はそこまで開き直って徹底する映画が大好きだけど)、このやってやったぞ感、やりきった感は、とてもわかりやすくて、観るほうも感嘆しやすい。そこらへんが、アメリカ映画が世界中どこへ持ってっても、ある程度の収益を稼ぎ出す理由なのかもしれないなあ。