眼鏡 | nobodyの冒険

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わかってくれる人、きっといるはずさっ

憂鬱な2020年もあと数日で終わりです。

この状況下でも細々と撮影をしてきましたが、

なんだかブログを書く気力が湧かず投稿がだいぶ滞ってしまいました。

 

今年は本当に自分を見失わないように日々を過ごすことに精一杯でした。

できるだけ気が滅入らないようなことを考え、

できるだけ普段通りの気持ちで仕事をして。

撮影もその一環だったかもしれません。

もちろん感染対策を十分しながらでしたが、

自分にとっていつもの休日の過ごし方をさせてもらえたということに

感謝したいと思います。

 

そんな中、自分的にちょっと大きな変化がありました。

10年ほど使い続けた眼鏡を新しいものに替えました。

自分は小学生時代からドのつく近眼で、

乱視もちょっと混じっていて、

おまけに40代も半ばを過ぎてから老眼も混じってきました。

遠くの物が見えるように作った眼鏡なので、

近くの物が見えにくくなるのはとてもツラい。

そろそろ限界かな、と思うようになった次第です。

 

眼鏡は顔の一部、と昔から申します。

周囲の人はあまり気にしないのかもしれませんが、

自分のなかで「この眼鏡をかけてこんな顔をしている自分」のイメージが

この10年で出来上がっているわけです。

これを変えるのはなかなか勇気がいる。

さらには今までかけたことのない遠近両用。

そろそろ作ろうかな、と思ってから1年以上、二の足を踏んでいました。

 

12月のある日、思い立って眼鏡屋へ。

遠近両用の注意点を色々教わり、フレームを選びました。

今まではやや横長のフレームでしたが、

縁の分厚さを目立たなくするためにより丸っこいものを選びました。

1週間後、出来上がった眼鏡をかけてみると、

思ったより違和感ない印象でした。

そして手元の見やすいこと。

新聞なんかも余裕です。こりゃいいや。

 

こんな文章をかつて読んだことがあります。

「勉強する目的は知識を増やすことではない。

世界を見るときの解像度を上げることだ。」

新型コロナ、米大統領選、環境問題等々、

世界には無数の問題が転がっています。

問題の全体像がどれだけくっきりと見えるか、

新たに入って来る情報の意味がどれだけわかるか。

それこそが、勉強をする意義であるということです。

新しい眼鏡をかけての帰り道、そんなことをつらつら考えました。

 

改めて、今年1年モデルをしてくださった皆さんに感謝です。

来年も状況の許す限り撮影を続けていきたいと思っています。

皆様よいお年を。