『宮城県の全貌』(1933)からの抄録の続き。


この記念号が刊行された1933年の3月、三陸沿岸を地震と津波が襲った。その際、日本赤十字社宮城支部が救急医療隊を現地に派遣したことが、下の文中に簡単ではあるが触れられている。


ただ、この一文は、日本が国際連盟を脱退した後に書かれたものであることは常に注意しておかねばならない。


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日本赤十字社宮城支部の事業を

概説して県民各位に望む 



日本赤十字社副社長 中川望


戦時に際し陸海軍の衛生勤務を幇助することが、赤十字社本来の使命であることは、世間周知のことでありますが、近代の赤十字は戦争に限らず、事変や災害の救護は勿論、平時と雖も、主として国民健康の増進、疾病の予防などに基く各種の社会事業に力を注いでいるのであります。


日本赤十字社の事業、別言すれば、各支部の施設は右の社旨に依って、大体同様ではありますが、我が宮城支部に於ける社業は、平時に於ては医療施設を以てその主なるものとして居ります。


御承知の如く、石巻市に在る支部病院は大正15年10月の開院ではありますが、此種東北一を誇る偉容と最新式の設備を整え、内科、外科、産婦人科、眼科、耳鼻咽喉科、小児科、皮梅科に分れ、各科の連絡統一、人件費の節約、外来患者に対する簡易利便等を特長とし、各病室は各科に直接分属し、日光の直射を考慮すると共に、原則としては一人一室主義で、通常222(普通202、伝染20)、非常240の患者収容力を有しているのであります。


仙台市外記丁通には大正13年10月に開設された診療所がありまして、同所には休養室の設備もあって、その定員は15名であります。尚昨秋認可せられた志津川診療所もそのうちに開設されることになって居ります。


以上の如く常設のものとしては、病院と診療所が各1つでありますが、昭和2年9月に創設された巡回診療は定期的ではありませんが、随時日時場所を定めて当支部管内に於ける医療機関の乏しい地方とか、或はその巡回を必要とする地方を巡回診察しているのであります。


それから、学童に対する医事工作としてその重要性を漸次認識されて来た学校看護婦は、大正15年4月に創設したのでありますが、現在では経費一部を負担して派遣しているもの13、その配属学校数は20校に達して居ります。

又、将来愈々発達するであろうと期待されている少年赤十字は、大正13年6月の創設に係るものでありまして、昭和7年末現在では73団、男女合計団員は27633名を算して居ります。


以上は平時に於ける我が宮城支部の施設を列記したに過ぎませんが、今回の支那事変に関し、当支部の看護婦は臨時第2救護班要員として、昭和6年11月27日本部に於て編成され鉄嶺衛戌病院に配属し、昭和7年8月20日まで勤務、わが邦人保護と権益擁護の為め文字通り生命線の死守に任じた傷病兵の医療看護に尽瘁したのであります。この事はその当時の新聞紙等で御承知のことと存じますが、それよりも御記憶に新たなことは、三陸地方の強震海嘯に際しての救護であると存じます。即ち当支部は、被害突発の当日である本年3月3日の早朝、医員2、看護婦2乃至4より成る救護班3個を編成し、牡鹿郡大原村及十五濱村、本吉郡唐桑村の三方面に分派し、応急救護に従事させ、次で災害地域の分区に宛、陸軍衛生材料廠製作の錠剤、健胃錠、硝蒼錠、撒曹錠の3種21420を各包別にし、使用法を明記して配送したのであります。


斯くの如く、当支部は、病院、診療所其の他の医療施設は勿論災害救護等それぞれに応じて社旨の徹底に努めているのでありますが、申すまでもなくこれ等の事業は、県民諸氏の絶えざる援助がなければ出来ないのであります。これを大にして云えば、赤十字は博愛人道を基調とし、政治、宗教、人種等を超越した国家的事業であると共に、国際的事業でもありますから、是非とも全国民の後援を必要とするのであります。


率直に申しますならば、当支部に於きましても、県民の一人でも多くが、否悉くが入社せられて、この事業に御助力して頂きたいのであります。


今昭和7年末現在の調査に依りますと、当支部の社員は、特別社員、正社員は男女合計33,929人、有功章佩用者130人で、人口千に対する比例は29という数字を示しているのであります。これを奥羽6県に見るも青森の28、山形の26に比べて稍優っていますが、福島は30、岩手は31、秋田は30でありまして、勿論これは地方の経済状態に基因するところ甚だ大ではありますが、各支部の平均比例35に対して、当支部の29は、私共当事者としては尠からず遺憾に堪えないのであります。


殊に日支事変以来、国際連盟の離脱を敢行した我国はいろいろの意味に於て国際注視の的となって居ります。お互に聖旨を奉戴して難局日本の為に尽さなければならない秋だと存じます。


日本赤十字社に於ても非常時多端の際一層使命の達成に努力いたしたいと考えて居ります。且又明年秋には第15回赤十字国際会議が東京に於て開催されることに決定いたして居りますから、此際特にわが社の実力を中外に紹介したいと、今から期待いたして居ります。その日本赤十字社を形作る重要な一支部である当支部に於きましても、平時事業に関し倍々の進展を期しては居りますが、それもこれも懸って県民各位の協力と後援に在るのでありますから、この点を御諒承下すって、大いに御助力下さることを希望する次第であります。


◎『宮城県の全貌』(22-25頁)より採録。