この週末、やけにブログのアクセス件数が増えてるなあ、と思って調べてみたら、3日に『天地明察』の映画化が発表されたらしい。それで増えたのか、と納得したものの、これをレポート課題にして解説文をちょうどよくブログに載せたのはいいタイミングだったのか悪かったのか。全くの偶然だったわけだが、こういう事もあるものかとあらためて思い返してみた。


人生40年以上も生きていると、何かしら偶然めいたできごとの一つや二つには出くわすものだから、あまり深刻に考えたりはしないように生きているつもりである。


それでも、こんな事もあったなあ、という話題を幾つか。


(1)誕生日

2年前の誕生日、4月××日。学生二人を引き連れて、某県内の某図書館で調査をした。そのときに調査申請書を書いてカウンターに出すわけだが、そのカウンターの係の人がしげしげと書類を眺めて話しかけてきてくれた。


「先生、今日が誕生日なんですか?年は違いますが、実は私も今日が誕生日なんです。」


いやあ、これにはビックリしたね。世の中、同じ誕生日の人はたくさんいるはずだけど、まさに自分の誕生日にそういう人と会うなんていうのは、なかなかないだろうし。


(2)調査資料との出会い

2004年2月のこと。長野市の真田宝物館を初めてお邪魔して調査させてもらったときに、2つの資料と出くわした。


1つは「経緯儀」という天保年間に作られた測量道具で、もう1つは三宅尚斎の知識に基づいた『阿蘭陀町見』という測量の秘伝書だった。


前者はかなり以前に論文で採りあげたことのあるものであったが実物を見たことが無く、数年間その所在を血眼になって探していたもので、別にこの調査の時に真田宝物館にそれがあることを知っていたわけではなかった。調査室のドアを開けて室内に入ったら、その測量道具がテーブルの上に何ということも無しにチョコンと置いてあって、ビックリ仰天した。宝物館では単に「測量道具」として登録していたために、どんなに探してもその情報は得られなかったのである。


そして『阿蘭陀町見』。これもずっと気になっていた三宅尚斎という儒者によるもので、彼がどんな測量術を持っていたのかを具体的に示す一級の新出史料だった。経緯儀と出会えた興奮がようやくおさまって、真田家の蔵書を調べさせてもらったら、今度はこれがポロリと出てきた。本当に小さな本だったけれども、自分にとっては途轍もない大発見だった。


まさか自分が論文として取り上げた内容に直接関わる史料が同じところで同時に2点も出てくるなんて、歴史家冥利に尽きるというべきか、あまりの偶然に自分自身、その日1日は呆然としていた。同席した人に言わせると、本当にわけも分からないことを口走っていたという。どうもそうらしい。


その後続々と、三宅尚斎周辺の史料が続いて出てきたことにもやはり驚くのだが、この辺のことは『近世日本数学史』のあとがきにも少しだけ書いておいた。


まだ偶然的事件はありそうかも。