3日前に古本屋で衝動買いしてしまった史料、折田年秀稿『ロウレイロ時勢論』を紹介する。



手元にある情報で調べてみたら、「ロウレイロ」は幕末から明治初期の日本に駐在したポルトガルの副領事、ジョゼ・ダ・シルヴァ・ロウレイロ。坂本龍馬が乗船中に沈没したことで有名な「いろは丸」を、日本に売却する仲介をしたポルトガル側の張本人である。史料によって「ロレイロ」、「ロレーロ」などと表記されているようだが、原綴はLoureiro。



このロウレイロが明治3年に離日するということで、その別れを惜しんだ薩摩藩士・折田年秀(1825-1897)がインタビューして雑談を書きとどめたのがこの史料である。一読して分かることだが、全編、当時の日本の政治に対する過激な批判の言が述べられている。よくもここまであからさまに書き記したものだと感心してしまう。



発話者のロウレイロが只者でないとすれば、筆記者の折田年秀も意表を突く人物である。



彼は薩摩藩校・造士館、幕府の昌平黌に学び、箕作阮甫門下で蘭学を修めている。薩英戦争の際には砲台築造に関わったとのことで、戊辰戦争の時には山陰道鎮撫総督に従い丹波に赴いている。維新後は湊川神社の初代宮司に任ぜられ、この職歴によって歴史的には知られているようである。彼のこういった略歴だけを見ると、ロウレイロとの接点はなさそうであるが、史料の本文では旧知の仲として振る舞っている。


今のところ、全く周辺調査をしておらず、この史料そのもの対する史料批判にも課題があることは十分承知しているのだが、入手したばかりの史料を速報するという観点からのみ、全文を翻刻した内容を以下に掲げる。


※読みやすさを優先し、新字体採用、句読点付加などを適宜行った。[ママ]は本文のままであることを示す。他の[ ]内の文字は引用者による補足、注記である。


※史料批判上の課題については、末尾に【付記】としてまとめた。



satokenichilab's blog-ロウレイロ1  

『ロウレイロ時勢論』冒頭部分



satokenichilab's blog-ロウレイロ2

同書 末尾部分



書誌情報 写本 1冊 全10丁 


若干の朱傍線、朱傍点、頭註1ヶ所あり。(今回の翻刻では割愛)


(外題) ロウレイロ時勢論


(内題) 波尓杜瓦副使時勢論


折田年秀稿


年紀 欠


以下本文



波尓杜瓦副使時勢論  薩藩折田年秀稿



和蘭副使ホウトエン、亜墨利加副使ウオロス、葡尓杜瓦副使ロウレイロ三人、今般副使職ヲ辞シ帰国ヲ催シ、庚午三月中皇国地発艦ノ報知ヲ得タリ。時ニ三副使共、開港ノ始メヨリ副使ト成而善ク皇国ノ事情ニ通達シ、ホウトエンハ穏和ヲ以テ称セラレ、ウオロスハ徳実名アリ、ロウレイロハ義気アリテ弁舌明瞭、善ク條理ヲ説得ス。頗ル其妙ヲ得タリ。項[ママ]日、吾輩ノ知己ナレハ今般数千里ノ外ニ長ク別離シテ面会其期ナキヲ悲歎シ、且三副使一時ノ帰国、必仔細可有之乎。方今吾輩ハ草野ノ庶人、敢而国事ニ関係スル者ニ非スト雖モ、抑人心ヲ具シタレハ、世上云々ノ形勢モ眼ニ触レ耳ニ聞テ密ニ歎息シヌ。洋人見識ノ大凡モ有バヤト愚考シ、此年庚午正月二日、ロウレイロヲ訪フ。昼三字ヨリ閑談シテ六字三十分ニ終ル。帰館後安キ心モアラズ、寐ラレヌママ筆ヲ執テ其大意ヲ記ス左ノ如シ。



年秀曰、我皇国王政復古旧弊一新以来、日々月々政体盛ニ、法令厳粛、君子朝ニ満テ野ニ遺賢ナク、武々文々各其職ヲ守リ、才ヲ磨、能ヲ尽シ、風俗モ亦大ヒニ変シ、文明開化ノ趣、君為君、臣為臣。不日ニシテ泰平ノ秋ヲ可待。此時節ニ至リ而ハ、各国交際ノ愛情モ更ニ深ク、宇内一和与ニ其[ママ・共?]ニ天理ヲ可楽ナリ。然ラハ則副使、年久ク此盛運ニ逢シハ頗ル栄トスルニ不足カ。豈図ンヤ、三使ノ辞職シテ同時ノ帰国、其疑ナキニ非ス。抑故アルカ。年秀ハ草野ノ庶人、唯副使ト昔年ノ和親ヲ重シ、其別離ヲ惜ム。敢テ世間ノ人事ニ係ルニ非ス。伏テ願クハ其説ヲ聞クコトヲ得也。



副使曰、素ヨリ故アリ。夫吾人此国ニ容[ママ・客?]タルヤ爰ニ十数年。国内ノ人情形勢粗暗知シ、且徳川氏ヨリ以来、政府公吏之為ニスルコト亦不少。今此地ヲ辞シテ故卿[ママ]ヘ帰臥スルコト、其情実固ヨリ如何ソヤ。然リト雖モ熟察スルニ、日本ノ浮沈已ニ不遠。誠ニ可歎也。蓋シ其一二ヲ云ニ、徳川氏ノ公吏ト虚言ヲ謂テ信ナキニ似タレトモ、懇ニ教諭シテ彼レ是其説ヲ得ルヤ、善ク勉強シテ是ヲ実事ニ施シ、疑シキハ広ク問ヒ、不知ハ詳ニ質ス。誠ニ能ク其職ヲ尽ス。信ナキニ似テ信アリ。方今、朝廷ノ官人ニ至テハ其情大ニ異ナリ、威儀ヲ貯ヘ表ニ情実ヲ飾リ、偶来リテ事ヲ談スル、大凡西洋ノ情実ニ通スルカ如シ。ナマモノシリニテ言語ヲ用ヒ弁舌ヲ巧ニシ、事毎ニ不知ナキカ如シ。故ニ能ク條理ヲ建テ事情ヲ尽シテ其胸中ヲ探ル、初メ知ルスルモノハ全ク偽ニテ、唯舌頭ノ上之空言。然レ雖[ママ]亦改メテ其事ヲ問質スニモ、不至モノハ甚不誠実ニシテ、人ヲ欺キ偽ル心底大ニ可悪事。熟察スルニ此輩ハ悉ク、皆皇帝ノ為ヲ深切ニ不存ヨリ如斯乎。然ラハ則素ヨリ官録ヲ盗ム人ナリ。吾面謁セシ人十人ニ七八ハ如此。廟堂日用之政令、如期[ママ]ナルニ於ハ、争テカ国体ヲ盛大ニ張ル事ヲ得ンヤ。一新以後、日々衰弱ノ勢已ニアリテ、其政一モ的実盛業之美事アルヲ不聞。徳川氏、初メハ国事ヲ亜墨利加ニ聞ク。中頃、仏郎察ニ変シ、方今、英人ニ云々。同盟各国之交際ニ於テ、彼ヲ捨テ此ヲ採ル之理アランヤ。公平ノ所置ニ非ス。



今日本ノ政事十失アリ。指ヲ屈シテ語ルヘシ。



其一ニ曰、日本人事業ヲ人ニ聞ク、軽卒ニ信用シテ採用速ナルハ誠ニ大患トスル也。察スルニ官人上下共、皇国ノ為メヲ深ク不思念ニ依ル乎。夫レ国家之制度ニ於ルヤ重大深遠、其一ヲ施セハ一之弊ヲ生シ、二弊ヲ救ハントスレハ五之損ヲ引ク。一朝一夕ノ間ニシテ中庸偏頗ナキ大政ヲ行フコト、古今英名明君子ト雖モ最モ難トスル所也。然ルニ今日本ニ於テヲヤ。上ニ英明ノ君主ナク、下ニ賢才ノ臣ニ乏ク、国病ミ民疲レタリ。故ニ大ニ精ヲ励ミ深ク心ヲ尽シ、公平至当ノ政令ヲ布敷スヘキニ、却テ事々軽卒ニ信用シ、善悪ヲ不弁、議評不憚[ママ]、其事ヲ行フコト甚速也。故ニ為ス所ノ成功ヲ不遂、中途ニテ廃スル件々、一新後幾ハクゾヤ。是誠ニ国家ノ大政ヲ不憂、不慮ニ依ル此災害、連々綿々トシテ日々増長シ、終ニハ莫大ノ疲弊ヲ請ク。其疲弊ヲ受ルモノハ誰ソヤ。唯国土ニシテ皇帝之一身ニ迫ルヘキ也。臣トシテ大難ヲ君家ニ遺ス。固ヨリ理乎非乎。



其二ニ曰、方今、動モスレハ廃官ノ議アリ。長崎中已ニ五百余人廃セラレシト云々。夫廃官ハ会計ノ費用ヲ省キ、冨国ノ根本ヲ固有スル大着眼。時トシテ行フヘキナリ。然レトモ廃官ニ法アリ。如何トナレハ廃官ノ人ハ、当日ヨリ録[ママ]ヲ離レテ活計ノ道ヲ失フ。是当惑ノ理也。故ニ先廃官ヲ施スニハ、廃セラレシ各名日々生活ノ道ヲ設ケ、其後官録ヲ廃スベシ。心情正直義満身ノ人ハ渇シテモ志操ヲ不変。然レトモ若シ窮スルニ随テ、不慮ノ悪心ヲ引起シ、盗ヲナシ人ヲ殺スニ至リテハ、必政事ノ妨ケヲ成シ、風俗ヲ乱シ、終ニハ国家多事ニ趣クヘシ。今日本ノ地ヲミルニ、広野漢々、山林連々、且金銀銅鉄ニ冨ミ、加之全洲沼海ノ利ヲ備ヘテ、人物入用ノ事業、其数幾クヲ知ラズ。然レトモ是等ニ手ヲ不下サ、活計ノ法モ設ケズ、妄リニ官人ヲ廃シテ人民ヲ塗炭ニ苦シメ、誠ニ不思ノ所也。如斯人民ヲ苦シメ枯死セシムルヨリ、是ヲ亜墨利加ニ捨ルモ理アリトス。彼ノ国ハ北方ノ地ヲ開キ人物大ニ入用アル故、国人ハ其親切ヲ歓ブベキ也。併シ海外ニ勇名ヲ称セラレシ日本トシテ、吾国ノ民ヲ扶助スル事能ハス、是ヲ外国ニ捨ルトハ世界中ノ物笑ヒ也。且人情ニ於テ悲歎スヘキ事ニアラスヤ。英国ノ都府ニ、近年遠船局ヲ建テ各国ノ船舶ヲ修造セシメ利益少クシテ、終ニ年々損失ニ及ヘリ。依テ廃局ノ議ヲ決ス。然リト雖モ此局ニ用ユル人物大凡二千余名。依テ俄ニ廃スル時ハ、此人物活計術ヲ失ヒ、且国内大ヒニ開拓シ已ニ下スヘキ事業モナク、拠ナク其損失ハ知リツツモ此局ヲ廃セス。時ニ亜墨利加北方ノ地ヲ探リ得タリ。爰ニ於テ二千余人ノモノ活計策ヲ立テ、本国ヨリ官人ヲ差添、二千余名ヲ彼ノ国ヘ護送ス。此人物土着セシメ活計相定リ生繫ク、弥以テ異変ナキ事ヲ実見シテ官人ハ帰国シタリ。国民ヲ扶助スルノ法、大凡如斯モノニテ是ヲ万国公法ト云ヘシ。今日本ノ制度ヲ見ルニ、我一国ノ人ヲ相手ドリ、互ニ賊[ママ]シテ辛苦ニ至ラシム。不忍トコロナリ。



其三ニ曰、方今東京ヨリ西京ニ至ル鉄道ヲ造ルノ議有リト聞ク。是何等ノ妄論ソヤ。抑鉄道ノ失費、幾千万ヲ以可算。是誠ニ国家疲弊ノ根本トス。熟考スルニ、廟堂ノ官員、私慾ヲ狡ミ、議者ノ名ヲ残シ、亦或ハ其利ヲ貪ランカ為ニ、如此無議ノ企ニ及ヘリ。夫鉄道ノ便利ヲ造リ、蒸気車ノ迅速ヲ用ルモノハ、金銀盛大ナル利益ニ依ルカ、広遠ノ迂路ヲ厭ヒ其雑費ヲ補フカ、又軍勢ノ大事カ、此三事ヨリ外鉄道ノ義ヲ起ス者ニ非ス。今東西京ノ間ニ金銀ノ利ナク、軍備ノ急務ナク、蒸気船ノ海路モ備リシニ、何故ニ此設アリテ国土ヲ煩スヤ。国内不調、政令不信、妄リニ欧羅巴ノ盛大ナルノミヲ学ハハ、所謂ル満朝ノ官員、深ク皇帝ノ為メヲ不思念、己ノ美名ヲ飾ン為メナリ。誠ニ可悲。考ルニ東西ノ都府、蒸気ヲ通シテ日々ノ失費ヲ算フルニ、大凡一人ノ運賃三十七令[ママ]トシテ、一日ニ七千人運送セサレハ補ノ道不立。今日本ノ地ニシテ東西ノ往来七千人ニ及ハズ。且国勢小長ノ国ナレハ、運輸ハスヘテ蒸気船ニテ事足ルヘク、亦商品ト云ヘトモ鉄道ニテ速ニ運ハザレハ商法機会ヲ失フ急務ニ非ス。唯朝廷ノ官人東西ニ公事ヲ弁スルニ数日ノ陸行ヲ苦ミ国土ノ疲弊ヲモ勘考セス此儀ヲエミ出シ、己レ蒸気車ニ乗リ、一時二時ノ安坐シテ往来スルヲ愉快トセント欲スルナルヘシ。



其四ニ曰ク、今日本政府執政ノ人ヲ見聞シ、且其為ス所其行フ処ヲ観察スルニ、各我慾心ニシテ君ノ為メ人ノ為メヲモ毛厘モ不存ザル人已ニ多シ。夫国家ノ政事ヲ為スニ、己レカ慾心アリテハ其政正シカラズ、法令重カラズ。悉皆、皇帝ノ為メニ不利ナルベシ。故ニ今日本ヲシテ文明開化、海内ニ横行シ、各国ニ冠タラント欲セバ、早ク廟堂執政ノ姦吏ヲ一掃シ先無慾ニシテ識達ノ人ヲ撰用シ、其政度ノ如キニ於テハ冝ク旧法ヲ調理シ、其苛政除キ、人情平穏一致ヲ先務トシ、軍備ノ外、土木一切ノ失費ヲ除キ、国内ヲ冨マシ、庶民ヲ服シ、後條ノコトクシテ開拓等ノ新法ノ義ヲ立テ定ムヲ、当時ノ一大急務トス。皇帝久シク帝権ヲ失フ内ニ、金穀ノ貯ヘナク、偶々薩長ノ力ニ依テ漸ク一新復古スルヲ得タルモ、内不調、外修マラズ、俄ニ封建ノ旧制ヲ廃シ都ヲ遷シ、土木ヲ営ミ、千状万態、唯一朝ノ雑沓、成功更ニ不可見。上逆ニシテ下貪リ、士民憤懣、国乱続至ランコト、其日可待トス。思惟スルニ、官員ノ内、十ノ三四ハ此等ノ情実審カニ知リ得ルト雖モ、一時ノ風習ニ馴レ、己一人異議ヲ建ルヲ不好、空ク退キ黙止スト覚ヘタリ。可恐形勢ニアラスヤ。



其五ニ曰、熟考スルニ、日本海内ノ三[ママ]脈厚大ニシテ、金銀銅鉄ノ鉱石其過多ナル物、善ク世人ノ識リ得ル所ナリ。然ルニ此大業ヲ捨テ、所謂ル鉄道ノ儀ヲ起シ、鉄橋ヲ設テ都ヲ遷シ、土木ヲ営ミ、唯辛苦シテ無益ノ事業ヲナシ、幾ノ国刀[ママ]ヲ費、誠ニ可惜ム事トス。聞ニ朝廷、仏人ヲ雇テ但馬ノ国ニ銀鉱ヲ開クト。此仏人ハ虚唱ノモノニテ、所謂モンフランノ同党、実ノ精密家非ス。察スルニ此地ノ鉱山ハ成功ノ秋アルヘカラス。是則日本人、事ヲ軽卒ニ信用スルノ然ラシムル処也。抑鉱山ノ如キハ失費重大ナルカ故ニ、其利益モ亦少ナカラス。依テ此等ノ功業ヲ誠実ニ発起シ、国家ノ有司トセント欲セハ、先西洋各名ニ就テ精密盛長ノ国ヲ糺明シテ後、其国ノ政府ニ応接シ、高明識達ノ精密家ヲ借リ迎ヘ、鉱山ヲ慥ニ監察シ、精密家ヨリ日本国何ノ誰ノ山々ハ金銀如何程、鉄銅何許ト一紙ニ証記ヲ乞取、此記証ハ其国名ヲ記ス。夫一紙ヲ以テ彼政府ニ応対セハ、條約ヲ結束シテ機械ト鉱山師トハ彼政府ヨリ即時ニ護送シ、悉皆国民ノ使役シテ金銀ヲ穿採リ、而後器械ノ科[ママ]ト鉱山師ノ給金等返却ニ及フヘシ。是西洋各国ノ習トスル処、如此ノ事件ニ至ラス、只々無益ノ失費ニ国力ヲ耗シ、冨国強兵遠大ノ政事ヲ不施ハ、誠ニ可歎息也。況ヤ但馬ノ如キハ、無名ノ欺物ヲ雇入レ、妄ニ国力ヲ費スハ是何等ノ拙策ソヤ。



其六曰、金売[ママ・穀?]ハ抑国家ノ位置スル大事ノ物トス。徳川氏ヲ斃シ皇帝ノ政令ニ一䋆[ママ・編?]スルモ、如此日用不可欠緊要ノ政度ニ於テハ、異論更ニ有ヘカラス。然ルニ通貨ノ定度ナク、金売[穀?]猪幣ノ直次第不同。庶民各勝手ノ相場ヲ立テ、貧民ヲ苦シメ、商家ヲナヤマシ、此節ニ至リテハ政府ノ局々各通貨ノ製ヲ異ニシ、公然ト布敷シ、其レ幾百万ニ至ル乎。日本全州ノ手広ク是迠ハ諸公モ割拠ノ事ユヘ、其国々ニ於テ自然其国郡ノ通貨アルハ勿論ノ事。然ルニ大政官ノ外、局中ニ於テ更ニ通貨アルヘキノ理ナシ。是レ会計ノ厳密ナラサルカ致故也。会計ハ国家日用ノ大本、武ト云、文ト云、会計ノ法則乱ラハ事必成功ヲ遂ス。実ニ国家ノ枢要トスル処也。今廟堂ノ政事ヲ勘考スルニ、会計ト民政トハ他観シテ、唯日用微少ノ枝葉ニ関係スル繁雑沙汰ノ限リニテ、日月ヲ送ルト思ヘタリ。執政参政ハ果シテ何等ノ人物ソヤ。素ヨリ論ナシトス。



其七ニ曰、方今、廟堂ニ於テハ耶蘇教ヲ禁シ、是カ為メニ教主ト毎々議論ニ及ヒ、官員大混雑ノヨシ。亦或ハ仏モ禁セラルルノ義アリト聞ク。夫国内ニ政令不正、下民憤怨ヲ懐キ、動モスレハ旧幕ノ政度ヲ公然ト仰キ慕ヒ、志士ハ沸騰ノ時節モ不顧、愚民ノ傾ク宗旨ニ関係ノ洋人ト議論ヲ起シ、海内ノ誹謗ヲ請ケ、内国ノ政事ヲ妨ケラル。無識ノ尤甚シキ者ト可云。按ルニ、西洋各国宗旨ノ為メニ国難ヲ引出タセシ事、実ニ算ヘカタシ。故ニ方今ニ至テハ、識達ノ名家ノ輩出テ、悉ク宗旨ノ禁ヲ寛シ、敢テ私見ヲ不交、各其欲スル処ニ任セテ打捨テ、却テ政事ヲ内ニ固クシテ、至治ヲ致セリ。此実的ノ政体ト成ルヘシ。蓋シ宗旨ノ派脈ヲ立テ、其門派ヲ如何ト争ヒ競フモノ、皆愚民凡夫ノ仕業ナリ。此等ノ愚民、何等ノ宗旨変スルヤ、政府ニ於テ妄リニ主意スヘキコトニ非ス。下民ハ宜ク政府ノ令ヲ慎守ヲ[ママ]、家業ヲ勤メ、賦税ニ滞リナク、各其生活ノ道ヲ定メテ一和スルヲ専務トス。宗旨ノ可否ニ係ルヘカラス。抑日本ハ神孫ナル故ヘ、神道一色ニ帰ストハ固ヨリ当然タリ。然レトモ宗旨ニ逆フモノハ必変シ難シ。愚民ノ習ヒ故ニ、思ヒ思フニ其気ノ傾ク処ニ任セテ発願ノ祈念ヲ凝ラシ、政府ハ是ヲ一様ニ見ナシテ寛大ノ政事ノ施スヘキコト、済世ノ一術トナスベシ。



其八ニ曰、日本政府ノ日誌、其他上板新出ノ書ヲ見聞スルニ、其事跡多クハ空論無実ノ飾文ニシテ、只凡夫愚民ヲ欺ク書史ナリ。如何トナレハ、文句ノ如キハ至レリ尽セリ。然レトモ其行フ所、為ス処ニ比較スレハ、雲泥ノ違アリ。何カ故ニ失費ヲモ不厭、過多ノ虚文ヲ造リ、物笑ヲ世間ニ遺シ、無実ヲ後世ニ示スヤ。不可然ノ政令、愚民ト雖モ政府ヨリシテ必欺クヘキモノニアラス。一欺ク時ハ即政府ノ職ヲ損シ、遂ニ其令ヲ破ルモノ多シ。故ニ政府ノ命令一度下リテハ、決シテ動揺スヘカラス。此政機ノ大眼目トスル処、依テ勘考スルニ、方今西洋各国ノ新聞ハ日本廟堂執政ノ人熟読セサルコトト察スル処也。西洋新聞ハ日本日誌ノ如ク虚飾ノ空論ハ更ニ之ナク、皆実事有用ノ事ノミ誌シタリ。依テ能々釈シテ廟堂ノ官人可熟覧コトナレトモ、其事ニ及ハザルハ如何ニモ残リ惜シキ也。但シ是ヲ能ク熟覧アラハ、日本ノ政事モ今ノ如ク麁末ノ所置ハコレナキ筈ノ事ナレトモ、前ノ如ク己レノ国誌同様、虚言ノ心得ニテ見ラレシト覚ユ。不信実ノ甚シキモノナリ。



其九ニ曰、日本全国十分ノ七八ハ、未タ艸昧ニシテ不開。如此手ヲ附ベキ山川広埜ヲ十分領シ得テ、日用無益ノ事ニ日月ヲ送リ、且見留モ無之ニ、能ヲ忌ミ才ヲ妬ミ、公然ト議ヲ立廃官ヲ企テ、有用ノ人物ヲ退ケテ、亦或ハ乞食非人ヲ打捨ナトシテ、入ラサル宗旨等ノ為ニ政府ノ煩労ヲ拵ルモノ、是則国ノ為ヲ不思、皇帝ノ禄ヲ貪リ、今日明日ト無異ヲ送リ安穏ノ事ノミヲ思念シテノコトナリ。箇様ノ体ニテ国政ヲ盛ニ張リ、文明開化ノ向ナトハ存モヨラス事、当時廟堂ノ官人中、西洋一見ノ人モアリシハヅ、何事ヲ見テ帰ラレシヤ。誠ニ疑フヘキ事ニ非ズヤ。西洋各国ト云トモ、ヒトリテ開ケタルニ非ズ。各主宰ノ人物アリテ、銘々骨ヲ折、力ヲ尽シテ今日ノ開化ニ逢シナリ。



其十ニ曰、日本制度、士農工商区別アリテ、士ハ農工商ヲ賤シミ軽シメ、甚シキニ至リテハ、殺害シテモ左迠ノ罪ナク、是何等ノ制度ソヤ。夫天地ノ間、百物ヲ産シ出スルモ造物者ノ巧造、敢テ区別軽重アルベカラサルモノ。況ヤ生殺ニ於テハ非道ノ最タルモノ、海外伝聞シテ嚬笑スルコト、其悪風俗ノ日本国ニ限ルヘシ。時ニ今度、皇国昔年ノ門閥ヲ廃シタリト。是ハ美事トモ可云。此制度ヲ下シ施シ、四民区別ヲ不廃ハ、始アリテ終ナキニ似タリ。皇帝ノ骨肉親族、且旧来ノ名家アリ。依然トシテ扶助スベク、早ク四民ノ区別ヲ除クヘシ。是順ナリ。政令逆ニ出レハ、奇怪トスル処ナリ。方今ノ如ク政令順逆ヲ失シ、可除ヲ不除、旧弊ヲ守ル時ハ、世治ニ随ヒ、シタカツテ英明識達ノ人物ハ出ヘカラス。世運乱ル時ハ、朝廷ノ法令モ行ハレズ、四民区別自然ニ薄ク、依テ英雄豪傑突然トシテ草間ヨリ可出也。日本ハ元来、天度ハ其宜キヲ得、天才秀出ノ国ナレトモ、如此程々ノ区別アルカ故ニ、各其分ヲ安シテ等ヲ越スコトナク、故ニ類ヒ捆[?]ニスル人世ニ出テズ。是誠ニ皇帝ノ不幸也。



如是ノ十失目前ニ有テ、国勢日々衰弱困乏シ、官人ハ奢リテ美事ヲ好ミ、唯妄リニ西洋ノ盛大ナルヲ学ヒ、何ヲ以テ国体ヲ立、下民ヲ扶助スルコトヲ得ンヤ。夫日本ノ形勢ヲ云、初メハ亜米利加ニ親シミ、中頃良察[ママ]ニ馴レ、今亦英ニ懇切ナリ。其懇切ハ固ヨリ可然事、併[二字空白]ナキハ何事ソマ[ママ]。



今日本ヲ牛ニ譬ヘテ云キ事アリ。爰ニ一疋ノ肥牛アリ。或人来リテ口綱ヲ採リテ引去リ、四方広漢ノ処ニ置放シ、其人ハ行去リテ高キ山ニ登リ、其牛ハ広原ニ放チ捨テラレ、在合ノ草葉ヲ食シテ命ヲ繫クト雖モ、終ニハ草葉ヲ喰ヒツクシ、外ニ養フヘキ人モナク、自然飢疲シテ斃レ死スルニ至ルモノ也。是等ノ情実ヲ篤与勘考アルヘシ。今世上ニ牛ヲ引キサル如ク、日本人ヲ手引シテ、其舌頭ニテハ如何ニモ親切ヲ尽スト雖モ、日本ノ勢力尽果テハ此牛同様ノ事ニテ、国力モ飢疲シテ斃ルルニ至ル。終ニハ各国戦争ノ地トナルヘシ。故義[ママ]輩、固ヨリ不才ト雖モ大凡此等ノ情実ハ洞察シ得タリ。先速ニ帰国シテ生ニ養フヨリ外ナシ。日本ニ居留シテ何楽カアラン。此後ハ悲歎スヘキコトノミ多カルヘシ。



幸ニシテ貴公ハ今仕官ノ人ニ非ス。我令言更ニ違フベカラズ。謹テ身ヲ退キ、一両年ノ形勢ヲ熟視スベシ。事ノ敗ハ政府ノ会計ノ足ラサルヨリ始ルヘシ。抑会計ノ失典ハ通貨ノ定度ナク、賦税ノ法則乱レ、未タ土木ノ雑費ヲ除カズ、俸禄ノ大節ヲ定メ、此ヲ以テ失典ノ極ト言フヘキ也。



熟考スルニ皇帝未タ若年ナレハ、補佐ノ元臣政令ヲ布敷スル筈、此重臣幾人アルヤ。各尋常ノ無識輩トスル所ナリ。如何トナレハ、日本ノ服制ハ海内無二ノ美服ニシテ、威有テ不猛。誠ニ壮観トスル所也。然ルニ徳川氏以来、日々ニ随ヒ、月ヲ追テ、西洋各国ノ風習ヲ学ヒ、日本無産ノ毛布ヲ好ミテ、土地出産ノ名品ヲ軽シ、国力ヲ費耗スルコト一ヶ年ニ幾百万ゾヤ。且西洋ノ服ヲ学フコトモ一理アリト雖モ、熟観スルニ、廟堂貴重ノ官人、或ハ上頭ノ士官ト名乗リテ、頭ニハヤトミラール上官ノ冠ヲ頂キ、身ニハ下等士官ノ賤服ヲ着シ、腰下ニハ商人粧ヲヒアルカ如キ、誠ニ可笑可耻姿粧タリ。何故ニ旧来ノ服ヲ廃シ、如此礼服ニ変シタルヤ。抑服制ト云ルハ、貴賤老若共ニ眼ニ触レ耳ニ聞テ、是ヲ尊敬シ、彼ヲ賤トスル貴賤ノ目標タリ。故ニ其制軽々敷変スヘキニ非ス。如此遠謀ノ識略モナク、各位ノ欲スル処ニ随テ恣ニ変正シ、虎顔蛇尾妖怪ノ粧ヲ不禁モノハ、無識ノ甚敷モノトス。唯是ハ、当時ノ急務ニ非ザルカ故ニ唯嚬笑スルノミ也。去ナカラ国土治乱ニ相係ルモノハ、会計ノ一大事件ナレハ、速ニ人物ヲ撰ミ、金売[穀?]出人[入?]ノ大機ヲ不被為改革ハ、日本ノ浮沈目前ニ有ヘキナリ。



右之談判終リシハ六字三十歩也。先一礼ヲ述テ帰館スト雖モ、終夜眠ラレス、物語ノ侭筆記シテ、後年ノ灯下ノ友トセント欲ス。夫外国ノ人ニシテ、能モ宇内ノ情実ヲ斯迠捜索シ、理非明白ニ論シ、吾輩ノ愚識ヲ以一ツモ間然スルコト不能。



推考スルニ副使ノ言処会計云々ノ情実、マコトニ然リ。吾朝一新ノ初メニ当リ、制度大変革シ、月給悉ク金ニ換ヘ、府県ノ貢賦モ亦金納ニ相改メ、金ヲ貴ヒ米売[穀]ヲ賤ンス。為メ之カ山野僻遠ノ土民、粗食ヲ廃シテ美食ヲ極メ、数千百年、皇祖連綿不易之制度ヲ変シテ、大ニ国体ヲ損シタリ。是偏ニ無識ノ児綿弱才ヲ以テ妄リニ西洋制度ニ習セシモノ也。夫西洋ノ制度ニ於ルヤ、パンヲ食ヒ、肉ヲ食ス。酒ヲ飲テ日用シ次ノ命ヲツナク。故ニパント云、酒ト云ヒ、是ヲ家々ニ貯ルニ非ス。皆財ヲ散ラシテ是ヲ彼ノ売店ニ買フモノナリ。故ニ金ナクンハ一日モ活計難立。吾皇国ノ如キニ於テハ、開国已来今日ニ至リ、塩醤ヲ嘗メ米売[穀]ヲ食ヒ、塩醤米売[穀]皆一ヶ年之数、家々ニ貯ベキモノ故ニ田畑ヲ設ケ五一六亦ハ三等ノ賦ヲ定メテ、皆其出地ノ肥饒ト水利ノ便ヲ以テ算ヘ、其制度簡易更ニ遺漏ナシ。而耕者秋実ノ日、貢賦ヲ官庫ニ収納シ、是ヲ官員ニ分配ス。是所謂官禄亦世禄ノ法ナリ。子孫連綿土地ヲ領セシメ、賦ヲ其土地ニ収ム。所謂豆粟アリ。薪モ麦モアリ。其法密ニシテ厳ナリト云フヘシ。然レハ其土地耕スニハ田乏シク、民多キモノハ工商或ハ養蚕ヲ勤ルモノアリ。依テ米売[穀]ノ貢賦ヲ金ニ直シ当テ、以官府ニ収納ス。中興以来識達老練ノ名家続出シテ、其定理ヲ定メテ啓[嗸?]々堂タリ。蓋シ官録月給法則モ又、其日用ヲ経ルニ随ヒ、精ヲ加ヘ米ト金トヲ区別シ、米ヲ以テ食当テ金ヲ以テ居衣日用ノ失費ヲ足スニ至テハ、事総テ実的ヨリ出ル。至誠ノ良法毛厘不可易モノ故ニ、都会繁栄ノ地ト雖モ、凶年ニ逢ヒ凍死餓死ノ憂ヒナキヲ得タリ。如何トナレハ官庫ニ米売[穀]之儲アリ。無数ノ官人士大夫、月給世禄米売[穀]アリ。其糊口ノ余米ハ市井ニ売却シ、金ヲ得テ一家相続ノ失費ヲ尽シ、市井ハ是ヲ仰キテ助命ノ計ヲナス。是誠ニ両全ノ良法ニテ仁政ト云ヘキ也。大凡如斯ノ良法、制度ヲ変易シテ新ヲ好ミ奇ニ僻シ、終ニハ国難ヲ引出ス事可恐ニ非スヤ。故ニ会計ハ英明君主ノ難トスル処、宜シク注意スヘキコト也。思惟スルニ、今全州府県ノ石数厳密ノ調理ヲ加ヘ、現石商ヲ以テ石数ヲ算スルニ至テハ、貢賦ノ半ハ全ク其失費ニ散耗シ、現ニ朝廷ノ用途ニ当ルモノハ聊カ四分一ニ当ルカ。如何トナレハ一新以来、廟堂改政機ノ頽敗ヲ伺ヒ、府県ノ各名無識ノ見ヲ立、新奇ノ法ヲ設ケ、又土木ノ大業ヲ興シ、美室ヲ営ニ[ママ]妻妾ヲ貯ヘ、周歳数十金ヲ費ス。此費用其府藩県ノ貢賦ヲ押領スルカ。苟モ是等ヲ其公賦ニ取ラスハ此ヲ土民役スルカ。夫如此何ヲ以テ朝廷ノ用途ヲ足ス事ヲ得ンヤ。朝廷唯府県失費ノ余リヲ以テ官庫ニ納メ、会計ノ官員賦税ノ要枢ヲ不弁カ故ニ、唯収ル事ヲ以テ事足レリトシ、是ヲ府県ニ調理スルモ亦不少。誠ニ歎息スヘキ也。世上ニ称スル一新以来、歳入幾百万石ト。実ハ其名ノミニシテ全ク奸吏ノ為メニ押領セラルル者也。由之観此ハ、副使云々ノ説誠ニ以テ実的ノ論トスベシ。然レトモ今多言ヲ憚リ、云ハント欲スル所ヲ止メ、絶筆。



  此書辛未仲夏伝写ス。文中庚午正月聞書ト

   アレトモ左ニ非ス。全当今ノ形勢ヲ情歎シ、

   后ノ計ヲ待ツ。顕名秘スト雖モ鹿児嶋藩、折

   田年秀ノ書也。密記、他見ヲ憚リ、自然相洩

   テ嫌疑ヲ受ンヨリ、寧ロ嚢中ニ蔵シテ後世ヲ

   観聞セヨ。


[以上 本文終り]


【付記】 

本史料は今のところ、同タイトルの写本としては唯一のものではないかと予想している。従って、この史料の記述内容をそのまま鵜呑みにすることは危険である。関連調査が済むまでは態度を保留すべきであろう。


というのも、最末尾の識語に「文中庚午正月聞書トアレトモ左ニ非ス」と記されていることが疑念を抱かせる。「左ニ非ス」とは、一体この史料の何を否定しているのであろうか?



●聞き書きの年月日が異なっているのであろうか?



●会話の場面、様子、事実関係などが、全体として異なっているのであろうか?



……


というように、疑問は広がる。そもそも、この文章の内容・批判は舌鋒鋭く、明治初期という時代相を考えても、危険思想と見なされて不思議はないように思われる。あるいは、帰国する外国人の口を借りたという設定で、筆記者の思想を書き留めたという仮説設定も可能かもしれない。


このように疑い出すときりがないのであるが、今後も更に調査を進めていきたい。