近代以降の東北地方の歴史を追うと、あちらこちらに中央政府からの冷遇・差別待遇を批判する言説が述べられている。象徴的な例は、仙台の有力紙である河北新報の紙名の由来が、「白河以北一山百文」という戊辰以来の固定観念の克服にあったということであろう。


ここで紹介する「東北不振に対する根本方策」に述べられている事柄は、近代財政史や東北開発史などでは有名な史実なのであろうが、80年前に指摘されていた諸問題に根本的な対策の採られぬまま、戦後・高度経済成長を経た21世紀初頭までそれが尾を引き、今回の震災において三陸地方のインフラの未整備として露わになったのではないかとすら思えてしまう。


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東北不振に対する根本方策


東北振興会会長 菅原通敬


東北振興策については屡々論ぜられ、又策せられもしたが、私は茲に何故の不振であるかを少しく考えて見たい。


先づ第一に地理上の理由、
  第二に歴史上の理由、
  第三に政治上の理由、

以上三点に帰結するのではないかと思う。


第一の地理上の理由は土地が偏在しているということと、気候が寒冷であると云うことである。而して此地理上から起る諸問題、又は歴史上より起る諸問題の如きは、大部分政治上に於て之を解決することの出来る問題であると思うのである。然るに中央政府の東北地方に対する施設方針は此の地理上及び歴史上の理由を全く閑却している。是れ政治上の理由の存する所以である。


東北地方は如何にも土地が偏在し交通に於て不便なるものがある、と世の人々は云う。事実又そうなのであるが、之に対し、何れ程の適切なる施設が行われているか、道路なり、港湾なり、鉄道なり、交通機関の整備が、他と比較したら思半に過ぐるものありはしないか。気候の寒冷のため生産物貧弱のためなら、之に対する特別なる保護助長の策の施さるべきである。然るに却て、他地方などよりも租税負担多く、寧ろ虐げらるるならずやとさえ私には考えらるるのである。東北地方が戊辰の際に方向を誤り、其為に被征服者の地位に於かれた結果、不平等に取扱はれて居ると云う事があるならば、之を他地方と平等に引直さるべき筈なるに拘らず、従来何等の考慮が払われて居らぬのである。不平等の地位にあるが侭で、全国画一主義の政治が、東北に加へられて居るのだから、不平等の上に更に不平等の上塗をされている様な状態と云うべきである。西南戦争で逆賊と云われた者が今日に於ては国家の厚い優遇をうけて居る者のあるに拘らず、東北戦争に於て賊軍とされし者は、今日に至っても尚其汚名は拭われずに居る状態で、一事が万事を語って居ると云うべきであろう。かかる有様で、東北地方は中央政府より冷遇されて来た。寧ろ迫害を受けて来たというべきであろう。要するに東北地方の特殊事情が、充分理解されず東北地方に適合したる施設経営が行われざるため、産業其他が微々たる今日を物語る、洵に故ありと思わるるのである。


近時、東北人士は自省大に努め、政府亦東北地方の特殊事情を認めんとしていることは大に意を強うするところである。私は東北産業振興の対策として調査攻究すべき幾多の問題中、財政及び税制に関する事項の重大にして緊要なることを少しく述べて見たいと思う。


東北地方に於て租税の負担が他地方に比して頗る過重であると云うことに付ては、各種の見様もあろうが、私は前述の通り、東北は、明治維新に際して被征服者の地位に置かれて居ったが為に、爾来中央政府に対しては何等の発言権も与えられて居らなかったことは事実である。殆ど、東北地方は中央政府の租税搾取の客体としてみ取扱われて来た様な感じがあるのである。地租改正に先立って官民有土地区分を定むるに方り、東北地方に於ては、官有地に編入せられた土地が大部分で、他の地方と比較すると、官有地が頗る大きい割合となって居る。即ち全国では民有林が官有地の二倍もあるのに、東北地方では民有が官有よりも少いのである。又地租改正を行うに当っても、一毛作の土地柄に対し、二毛作或は三毛作の土地と同様な関係によって地価が定められたのである。随って地租の負担は、生産力に対して非常に高い割合になって居るのである。其後地価の特別修正が行われたり、又先般地価を改めて賃貸価格にするという改正もあったのであるが、此地価を賃貸価格に改めると同時に、地租法が根本的に改められると云うことであったから、賃貸価格の調査が全国公平に行わるると期待したのであったが、事実は全く裏切られたのである。賃貸価格は大部分は推定に依って決められるので、隣地近接の部分は比較的均衡を保たれて居る様だが、遠隔の地、例えば、東北と九州若くは関西地方との間には能く均衡がとれているとは言い得ぬのである。何分賃貸価格の調査は非常に至難なことであるばかりでなく、現地租額に大なる増減の来さぬ様との方針の下に行われたのであるから、賃貸価格の調査は勢い前の地価に依って得る所の地租額を標準とし、夫を各府県に配布して各土地に配分するという様な結果に陥らざるを得なかったのではあるまいか。


其結果から見ると、東北地方に於ては、賃貸価格に改正された課税標準に依り、新に負担する所の地租額と、前の地価に依って賦課されている地租額と比較すると多少の減にはなっているが、其の減の割合は他の地方に於ける減の割合よりも大部少いことになったのであるから、賃貸価格の改正に依って、東北地方は寧ろ従前よりも、地租の負担額の割合が多くなったというわけである。賃貸価格の調査が斯様な結果を見るに至ったのは現行地租額を目標としたことと、東北地方の特殊事情を考慮に入れなかった為めであって、従来重かった東北地方の地租の負担と、九州なり関西なり其他の地方の負担との間に能く均衡を保たしめんとせば、根本的の改革を断行する必要ありと思わるるのである。元来私は土地の課税標準たる地価を賃貸価格に改むることに付ては、初より異論を唱えて居ったのであるが、地価が賃貸価格に改められた為めに東北地方の地租の負担が従前よりも却て東北に重く他地方との不均衡を増大することになったという事実を見ねばならぬことは遺憾に思うものである。租税の根幹たる地租が、かかる有様であるから、他の租税(特に付加税)も之に追随して重く賦課さるるということは、萎微不振の東北には、二重三重の重課といわるべきである。


尚、観察を更えて所得税について見れば、第一に課税の最低限即ち免税点に関する問題である。免税点は、国民の生活の必要費を控除すると云う所から出ているのであるから、本来から言えば生活の必要費を多く要する寒国と、少くて済む暖国との間に差等があって然るべきである。然るに現行所得税法は、全国画一にしているから衣、食、住何れの点から見ても生活の様式が複雑で、多額の費用を要する寒国と簡易で少額の費用で済む暖国と同様に取扱われて居るから寒国では生活の必要費にまで課税されているのである。或は「東北地方は文化が遅れて居る、随って生活の程度が低いから仮令衣食住の様式が複雑であっても暖国の簡易生活の費用と同じ位の費用で済むであろう」と言う者があるかも知れないが、夫は全く認識不足の見方である。成程東北地方は生活程度が低いであろうけれど、生活費が暖国に於けるよりも多いことも事実である。又東北人だからと云うて低い生活程度に甘んじさせて置いて良いと云う理屈はないのである。自ら好んで低い生活をして居るのではない、負担が重いので生活程度を高めることが出来ぬのである。私は今直ちに税法を改正せねばならぬと主張するのではない、税法の施行の上には此等の特殊事情を能く理解して相当なる考査を要求せんとするのである。

次に所得税の所得算出方法に関する問題である。総収入より収入を得るに必要なる経費を控除したる額を以て所得とすることは当然のことであるが、其の収入を得るに必要なる経費と一口に言っても、何れの地方も同じとすべきではあるまい。其の控除すべき費用も又其の歩合も寒国と暖国との間に差別がなければならぬと思うのに是れも全国画一の弊に陥っているようである。


以上は地租及び所得税の上から見たのであるが、其の他の諸税に付ても推して知るべしである。要するに東北地方は因襲的惰力と特殊事情の無理解から負担過重に虐げられて来たことが、不振の重大原因となっているのである。其の他の原因に付ても同様の関係であるから地理的歴史的理由を充分に考察して此の弊を打開せんことを要求すると共に、東北人士としては飽まで、敦朴剛健の特色を発揮して精神的物質的更生に一段の奮励努力を致すべきである。

◎『宮城県の全貌』(1-5頁)より採録