被災地からの連絡途絶はいまだ深刻である。三陸沿岸部は完全に陸の孤島化し、新聞報道によれば一部の災害復旧車両の燃料すら底をつきつつあるという。石油備蓄の数日分解除・放出も決まったわけだが、すみやかな流通を願っている。


私事ながら、一族の安否情報も、まだ全メンバーを把握できていない。


今朝、ようやく石巻市稲井に住む従姉家族の無事が確認できた。万石浦の近くに住んでいるので、てっきり駄目だと半ば思っていただけに、携帯を耳に当てながら思わず頭を垂れた。


仙台と石巻市街部は50㎞程度しか離れていない。それでも従姉の安否情報把握までには5日を要した。しかも、直接本人からの連絡ではなかった。


この従姉の生存情報は、彼女の父の実家である福島県喜多方の本家に届いた。この喜多方の親戚から次に、岩手の盛岡に住んでいる従姉の兄、つまり私の従兄にもたらされ、最後にようやく盛岡から多賀城に通報があったという次第。


一人の生存確認情報が


宮城石巻 → 福島喜多方 → 岩手盛岡 → 宮城多賀城


と東北を駆け巡ったわけである。これでは5日かかっても仕方あるまい。携帯にすべての親戚の番号が登録されているわけもなく、一番近い家族から順に情報が届くのは当然である。


そういえば、この従姉は何とも地震運が悪かった。産まれた直後は父親の仕事の関係で新潟にいて、新潟地震に被災し、その後仙台に居を構えて宮城県沖地震に被災。そして今回は嫁ぎ先の石巻で被災。ともあれ、今は何よりもその無事を喜びたい。


携帯に頼りすぎた生活をされていて、着の身着のまま逃げた今回、親戚の電話番号を忘れてしまい、固定電話の前で途方にくれている被災者の方が何人もいらっしゃるに違いない。


ともかく待とう。