先月末、富山方面に出張に行ったが、その帰り道、例のごとく空港で晩酌がてら魚を食べて、何をどう思ったか、勘定の支払時にカウンターに置いてあったタウン誌を手にとって持ち帰った。普段そんなことはしないのだけれども、この時は何か気分が動いたらしい。


さて、それから半月も経ち、この出張の時の荷物の整理をしていて、件のタウン誌、「グッドラックとやま」397号を片付けようとして偶然開いたページに目が釘付けになった。


「五十嵐孫作・篤好父子」


という文字が見えたからである。これは越中の和算家の五十嵐ではないか?


よくよく見たら、確かにそうであった。


そのページは「富山の風景」という特集記事(22―23ページ)で、富山市内の船倉用水のことが紹介されていた。今まで知らなかったことであったが、和算家・五十嵐篤好は1796年から1810年の間にかけて、神通川の支流から取水した船倉用水の工事を手がけていたという。私にとっては初耳だった。やっぱり彼も土木工事をしていたのか。人名事典等にはこのことが記されていなかったから、最近になって分かったことか、地元の史料にのみ記された情報なのかもしれないが、何はともあれ貴重な情報であった。次に訪れたときは、ぜひこの用水も見学しないと。


富山空港で偶然拾った情報が、意外な広がりを持った話になりそうである。


これもまた偶然の産物。