今、水戸から戻ってきた。


相変わらずの軽いドライブ感覚で、200㎞というのはちょっとおかしいかもしれない。正確に言うと、途中の事故渋滞を迂回して250㎞は走ったはず。


今回見てきた史料もやはりものすごいものだった。今まで、どうして埋もれていたのだろう?そんなことを思いながら、ひたすら写真を撮っていた。800枚ぐらいは撮影した。さて、何時になったら解読→論文になるのやら。ただでさえ、溜まっている史料が山盛りなわけだから。


さわりの部分だけ言えば、関孝和の亡くなったちょうど同じ時期に、どうやら水戸藩領内に阿蘭陀町見術が伝播していたらしい。