僕が吉本と見て 「ゲラゲラ」笑っている時に横で彼女はしらけています。そして彼女が「フレンズ」とか見ているときに俺はしらけています。やはり日本人とアメリカ人の視点は違うようです。


彼女がフレンズを見てゲラゲラ笑っている。そして俺はポケーと見ながら「このバックのつけたような笑い何とかならないの?」と言うと「これはフレンズのスタジオ公開の時に出た観客の笑いよ」と言っていた。あの「あんたたち面白くなくとも笑いなさい」と強制させられているような人工的笑いは別に苦も何もならないようだ。


それに比べ吉本新喜劇とか見ながらケラケラ笑っていると彼女に「あんた、おばさんが男の股間を叩いているのを見て何がおかしいの?」と言われてしまった。と言っても回答には困る。「だって面白いもんは面白いもん。」そう答えるしかなかった。でも面白いことに「面白いものは面白い」というこの理由じゃなく理由でもなさような表現は、ちゃんとした理由になるようで彼女が「なるほどね」と納得した時に僕はそっちの方に驚いた。


正直、アメリカ人のコメディーは見た目おもしろそうだけど、そこまでゲラゲラならない。僕が笑ったのは「裸の銃を持つ男」だけである。「メリーに首ったけ」とか見たけど「なんじゃこりゃ」という苛立ちすらあった。昔、ある通訳の講義を取っていた時にある国ではおもしろいことでも日本人の観点からみるとぜんぜん面白くないことなんでいくらでもあると聞いた。そしてその講師は通訳をする時に外国人がジョークを言った時に「この話題では笑えないな」と感じた時にすぐさま日本人の客に「理由は後から申します。とりあえずここで笑ってください」と言うと聞いた。そうすることによって二人の交渉がうまく行くこともよくあると言っていた。


といいつつも別に笑いの観点が全てが全て違うこともない。二人で大笑いすることもよくある。んで「これは絶対うけないだろうなぁ」と思いつつ彼女とそのアメリカ人の友人たちに話して大爆笑をさそって「やはり言ってみるもんだなぁ」と思ったこともある。異文化笑いの理解にはまだまだ時間が必要である。