はじめに

 科学の進歩には利点も欠点もあるとは思います。科学の知識や技術(特に医学や農業)は、人の寿命を飛躍的に伸ばし、いつ病気や飢餓で死ぬかも知れない不安から多くの人を解き放ち、より多くの人が人生を享受することを可能にした一方、人類が瞬時に滅びるような核兵器を作ることも可能にしました。

 確かに科学の知識や技術は、それを利用する人の価値観によって、良い方向にも悪い方向にも使われますが、それでは、「科学の方法」自体に問題はあるのでしょうか。

 一方で、しばしば科学の進歩の足を引っ張ってきた宗教にも利点も欠点もあります(片桐 悠さんの 「サイコップジャパン この世に不思議は存在しない」の頁 の下の方の「ケーススタディ」も参考になります)。宗教は、神などの絶対的正義を想定することで、この世の不条理や不平等に疑問を抱いている者に希望を与え、それが奉仕活動を促したり、犯罪を抑止したりする一方、その同じ神の名の下に拷問や処刑や大量虐殺が正当化されてきました。

 さて、これは果たして、宗教を利用する人の解釈や価値観の問題であって「宗教の方法」自体には問題はないと言い切れるのでしょうか