aqua-moon -3ページ目

aqua-moon

水野理紗
声優*ナレーション*舞台
水月 秋
書きもの*シナリオ*小説


3冊目です📗
例の如く、ネタバレがあるのでご注意ください!


伊坂さんの作品は、ゴールデンスランバーをきっかけに、(私にしては)かなりの数を読んでいました。
ハラハラドキドキしたり、胸が締め付けられたり、人物の想いに感動したり…
とにかく読後感が良い物語が多くて、伊坂さんの作品はとても好きです。


この『クジラアタマの王様』は、珍しい作風だなと思いました。
というのも、現実パートと夢パートとあるのですが、その夢パートはイラスト、台詞無しの漫画になっています。
しかもまるっきりファンタジー、ドラクエのような世界観なのです。
セリフも説明もないため、想像するしかありません。

現実では、相変わらず人たらしというか(笑)、魅力的な人物が出てきて、一見、凡庸に見える主人公は、その人たちに振り回されながらも、だんだん絆ができていきます。

現実パートと夢パートとの関係が最初はわからなくて戸惑いましたが、なるほど、現実の人物が夢の中で剣を携えて戦っているんだな、と理解していきます。予知夢のような役割もあり、これから現実で起こることを予感させます。

が、それで終わらないのがさすが伊坂さん。

現実と夢、そんな単純な話ではなかったのです。
あるところから、現実と夢が徐々に交差し、入れ替わる瞬間があり、あれ?おかしいな、と思わせます。
(こういう展開に弱い)
夢の中で今まで導き手かと思われていた「王様」が牙を剥き、現実では…新型の鳥インフルエンザウィルスが牙を剥くのです。

いずれも、鳥を模した脅威。
それぞれの世界で、主人公は危機に陥ります。

ここで、私は思わず、本の最後にある発行年月日を確かめました。
2019年7月、去年の夏…つまり、まだコロナウィルスのコの字も知らなかった頃に、この小説は出されています。
ですのでもちろん、書かれたのはもっと前ということになります。

え? どうして? 
伊坂さんはどうして「今」の状況がわかったの?

と、ぞくりとしました。

現実パートでの、新型ウィルスに対する人々の反応、差別、人権侵害、隔離…などなど。
ウィルスにかかること以上に、人々の恐怖が脅威であることを描いているのです。

もちろん、予言めいたことを書こうとされたわけではないでしょうし、題材として取り上げたのも偶然かと思います。
けれど、この鋭い視点に、伊坂さんが人間を描く天才であることを改めて納得させられました。


そして最後に、神頼みならぬ夢頼みではなく、
「今ここ」を変えるには、
「今ここ」にいる自分が頑張らないといけない、立ち向かわなければならない、と主人公が気づき、乗り越えていくという王道のクライマックスへ。
さわやかな読後感でした。



さて、2冊目です📘
ドラマや映画でひっぱりだこの池井戸潤さんの作品、『空飛ぶタイヤ』です。

家族がはまっているので、我が家の本棚には池井戸さんの本がかなりあります。
映像化された方を知っているけれど、原作としてちゃんと読んだのは、
私の場合、『七つの会議』くらいでした。
(こちらの原作も面白いです)

映画は、時間的制約がドラマよりも厳しいのは仕方がありません。
一度しか観ない人が多いという前提のもとで、原作を知らなくても一度でわかる認知の範囲におさめる。
しかも文字ではなく、耳で聴いてわかるようにするわけですから、シナリオ化はたいへんだと思います。
盛り上がりを際立たせるために、何を取り、何を捨てるかなども、きっとありますよね。

(本当は男性の役なのに女性になっていたり、という変更もありますが、それは画面の華やかさとかの問題なのかしら??キョロキョロ)

私は映画を観て、もっと知りたくなったり、気になったときに原作を読みます。
この『空飛ぶタイヤ』も、映画を観てからでした。

まず、原作の分厚さに驚き(笑)一瞬、手を出すか迷い、戸惑いながらもページをめくると…止まりませんでした。

池井戸さんの作品の特徴かと思いますが、主人公が見舞われる理不尽な状況がどんどん悪化して、とにかく辛い!
つらすぎて、途中、やめたくなりながらも、いや、ここでは終われないぞと思って、ページをめくります。
一瞬、救いの光が見えても、それはたいがい潰えてしまう…
それがわかっているだけに、主人公が「これさえ◯◯すれば…!」と希望的観測を抱くたびに、逆に読者は危機感を募らせます。

あ、これダメになるやつだ…と(´Д` )ガーン

そんなハラハラや苦しさを味わいながらも、どうしても気になって読み進めるわけです。


『空飛ぶタイヤ』は、三人の視点が交差します。
主人公は赤松ですが、映画ではそこまで詳しく描かれなかった銀行の井崎のことや、スマートな沢田が追い詰められて、具体的に最後に何をしたかなども小説では描かれているので、なるほどと納得できました。


そして、対する巨大組織の恐ろしいほどの腐敗!
とんでもない人がたくさん出てきます。
けれど、誰が見ても悪い!っという敵を、見事なまでにひっくり返すので、水戸黄門を観て育った私としては、スッキリして満足します笑い泣き

赤松の家族の話も出てきて面白いです。そちらもとんでもない理不尽な敵が出てくるので(笑)、理解不能な人間は身近に、そこかしこにいるという現実を思い起こさせます。

沢田の奥さんがとても素敵なのですが、映画では離婚したことになっていて、沢田の孤独がより強調されていました。
原作の中で、夫婦で話しているシーンにとても心に残った文章がありました。

「客観的には満足できても、主観的には物足りない。主観と客観が両立したとき夢は実現する。
あるいは、夢が実現したとき、主観と客観は両立している。そういうものではないだろうか」

見た目には夢を叶えたように見えても、自分が満足できていなければそれは夢を叶えたことにならない。
痛いけれど、その通りですね。


端的に、真実を。
さらりと伝えてくるのですから、小説はすごいです。

カタルシスを味わうには、もってこいの作品でした📘


まさに本を読むのにうってつけの時間ですね。
と言いながら、紙の本として手元にあるのはこちらだけかも?
しばらく青空文庫さんのお世話になっております。
本屋さんにも図書館にも行けないので、オンラインの本や、我が家の家族の本棚があって助かります。

とはいえ、本を読むのもエネルギーを使い、目を酷使し、腰痛背中痛になりますから、適度に運動を挟まないときついですねあせる
私は、長編の「空飛ぶタイヤ」に、読むエネルギーを注ぎすぎたようです(笑)

なので今は、作家さんたちがリレーで連載している、Day to Dayを読んでお気に入りとの出会いを楽しんでいます音譜


さて、久しぶりにブックレビューを📚
ネタバレも含みそうなのでご注意を!




最初は『モモ』📕
再読です。
ステイホーム生活になったとき、頭に突然、
「致死的退屈症」
という言葉が浮かびました。
なんとなく引っかかって、本棚から引っ張り出した次第です。

『モモ』は、時間という、私たちが逆らえない、絶対的なものを追求した物語です。
その中で、「灰色の男たち」が人の時間を盗みにやってきます。
灰色の男たちは、その盗んだ時間でしか己を保てない哀れな存在なのですが、彼らに時間を奪われた人たちが、なにごとにも無気力になり、なんの気持ちもわかなくなってしまう…そんな状態が、「致死的退屈症」と名付けられていました。
作者のエンデは心理学者かと思えるほど、優しい語り口で、ハッとさせられるような真実を突いてくるのでおもしろいです。

時間を節約し、効率化を図っていくことによって、失われていく大切なものがありますよ、気づいてください、という声がそこかしこから聞こえてきます。


そんな灰色の男たちの対極にいるのが「モモ」という存在です。
この少女がもたらしてくれる、ひとつひとつは小さくても確実に心満たす幸福感や、他者を大切にする気持ち。
その「今」を積み重ねて生きることで、過去も未来もつくられていく…
そんなことを気づかされます。
翻訳の言葉もとても好きです。


読むたびに、自分を振り返ります。

お金持ちならぬ、
「時間持ち」な今の私。
果たしてちゃんと、大切な今を積み重ねられているのかな?
私の「時間の花」はきれいに咲けてるかな?

そんなことを考えさせられる読書でしたピンク薔薇