2年半ぶりの更新。
こんなことになるなんて。
令和6年1月1日の16時10分
被災した。
私は輪島市在住。
地震発生時は車で三井町を走行中。
16:06、スマホのアラームが鳴り響いた。
前震の震度5だった。
輪島市は震度4。
緊急停車し揺れが収まるのを待った。
その後すぐに出発しようかとも思ったけど、なぜかイヤな予感がしてそのまま停まってた。
16:10、本震。震度7。
輪島は震度6強。
本当に死ぬかと思った。
今までに、震度6強に2回あったことがあった。
でもそれまでと比にならない揺れだった。
この時、車の中の助手席にいたけど、肘掛けに脇腹を何度もぶつけて収まった後、ずっと痛かった。
でもそれ以上に不安と興奮で気にならなかった。
地震の最中の揺れと外の状況のせいだと思う。
車はひっくり返りそうなほど左右に揺れる。
民家の屋根が滑り落ちる。
民家の窓や玄関の戸が吹っ飛ぶ。
道が割れて広がっていく。
「怖い怖い怖い〜っ!」しか言葉が出なかった。
めちゃくちゃ長く揺れた気がした。
詳しい揺れの時間は知らないけど。
揺れが収まってから外に出た。
道路の割れに気をつけながら先へ進んだ。
橋が30cmくらい高くなってる。
後方の橋は更に高くなってる。
ヤバい。
閉じ込められた。
とりあえず橋を越えて先へ。
茅葺庵まで行ってみた。
少し先の道路の看板の支柱が折れてた。
そのうち、途切れ途切れのスマホの電波が繋がり大津波警報の発令。
東北の地震が頭をよぎった💦
他の被災者と協力して、橋の段差に雪を置き、更に木の板をかけて何とか乗り越えた。
被災者みんなで協力した。
その後、熊野トンネルも危険ということで命からがら能登空港へ。
空港で一晩を明かした。
気づいたら、テントがあり水やカンパンを配布していた。
ホッとした。
大津波警報が出た。
家族とは連絡が取れない。
繋がらない。
輪島が今、どうなってるのか?
津波はどうなのか?
不安しかなかった。
ようやく繋がった時にホッとして涙が出た。
でも家族は山に逃げて外にいるらしく寒いと言ってた。
車の中でエアコンをつけて暖かくしている自分が許せなくなり声をあげて泣いた。
ごめん。
そこに居なくてごめん。
暖かくしていてごめん。
申し訳なさしかなかった。
そして、一晩を過ごした。
思い出すとしんどいなぁ。
(続く)