稽留流産 | SARAの子育てのカタチ

稽留流産

久し振りの日記だけど、ダークです・・ガーン

暗く重たい内容なので、苦手な方はスルーして下さいね。
ただ、記録として、そして、気持ちの整理のために、書くことにしました。




約2年ぶりの妊娠でした。
ただただ嬉しくて、よく逢う友達にも報告していました。
まさか、自分が流産するなんて、夢にも思わなかったから。

10週に入っての健診が5月1日でした。
この頃だと、経腹エコーで赤ちゃんが確認される頃なのですが、
私が見ても分かるくらい、赤ちゃんの影が小さかったのです。
すぐに経膣エコーでの内診に。
カーテンの向こう側で、先生と看護婦さんが小さな声で喋っていました。
先生に、『連休中にもう一度、見せに来て下さい。』と言われました。
『5日か6日か、コチラからまた連絡します。』
多分、この時に、私の稽留流産は確定していたのでしょう。
『一つの目より、二つの目で診ましょう。』
先生はきっと、私の事を気遣ってくれて、そう言ってくれたんだと思います。



4日の朝、看護師さんから電話がありました。
『6日の9時に来て下さい。
 先生の健診後、そのまま手術になるかもしれないので、
 朝ご飯は食べずに来て下さい。』

隣で寝ている旦那に、『そのまま手術になるかもしれないから
朝ご飯は食べずに来て下さい、だって。』


そう言った瞬間、涙が込み上げてきて、しゃくりあげるように泣いてしまいました。
言葉にした事で、現実に起きた事だと、初めて認識したんだと思います。

何がいけなかったんだろう?
何か無理な事をしたかな?
私の病気がいけなかった??
食生活がいけなかった??


自分を責めていました。


稽留流産は妊婦の10~15%に必ず起きること。
ほとんどの場合が胎児の染色体異常で起こること。
稽留流産の原因は決して母体のせいではない。
何も、誰も悪くない、たまたまなのです。

15%の確率で起こるとしても、それが自分に起こるなんて
どうしてもどうしても受け入れられませんでした。

6日、旦那は仕事を休んで、付き添ってくれました。
診察室に呼ばれ、内診され、旦那も先生に呼ばれました。
『やっぱり、赤ちゃんは育っていませんでした。
 次の妊娠の為にも、子宮内容除去術をしましょう。
 お母さんが一人目の時、帝王切開だったので、
 子宮を開く器具を今から入れます。
 痛み止めが効くまで、病室で休んでください。』

そんな事を言われ、看護師さんに病室に連れてってもらいました。
看護師さんの手が私に触れた瞬間、我慢してたモノが弾けてしまって
声を出して泣いてしまいました。

落ち着いた頃、看護師さんが説明に来てくれました。

『一人目が帝王切開での出産だったため、子宮の入り口が硬く、
 急激な頚管拡張は母体に負担が掛かります。
 なので、子宮口を24時間かけてゆっくり開大させる目的で、
 ダイラパンという細い棒を挿入します。』

そして、同意書みたいなものに、名前を書かされました。

40分経った頃、再び診察室に呼ばれました。
内診台に上がり、ダイラパンを挿入されました。
痛いからなのか、悲しいからなのか、涙が止まりませんでした。

その日は、普通の生活をしていいと言われたので、夕方、娘の面会へ。
娘を抱っこするだけで、私の気持ちは癒されました。

次の日、旦那は仕事だったので、実家の母が迎えに来てくれました。
出掛ける前に、旦那は一度、戻ってくれて、一緒に病院に行きました。

診察室に呼ばれ、熱を測り、血圧を計り、筋肉注射を打たれ、病室で待つように言われ。
1時間くらい経った頃、診察室に呼ばれ、内診台に座りました。
看護師さんに『眠ってる間に終わるから、安心してね。』と言われました。
点滴を打たれ、静脈麻酔と呼ばれる全身麻酔をかけられたけど、

私の意識がなくなる事はありませんでした。
朦朧とする意識の中、手術は始まり、目は開かないけど、

処置されている感覚ははっきりと分かりました。
悲しくて悲しくて、『いやだ!いやだ!!』とずっと泣き叫んでいたようです。
たぶん、15分くらいで、手術は終わりました。
そのまま、内診台の隣にある個室に、看護師さんに抱えられて移動しました。
ずっと泣き叫んでいたから、口から喉までカラカラに渇いて、呼吸が出来なくなりました。
必死で唾液で喉を潤したのを、よく覚えています。
落ち着いた頃、もう、お腹に赤ちゃんがいないと思うと、悲しくて涙が止まりませんでした。
一人の部屋が孤独感を増幅させて、怖くて怖くてたまらなかった。
看護師さんが、リンゴジュースを持ってきてくれました。
『悲しいね、悲しいよね、、でも、また必ず妊娠できるからね。』
優しく背中を撫でながら、優しい声で、言葉を掛けてくれました。
でも、流産したから泣いているのではありません。
この子がいなくなってしまった事が悲しいのです。
また妊娠できるからと言われても、受け入れられませんでした。

約70日間、一緒に過ごしてきました。
たったの70日しか生きられませんでした。
キミは男の子だったのかな?女の子だったのかな??
どんな顔をしてたのかな??
逢いたかったな。。。

2時間くらい休んで、もう一度、内診されました。
血液が尿のように、ドバーっと出たので、ビックリしました。
処置が終わり、先生のお話がありました。
これで、今日の手術はすべておわりです。
待合室に行くと、旦那はすでにいませんでした。
術後に先生のお話を聞いて、仕事に向かったそうです。
母が優しい顔で迎えてくれました。
精算を済ませ、家に帰りました。

ずっと、母がついててくれました。
一人じゃなくて、ヨカッタ。
お母さんが居てくれて、ホントにヨカッタ。
一人だったら、こんな悲しみ、絶対に耐えられない。
一人じゃなくて、ホントにヨカッタ。

この悲しみが消える事は、一生、ないでしょう。
でも、私にとって大切なものは、お空に帰った小さな命だけではありません。
いつも側で支えてくれている優しいダンナ様。
いつも私の心を癒してくれる頼もしい愛娘。
いつも見守ってくれている楽しい友達。
そして、無条件で愛してくれてる両親や兄弟。
周りの存在が、どれだけ、私の支えになっていることか。

ひとつの命を失った悲しみは、忘れる事は出来ません。
この痛みが消えることはありません。

だけどこの痛みがあるからこそ、もっと強くなれると思いました。
この痛みがこれからも私を支えてくれるように思いました。


また、帰ってきてくれたらいいな。
あの子が、また、私のお腹に帰ってきてくれたらいいな。

今は、そんなふうに、思えてます。

まだまだ、頑張らなくちゃ!!なのです。