出産~手術までのこと。
出産の事を、書いておこうかな。
私の場合、3月17日に帝王切開で出産予定でした。
≪2月21日≫
いつものように、ゴハン食べて、お風呂に入って、ベッドに入って
ダンナと赤ちゃんの名前を考えていました。
その時に、いつもと違う腹痛を感じて、しばらく喋れないくらい痛くて
ダンナが、『病院行く??』って心配してくれるくらい痛がってて、
でも、少ししたら治まったので、『明日が検診だから、大丈夫』と
言って、寝る事に・・・。
しばらくしたら、また、あの痛みが襲ってきて・・・
次の瞬間、尿とは違う感覚のあったかいモノが漏れて・・・
『破水???(((゜д゜;)))』
ダンナに、『破水したかも!』と伝え、病院に電話してもらう。
その間にも、どんどん破水して、私自信がパニックに陥る。
『赤ちゃんが!赤ちゃんが!!』
って、大泣きしてて・・・、全身ぶるぶる震え出しちゃって・・・。
『出来るだけ大きく生まなければいけない』と、言われてたから、
こんなに早く生んだら、生きて生まれて来ないんじゃないかと思って
怖くて、怖くて、ホントに怖くて、震えが止まらなかった。
病院に電話すると、『すぐに来てください』とのことで、
車で病院に向かいました。
その車の中でも、どんどん破水してました・・・。
赤ちゃんが心配で心配で、ホントに怖かった。。。
病院に着くと、すぐに内診をして、赤ちゃんの心音を取って
エコーで見てもらって、
『妊娠の継続はもう無理です。赤ちゃんも早く取り出さないと
危険な状態になるから、今から帝王切開しましょうね。』
と、当直の先生に言われる。
それからは、もう、すごいスピードで手術の準備が始まった。
0時頃に病院に着いて、1時にはオペ室にいたと思う。
≪2月22日≫
そして、1時55分に出産。
お腹を押されて、何かが出る感覚があって、お腹が軽くなって、
『生まれましたよ』と、言われる。
生まれた時、赤ちゃんは仮死状態で、すぐに蘇生措置が取られる。
産声をあげることさえ、できなかったんだよね。
呼吸器が付けられ、私の顔の横に赤ちゃんが運ばれた。
もう、涙が溢れて、どんどん溢れて、泣きじゃくったよ、手術中なのに。
対面数秒で、赤ちゃんはICUへ連れて行かれました。
その頃、やっとで主治医の先生が到着。
先生の顔を見て、また、泣いちゃった。
それから、数十分で私の手術は終わり。
病室へ運ばれ、点滴を打たれ、お腹を押されて、ちょっと泣く・・。
これが、めちゃくちゃ痛いんだけど、我慢、我慢・・。
しばらくして、ダンナが病室に来てくれた。
『頑張ったね、お疲れさま。』
と言われて、また、涙が出る。泣いてばかりだったな、この日は。
結局、この日はほとんど眠れず・・・。
≪2月23日≫
この日も痛みは治まらず、ずっとベッドの上で過ごす。
≪2月24日≫
やっとで少し歩けるように。
この日、車椅子でICUに連れてってもらう。
私の赤ちゃんは、保育器の中でたくさんのチューブや機械に繋がれ
それでも、眠ってはいないので、手足を動かしてる。
『こんなに小さいのに、生きてる。生きようとしてる。』
もう、胸が苦しくて、何度も心の中で『ごめんね』って言った。
≪2月25日≫
この日は、歩けるようになったので、歩いてICUへ。
すると、眠っている状態で、まったく動かない。
『元気がよすぎて、手足を動かすから、眠らせてます。』
と言われる。ちょっと安心しちゃった。
この日、ダンナと2人で、名前を決めました。
≪2月26日≫
先生が病室に来て、『明日、手術します。』と言われる。
説明をしたいので、ダンナ様にも来てもらいたいと言われ、
仕事中のダンナに来てもらう。
先生の説明は、怖い話ばかりで、生きた心地がしなかった。
最悪の事を言わなきゃいけないのは、わかるけど・・・。
ここまで来たら、赤ちゃんの生命力と先生を信じるしかない。
覚悟を決めて、赤ちゃんに頑張れ!と伝える。
≪2月27日≫
午後から手術の予定。時間は未定。
だったのだけど、13時から、手術をしますと言われる。
ダンナはまだ向かってる途中で、私は赤ちゃんの側に。
13時到着予定だったんだけど、到着しない・・・。
でも、先生が待ってくださいました。
15分遅れで、手術開始。
2時間くらいの予定。
病室で待つことに・・・。
こんなに長い2時間は、生まれてはじめてだったよ。
2時間ってことは、15時過ぎ。
15時過ぎても、なかなか連絡が入ってこない・・・
もう、悪い方向ばっかり考えてしまう。
何かあったんじゃないか??って事ばかり・・・。
15時40分頃、やっとで連絡が!
手術は無事に成功。
すぐにICUへ行き、術後の赤ちゃんと対面。
この時の気持ちはきっと一生、忘れられないでしょう。
こんなに小さな身体で、手術を乗り切ったってことが、
もう、言葉にできないくらい、痛々しくて・・・。
それでも、生きようとしてくれる我が子が愛しくて。
一生を掛けて、この子を守りたいと思いました。
誰よりも、幸せに育てようと思いました。
ダンナも堪らず泣いてました。
手術は成功しても、第一関門を突破したに過ぎない。
これからの方が、むしろ大変だとも言われた。
考えられる合併症も色々あると言われた。
それでも、この子は大丈夫!
目の前の我が子を見て、そう確信しました。
まだまだ、回復までの道のりは続くけど、
親子3人で、頑張って乗り切れる!
やっとで、そう思えるようになりました。