煩悩と欲望の違い
(2009.2.5)



人間の欲望には際限がありません。食欲ひとつ取ってみても、グルメブームと言われるほど、外食産業は発展し、展開し尽くした感すらあります。腹が減ったからご飯を食べて食欲が満たされるというだけではなく、「より美味しいものを食べたい」という願望が生じます。


衣・食・住の衣や住についても同様です。ある程度満たされれば、もっと素敵な服が着たい、もっと贅沢な環境で暮らしたいという願望が生じます。


人間が生命を維持していくためには、食欲・睡眠欲・性欲などの根本的な欲望が必要不可欠であり、それらのどれかが欠けていれば、生きたいという欲望が減ずるのでしょう。ですから、欲望そのものは、人間にとっては、なくてはならないものです。では、何故その大切な欲望を仏教は否定しているのでしょうか?


煩悩という漢字を訓読みすると、悩み煩うと読めます。例え食欲であっても、ひとたび「美味しいものしか食べたくない」という思いに促われれば、途端に苦しみへと変貌してしまいます。それは当然です。全て自分の思い通りにはいかないからです。


そのことを仏教では三毒(貪・瞋・痴)と言います。「美味しいものしか食べたくない」とエスカレートする欲望を貪欲(とんよく)、目の前に口に合わない食事が出てきた時に感じる憤りを瞋恚(しんに)、ちょっと考えれば分かるような現実と思惑とのギャップに気が付かない無知さ加減を愚痴(ぐち)と言います。我が物にしたいという執着心がその根源でしょう。