[ ]内は割註を示す。
(承前)
一 佐野源五郎、松本殿[仁科(ニシナ)氏歟]ニ問テ曰ク、
敵ニ怖(ヲソロ)シキト見コナシ申トノ差別之レ有リヤ
哉。答テ曰、モトヨリ備ヘ立テ能キ敵ハ、大将ノ智愚
ハ知ラ子ドモ、奥ク深シ。信玄・謙信ナドノ武者立テ
ハ悪敷候テモ、謀コトニ態(ワザ)ト致サレ候ヤ、ト人
存候故ニ、ムサト懸リ得不申候。又一人武者ノ怖ク
見ヘ候ハ、光ル物ヲ着テ懸リ候ヘハ、先キ引ケハ迹
(アト)ニ残ルイツチ怖ク候。但シ黒武者ハ何程スクヤ
カ者ニテモ、人ニ見コナサレ申モノノ由ニテ、井伊万
千代殿ヲ屋形ノ小旗マテ赤ク仰付被ルナリ。
一 又源五郎問テ曰ク、敵ト鎗ニテ衝(ツキ)合ヒ申候時ハ
鎗ノ長短何レカ能ク候ヤト申候ヘハ、往年甲斐ノ国ヘ
川尻ト云者参リタル時、川尻殿ト松本殿ト此僉議之レ
有リ。鎗ハ長ガ能キニ極リ候。敵ノ鎗九尺、此方ノ鎗
二間半候ヘバ、一間一尺ナラデハ出スモノニテ候。我
カ鎗二間或二間半ナレバ、二間突キ出シテ怖シゲモ
ナク候。タトヘバ三間鎗ニテ、敵モ三間鎗ニテ鎗先キ
一尺ホド行違イ拍(タタキ)合ヒ候テモ、人ガ遠ク候間
鎗ニナルマジキトハ不申候間、トカク長ガ能ク候。サ
テ長キ鎗ヲ大勢ノ中ニ持様ハ何ト致シタルカ能ク候
ヤト申候ヘハ、松本殿ノ曰、謙信信玄モ馬ヨリ下リ候
テハ錫(シヤク)杖(ジヨウ)カタゲトテ両ノ手ニテ柄ヲ
持カタゲヨト被仰候。
一 鎗ヲ合セ申時突キ所何方ヨク候ヤト尋候ヘハ、松本
殿ノ曰、面(ツラ)ニシクベカラス。必敵ノ面ヲ突カルベ
シト被申候。面ヨリ外ニハ無キカト申候ヘハ、左ノ具
足下ノ脇ノ下ヨリ具足ト色替リタルヤウニ見ヘバ、ソ
レヲシルシニ突キタルガ能キト被申ニ付テ、源五郎
ハ具足ノ色金(コガネ)小札(ザネ)ニテ候故、具足下
ヲ袖計リ金箔ノ織物ニテ致候ヘバ、石原主膳、尤ト
誉(ホメ)被申候。石原モ銀具足ニテ候故ニ具足下ノ
袖ヲ白ク被致候。
一 敵退キ申時、馬上ニテ追フ懸ケ申候時ハ、一町モ前
ヨリヤルマジキト声ヲカケ候ヘハ、後日西郷甚七郎、
某シモ敵ニ追ハレタル事アリ。声ヲ懸ケレテハ頭ノ上
ヘ雷神(ナルカミ)ノ落ル様ニテ、馬ハ一所ニ躍(ヲド)ル
ヤウニ覚ヘ候間、トカク前ヘ廉(カド)ニ辞ヲ懸タルガ能
キト被申ナリ。
一 敵ノ馬武者ヲ追フ時ハ、一旦ニ急ニ追付タルガ能キ由
承リ候。此ノ子細不存候由シ、仁科殿ニ孕石右馬助尋
候ヘハ、急ニ追テ能キ事モアリ。場所ニヨルベシ。馬上
ノ敵足場ヲ見テ返シ合ルモノナレバ、返シ合セ得ザル様
ニ急ニ追フナリ。鎗ダケニ成リ候ヘバ馬ヲ突タルガヨシ。
孕石申候ハ、馬ノ突キ所ハ何方ガ能ク候ヤト申候ヘハ、
尾ノツケ根ナリ。高ク突ケバ鞍ニアタルト被申ナリ。
(以下続く)